姚興71 サンガデーヴァ2

洛陽らくようにとどまること四、五年ほど。

そこでこれまで訳出して来た

経典についての講義をなす。

そうこうしていれば、漢語にも長けてくる。

改めて漢語訳経典を読み返せば、

様々な不備があることにも気付く。


同じような問題に直面し、

嘆いていたのが、同僚の法和ほうわだ。

そのため、サンガデーヴァに

『阿毗曇』『廣說』の改訳を依頼した。


一方関中では、姚興ようこうが覇権を確立。

更に仏教を手厚く保護する、という。

そこで法和は長安ちょうあん入りを志した。

対してサンガデーヴァは、

長江ちょうこうを渡ることにした。


同じ頃、廬山ろざん慧遠えおん

より深き境地に至らんとするため、

多くの経典を収集していた。

合わせて、議論する相手をも求めていた。

そんな中、サンガデーヴァの

来訪、逗留を聞く。

すぐさま招聘、廬山に招き入れるのだった。


ときは東晋とうしん孝武帝こうぶてい治世の末ごろ。

そこでサンガデーヴァ、今度は

『阿毗曇心』『三法度』の訳を依頼される。

そこで般若台はんにゃだいという建物に入り、

手に原典を持ち、漢語として言い換える。

その内容は華美を廃し、質朴そのもの。

今に伝わる訳文は、おそらくこのときに

訳出されたものである。




四五年間,研講前經,居華稍積,博明漢語,方知先所出經,多有乖失。法和慨嘆未定,乃更令提婆出『阿毗曇』及『廣說』眾經改之。姚興王秦,法事甚盛,於是法和入關,而提婆渡江。先是,廬山慧遠法師翹懃妙典,廣集經藏,虛心側席,延望遠賓,聞其至止,即請入廬岳。以晉太元之中,請出『阿毗曇心』及『三法度』等。提婆乃於般若臺手執梵文,口宣晉語,去華存實,務盡義本,今之所傳,蓋其文也。


四、五年の間、前經を研講し、華に居ること稍さか積もりて、漢語に博明たれば、方に先に出づる所の經に多く乖失有ることを知る。法和は未だ定まらざるを慨嘆し、乃ち更に提婆に令し『阿毗曇』及び『廣說』の眾經を出し之を改めしむ。姚興の秦に王たるに、法事の甚だ盛んなれば、是に於いて法和は關に入るも、而して提婆は江を渡る。是の先、廬山の慧遠法師は妙典に翹懃し、廣く經藏を集むらば、虛心側席し、遠きの賓を延望せば、其の至止を聞き、即ち請うて廬岳に入る。晉の太元の中を以て、請うて『阿毗曇心』及び『三法度』等を出だす。提婆は乃ち般若臺に於いて手に梵文を執り、口に晉語を宣わば、華を去り實に存し、義の本を盡くせんと務む。今に傳わる所は、蓋し其の文なり。


(高僧伝7-3_文学)




サンガデーヴァは、ブッダバトラなんかと同じく、生まれるであろう長安仏僧「社会」を予見し、避けたんでしょうかね。


そういや大乗経典は「いかにして教えを広めうるか」については語るけど、「なぜ教えを広めるべきか」については語らない、という議論を見かけました。これ考えてみれば大乗の目的がそもそもにして「多くの人を救う」ことにあるわけだから、そりゃなんでそこを問わにゃあかんの、的な感じにはなりますね。


最近ちょこちょこ仏教に関する本を集めてます。このへんもうまく作品に落とし込んでみたいところ。

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