跋陀羅7 華厳経訳出
以前、
入手したという『華嚴経』の前文、
36000 句余りが訳出されずにあった。
418 年、
ブッダバトラにこの経典の訳出を依頼。
そこでブッダバトラ、
その手に原語経典を持ち、
内容を吟味し、原語と漢文との意味を
通じさせ、経典の内容を明らかとする。
道場寺に
まさにこの訳出をなした堂だからである。
また、
翻訳をブッダバトラに依頼した、
と言う話は、法顯伝にも見える。
これらの事業と前後して訳出された
『觀佛三昧海経』六卷や
『泥洹経』『修行方便論』ら、
十五種類の経典、百十七巻分は
おしなべて経典の語らんとした
幽玄なる境地を見事に伝えた。
429 年に死亡、 71 歳だった。
先是,沙門支法領於于闐得『華嚴』前分三萬六千偈,未有宣譯。至義熙十四年吳郡內史孟顗、右衛將軍褚叔度,即請賢為譯匠。乃手執梵文,共沙門法業、慧義、慧嚴等百有餘人,於道場譯出。詮定文旨,會通華戎,妙得經意,故道場寺猶有華嚴堂焉。又沙門法顯於西域所得『僧祇律』梵本,復請賢譯為晉文,語在〈顯傳〉。其先後所出『觀佛三昧海』六卷、『泥洹』及『修行方便論』等,凡一十五部,一百十有七卷,並究其幽旨,妙盡文意。賢以元嘉六年卒,春秋七十有一矣。
是の先、沙門の支法領の于闐にて得たる『華嚴』前分の三萬六千偈は未だ宣譯有らず。義熙十四年に至り吳郡內史の孟顗、右衛將軍の褚叔度は即ち賢に譯匠為らたんことを請う。乃ち手に梵文を執り、沙門の法業、慧義、慧嚴ら百有餘人と共に道場にて譯出す。文旨を詮定し、華戎を會通せば、經意を妙得す。故に道場寺に猶お華嚴堂有りたる。又た沙門の法顯の西域にて得たる所の『僧祇律』が梵本を、復た賢に請うて譯し晉文と為すは、顯傳にて語らる在り。其の先後に出だしたる所の『觀佛三昧海』六卷、『泥洹』及び『修行方便論』ら凡そ一十五部,一百十有七卷は並べて其の幽旨を究め、文意を妙盡す。賢は元嘉六年を以て卒す、春秋七十に一を有す。
(高僧伝2-28_文学)
ところで高僧伝との関わり方、いまのやり方だと一番自分がやりたい「国体と仏僧との関わり」みたいのからどうしても遠回りになってしまうので、ここから先は「国体の運用に関わった箇所」のみをピックアップして書いていこうと思います。あ、けどさすがに
と言うわけで次話はいったん時間を巻き戻して「苻堅が関わる仏僧エピソード」を拾い上げてきます。そしてナンバリングも苻堅に接続させます。まずは清算を済ませておかないとね!
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