各君主にまつわる仏僧エピソード
苻堅18 サンガブーティ
サンガブーティ。
381 年、
この頃の長安では禅が盛んであり、
大乗経典については未だ広く
流布されていない状況であった。
サンガブーティはその大乗経典について
深く知悉するものであったため、
皆はサンガブーティを法匠と讃えた。
外国には「アビダルマ・ビバーシャ」、
仏法の解説書があると聞いていた。
しかも、それをサンガブーティが
暗誦していると言う。
そこでサンガブーティに
衣装、飲食、寝具、薬湯を提供し、
アビダルマ・ビバーシャの
漢語訳を依頼した。
そうして翻訳チームが結成される。
責任者は
また釈道安がスタッフを集めた。
サンガブーティが暗誦した内容を語り、
ダルマナンダが梵語文として書き取る。
ブッダラシャが漢語訳として読み上げ、
秦僧の
事業開始が 383 年。
真夏からスタートし、秋の半ばに終えた。
なおサンガブーティはほかにも
「ヴァスミトラ菩薩経」を携帯していた。
そこで 384 年、趙整はこれもまた
漢文にしたい、と願い出てくる。
そこでサンガブーティ、
ダルマナンダ、サンガデーヴァと共に
三人がかりで梵文テクストを執筆。
これを秦僧の
この内容を釈道安、
これらの働きがあったため、
アビダルマ・ビバーシャ、
およびヴァスミトラ菩薩経は
今日まで伝え来られている。
サンガブーティは戒律によく従い、
その聖徳が際立つ振る舞いをなした。
俗世よりは一定の距離を保ち、
関中の僧たちは見習うべき手本として
彼を仰いだ。
後に彼は、ふらりと出奔。
その最期がどのようであったかを
知るものはいない。
僧伽跋澄,此云眾現,罽賓人。符堅建元十七年,來入關中。先是,大乘之典未廣,禪數之學甚盛,既至長安,咸稱法匠焉。符堅秘書郎趙正,崇仰大法,嘗聞外國宗習「阿毗曇毗婆沙」而跋澄諷誦,乃四事禮供,請譯梵文,遂共名德法師釋道安等,集僧宣譯。跋澄口誦經本,外國沙門曇摩難提筆受為梵文,佛圖羅剎宣譯,秦沙門敏智筆受為晉本,以偽秦建元十九年譯出,自孟夏至仲秋方訖。初,跋澄又賫「婆須蜜」梵本自隨,明年,趙正復請出之,跋澄乃與曇摩難提及僧伽提婆三人共執梵本,秦沙門佛念宣譯,慧嵩筆受,安公、法和對共校定,故二經流布,傳學迄今。跋澄戒德整峻,虛靖離俗,關中僧眾則而象之,後不知所終。
僧伽跋澄、此れ眾現と云い、罽賓人なり。符堅の建元十七年に來たりて關中に入り、是の先、大乘の典の未だ廣まらざるに、禪數の學は甚だ盛んなれば、既に長安に至るに、咸な法匠と稱う。符堅が秘書郎の趙正は大法を崇仰せば、嘗て外國の宗習に「阿毗曇毗婆沙」を跋澄の諷誦せるを聞き、乃ち四事禮供し、梵文を譯さんことを請い、遂に名德法師の釋道安らと共に、僧を集め宣譯す。跋澄の經本を口誦せるに、外國の沙門の曇摩難提は筆を受け梵文と為し、佛圖羅剎が宣譯し、秦の沙門の敏智は筆を受け晉本と為し、偽秦の建元十九年を以て譯出され、孟夏より仲秋に至りて方に訖う。初、跋澄は又た「婆須蜜」の梵本を賫じ自隨したらば、明年、趙正は復た請うて之を出だしめ、跋澄は乃ち曇摩難提、及び僧伽提婆と與に三人で梵本を共執し、秦の沙門の佛念が宣譯し、慧嵩が筆を受け,安公、法和は對し共に校定せば、故に二經は流布し、今迄傳え學ばる。跋澄は德を戒し整峻にして、虛靖離俗たれば、關中の僧の眾きは則ち之を象とす。後に終なる所を知らず。
(高僧伝1-1_文学)
仏僧の扱い方を、こっから先は晋書載記のあとに「高僧伝でその人に関わってくる仏僧」と言う形でつけることにします……とか言おうとしたらこの人苻堅附伝と言うより趙整附伝じゃんね。まぁ趙整さんも好きだし、こうして関わってるのを教えてもらえるのはありがたいんですが。
と言うわけで、苻堅はここでおしまい。次は
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