第11話
ライオネルは、軽傷を負っている。
最初の住み処である公園では、昼は子どもたちの魔力に僅かながらにも癒され、しかし夜の澱んだ空気に元通り、という堂々巡りを繰り返していた。
が、自分を拾った少年の、ささやかな魔力を毎日受け取り、衣食住が整ったことによりそれは気にならない程度にはなっていた。
「あなたは平気だと言いますが、僕は気になります。外傷はなるだけ無いほうが良いでしょう。擦り傷や小さな切り傷くらいなら手当てで直るかと思うんですが」
「…………それなら、」
「…なんです?」
「それならば、“手当て”の道具に言葉を籠めると良い」
「言葉?」
「……言霊、と、この国では言うのだったか」
ああ、と、会得したように言いながらがさがさ薬箱を探す、自身に比べれば小さな背中。
背は低くないものだから、少年、と呼んではいたが、実際はほんとうにちいさな子どもなのだ。
しかし、身体は幼くとも、事情は何も話していないにも関わらずこちらが“そういった”存在だと気づいているらしい。
その人をよく視ている眸が、見透かすように透き通っているのを、ライオネルは知っていた。
その眸が、今はライオネルの小さな怪我を手当てするために薬を探している。心なしか、彼らの眼差しは優しい。
「……あんたの、親は良いのか」
つっかえ棒のように閊えて消えない、少年の母の侮蔑的な態度。今居るのは彼女と、姿は見ずとも居るであろう父の区域だ(もともと少年のスペースなどほぼ無いに等しいのだが)。
見つかれば何を言われるか。
「両親は…病院に……外出中ですから。」
「…………そうか」
病院、という単語を出すのを迷ったのは、まだ踏み込むところではないからなのか。
(いや、違うか)
『気にしなくても大丈夫ですから』
『私のことは空気とでも思ってくれれば』
などと。
踏み込ませようとしなかったのは、ライオネル自身が、それを望んでいたから。
主従の関係でもないのだからと、対等な行動をしていたに過ぎないのだろう。
(良く見えている……いや、見ているんだな)
ライオネルが自分の境遇を話さないということは、少年のもそうであるということ。
それでも、少年が良く人を観察しているのは元々ではなく……そうならなければ生きられなかったからなのだと、理解し始めていた。
「あ、有りました。」
「そうか、では部屋に」
「ええ、以外と時間がかかってしまいましたね、………っ」
桐だんすを閉じ、今から出ようとした少年の、動きが止まる。
「なんだ、なぜこちらにいる。」
「……貴方どうしたの、……あら、」
歳不応相に皺の多い、ふたつの顔。
ぎこちない少年の動きに前に進み出ると、少年ごしにそれらが居た。ライオネルの姿を見ると、目の色を変える。
「そのひとも……どうして、ここに」
「母さんが言っていた男か。またどこぞの男をつれてくるとは、なにも反省していないようだな。しかも見目の良い…恥さらしが、どうやって連れ込んだんだかな」
父親らしき男は、自らの言葉が下衆の勘繰りであることを、少年を襲った男たちと同じものであることを、判らずに言っているのか。
緩やかな敵意は、激しさを増した猜疑、侮蔑、傲慢へ。言葉は刺となり、少年へ向かう。
「奥の部屋で大人しくしているから許してやっているのよ……出て来ないでちょうだい、おねがいだから、ね? かわいそうなあなたを、御父さんも見逃してくれているのよ」
「全く……初めての息子に、その"病気"が写ったらどう責任を取るつもりだ」
無意識か、母親が膨らんだ腹を撫で擦る。
人間が醜いだけのものではないのは、解っている。子どもに無関心な親も、憎しみを向ける親も、居ることは。
(俺がここに居るのは、俺の勝手だ。なら、なぜこいつに責を問う)
「…斬るか」
「ひっ…………?!」
ここでライオネルが少年の両親を斬殺しても、責任を押し付けられるのは少年だ。
実際は、そんなことはできない。しかし、そのようなことも考えられない、体の大きなだけの能無しは分かりやすく身体を震わせる。
「いいえ……構いませんから」
少年の、「貴方は悪代官か何かですか」という呟きに、少し愉快な気分になる。少年のほうも、少し落ち着いたようだった。
「……お二方は、今日がなんの日か……覚えていらっしゃいますか。」
「は? お前はまた、何をいっているんだ、下らないことを聞くくらいならその男を止めろ!」
「そ、そうよ、そいつ、刃物なんかもっているじゃない…偽物だとしても、危険でしょう!」
偽物、に反応したのはライオネルではなく、少年だった。能面のようになった表情をすぐに切り替えると、にこりとわらう。
「申し訳ありませんでした。お二方とも。心配せずとも、もう出ていきますので。」
「で、出ていくって何よ」
「お忘れのようなので言いましょうか。
今日は私のはたちの誕生日なのですよ。
…ああ…あなたには説明しましょう。日本……現代のこの国では、二十歳が成人と見なされ、飲酒、タバコの自由、契約の自由を与えられるのです。それまでは出来なかった、売買や保険や、移転の、縁切りの許可が、取れるということです。もちろん親族と相談をすることもありますが…………」
誕生日というそれに、補足の説明をつけたのは無論、ライオネルのためだ。それを聞いた大人たちも一応意味がわかったらしい。どこか不満そうにこちらを見ている。
人は虐げる対象をつくる生き物。
この哀れな親は、それが実の息子だったということか。嘆息したライオネルの手を引き、着いてきてくださいといつかのように顔を見上げる。
「ま……っ、待て、どこにいくつもりだ」
「叔父さんの下宿屋があったでしょう」
「……が、っこうは、どうする、つもり?」
「知らなかったんですか? あなた方はお互いがやっていると思い込んで、私の金の世話などしていませんでしたよ」
(……学校のあとにあると言っていた、ばいとというやつか)
「では、失礼いたします。残った部屋は、新しいお子さんにでも分け与えてあげてください。……狭すぎるかもしれませんが。ずっと綺麗にしていますから」
ここよりも。
言い残して、ライオネルにとっても、きっと少年にとっても、束の間の休憩所に過ぎなかったそこに荷物をまとめに行く。
居間には、片付けきれていない洗濯物が散乱していた。
小さな車輪がついた箱に服を詰め(それも自分で買ったらしい)、財布と四角い板を後ろのポケットに突っ込み、廊下へ出る。叔父からの返答の手紙を最後に、手に持った。
ライオネルは暫し考え、本棚の中身とその床のしたに眠るものをひとまとめにして上着でくるんだ。
「電球の取り替えや、床、屋根の張り替えは出来ますか? 手伝いをするのが条件なんです、住まわせてもらうの」
僕では身長が足りなくて……と言う、横顔は、左側に立つライオネルからはよく見える。
穏やかに笑い、口を尖らせ、拗ねたように眉をしかめる。
ずっと変わらなかった笑顔や態度を変え始めているのは…彼の態度はライオネルの写し鏡で、…まあ、そういうことなのだろう。
「俺の住む場所だ、そのくらい自分でやるさ。……当然だろう?」
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