姚興70 サンガデーヴァ1

サンガデーヴァ、罽賓クチャの人。

苻堅ふけんの治世中に長安ちょうあん入りし、

仏教の布教に当たった人物だ。


苻堅の治世下、サンガブーティが

『ヴァスミトラ菩薩経』を訳出し、

またダルマナンダが

『中阿含経』『増一阿含経』『毗曇』

『廣說』『三法度』を訳出していた。

その文字数は百万をも突破するほど。


そこに襲いかかるのが、慕容沖ぼようちゅうである。

もう偏見全開で言うけど、

お経とかめっちゃ燃やしそうである。


そんなこんなで長安内外を

敵が荒らし回る有様、

この状態でまともな訳出事業など

できたものではない。

そのため上記各経典の訳文検討も

中途半端になっていた。


追い打ちをかけるように、前秦ぜんしん仏教界の

大黒柱たる釈道安しゃくどうあんが死亡。

これではもはや、改定どころではない。


後秦が洛陽周辺を平定することで、

ようやく関中に平和が戻ってくる。

そこでサンガデーヴァ、

冀州きしゅう出身の法和ほうわと共に、洛陽らくように出た。




僧伽提婆,罽賓人。符氏建元中,來入長安,宣流法化。初僧伽跋澄出『婆須蜜』及曇摩難提所出二『阿含』『毗曇』『廣說』『三法度』等,凡百餘萬言。屬慕容之難,戎敵紛擾,兼譯人造次,未善詳悉,義旨句味,往往不盡。俄而安公棄世,未及改正。後東山清平,提婆乃與冀州沙門法和俱適洛陽。


僧伽提婆、罽賓人。符氏の建元中、長安に來たりて入り、宣流法化す。初、僧伽跋澄の出だす『婆須蜜』及び曇摩難提の出だす所の二『阿含』『毗曇』『廣說』『三法度』等は凡そ百餘萬言たる。慕容の難に屬し、戎敵紛擾し、兼ねて譯人造次は未だ詳悉に善からざれば、義旨句味は往往にして盡くされず。俄にして安公の世を棄つるに、未だ改正は及ばず。後に東山の清平さるに、提婆は乃ち冀州の沙門の法和と俱に洛陽に適く。


(高僧伝7-2_文学)




慕容沖の襲撃で、長安仏教界ってどんなダメージ負ったんでしょうね。結構しゃれにならなかったんじゃないかなあって思うのだけど。何せ慕容と仏教っていまいちつながりが見えない。いま索引見てきたけど、やっぱりちらりとしか出てきません。


後秦でいまいち見えづらいのが、姚萇ようちょう死亡~姚興覇権ころと、姚興死亡直後。ちょうどその期間のお話しであり、大変ありがたい。たぶん末端僧はだいぶやられたんでしょうけど、中枢僧は生き延びられた模様です。しかしまぁ「末端僧がやられた」のもここには書かれていないので妄想に過ぎないのがまた、こう。

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