曇無成 扶風馬氏
つまり
ただその一族は争乱を避けるため、
ちなみにいわゆる
曇無成は十三のときに出家した。
その学びの態度は一途であり、
併せて際だった才覚をも示す。
具足戒、つまり仏僧としての
成人式を迎えるより前に、
すでに卓絶した議論スキルを得ていた。
クマーラジーヴァが
やってきたと聞くと、曇無成、
荷物を引っかけ、会いに行く。
曇無成に、クマーラジーヴァが聞く。
「そなたは、どうしてこのような
遠方にまでやってこられたのか?」
「ここに来れば法道に至る手がかりを
得られると思ったからです」
クマーラジーヴァ、この姿勢に感心し、
曇無成を丁重にもてなした。
こうして曇無成は長安にとどまり、
学問に打ち込む。
その業績はやはり、出色のものだった。
そんな曇無成であるから、
ついには
姚興は言っている。
「
碩學にして、視野は極めて広かったが、
世に対しては驕慢な態度であった。
そのため世からは多くの憎しみを
買うことになった。
法師殿におかれては、
彼のような状態になられぬよう
心がけていただきたい」
曇無成は答える。
「仏道により心を制御し、
彼のもたらしたような禍を
避けて参りましょう」
この回答に姚興、すっかり感心。
以降曇無成の学業を大いに援助した。
やがて姚興が死に、
内憂外患により、関中の治安が悪化。
そこで曇無成は
そこでは『涅槃経』『大品般若経』を
交互に講説。受講者は二百を超えた。
また劉宋きっての大文人である
すなわち世の中のありように関する
議論を、何日にもわたって交わした。
これらの議論は後に
「實相論」「明漸論」
と言った本にまとめられた。
宋の
釋曇無成,姓馬,扶風人。家世避難,移居黃龍,年十三出家。履業清正,神悟絕倫,未及具戒,便精往復。聞什公在關,負笈從之。既至見什,什問:「沙彌何能遠來?」答曰:「聞道而至。」什大善之。於是經停務學,慧業愈深。姚興謂成曰:「馬季長碩學高明,素驕當世,法師故當不爾。」答曰:「以道伏心,為除此過。」興甚異之,供事殷厚。姚祚將亡,關中危擾,成迺憩於淮南中寺。『涅槃』『大品』常更互講說,受業二百餘人。與顏延之、何尚之共論實相,往復彌晨。成迺著〈實相論〉,又著〈明漸論〉。宋元嘉中卒。春秋六十有四。時中寺復有曇冏者,與成同學齊名,為宋臨川康王義慶所重焉。
釋曇無成、姓は馬、扶風人なり。家は世よ難を避れ、黃龍に移居す。年十三にして出家す。業を履むに清正、神悟絕倫にして、未だ具戒に及ばざるに、便ち往復に精ず。什公の關に在すを聞き、笈を負いて之に從う。既に至り什に見ゆるに、什は問うらく:「沙彌は何ぞ遠きより來たる能いしか?」と。答えて曰く:「道なるを聞かば至る」と。什は大いに之を善くす。是に於いて經停し學に務め、慧業は愈いよ深し。姚興は成に謂いて曰く:「馬季長は碩學高明なれど、素より驕にて世に當る。法師は故より當に爾るべからざらん」と。答えて曰く:「道を以て心を伏し、此の過を除かるを為さん」と。興は甚だ之を異とし、事に供すこと殷厚たり。姚が祚の將に亡ばんとせるに、關中は危擾す。成は迺ち淮南の中寺に憩う。『涅槃』『大品』を常に更互に講說し、業を受くるは二百餘人。顏延之、何尚之と共に實相を論じ、往復は彌晨たる。成は迺ち〈實相論〉を著し、又た〈明漸論〉を著す。宋の元嘉中に卒す。春秋六十有四。
(高僧伝7-1_言語)
関中の一族が東北地方(
うーんこの来歴、まさに自分が知りたい辺りにドンピシャなんですが、そのドンピシャな部分の記述がちょうど欠けるとかマジかよ、って感じなのです。
いやさ、クマーラジーヴァや姚興が死んだ後の関中って、混沌としてました、位しか状況がわかんないんですよね。この辺の詳細、どっかにもうちょっと踏み込んで書かれたりしてくれないかなあ。高僧伝で姚泓の登場する僧のエピソード一通り引っ張り上げてくるのがいいのかな。
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