天地に根差す鋼の呪縛

ep.72 エルフは人を食う

 透き通った結晶のむしが飛び交う深緑の森。そこへ冒険者が足を踏み込んだ。心酔する著書にも記されているこの場所を踏破しようというのだ。


 奥へ踏み込めば踏み込むほど、魔素まその濃度が高くなる。それに息苦しさを感じて冒険者の男は思わず喉もとを押さえた。


 小さな咳が木霊こだまし、踏みしめた小枝が折れて乾いた音を鳴らす。


 それに呼応するかのようにして男の前方に光明こうみょうが現れた。枝葉の間をゆっくりと飛び跳ねていく。誘われるままに進んでいくと、開けた場所に出た。


 男は息を呑む。そこは人骨の塚だった。積み上げられたおびただしい数の頭骨がその空虚な眼窩がんかで寂しげに見つめている。


 あれはやはり本当だったのだと男は思った。同時にこのままここにいてはいけないと踵を返す。


 そこへ1本の矢が放たれた。警告を通り越した排斥はいせきの意思が男の眉間に突き刺さる。血を噴きだしてその場に崩れ落ちた新鮮な亡骸を求めて何者かが木陰から姿を現す。それは透き通るような青白い肌の見目麗しいエルフたちだった。


 旅人は口を揃えて言う。エルフの森には決して立ち入るな、と。


 なぜなら、彼らは人を……。


 ###


「食べるおつもりですか?」


 目の前で紫の果実をもいだセンリに向かってエスカが言った。


 ここは野営地の外れ。林の中で見つけた野生の果樹からもぎ取ったその果実は毒を有している。本来は食するべきではない。


「食べる以外に何がある?」

「それは毒を持っています。食べるべきでは……」


 エスカは心配そうに首を振って制した。が、それを振り切ってセンリは果実をかじった。


「毒のほとんどは芯の周りに集中している。それを避ければどうにか食える」

「あっ、そうなんですね……」


 食べ慣れているのか、センリは器用にかじって残りを地面に放り投げた。


「……こいつは外れだったな。甘味が薄くて毒が多い」


 わずかに痺れる舌を噛んで地面に唾を吐くセンリ。それを見てエスカは首を傾げた。


「わざわざそんなものを食べなくても。向こうに戻ればもっと安全で美味しいものがありますよ……?」

いましめるためだ。そういう楽な暮らしに慣れてきた自分を」

「…………」


 一時は穏やかに見えたセンリも今度の目的地が近づくにつれて神経が過敏になってきている。理由を知っているエスカは不安に思いつつもなかなか言い出せなかった。


 これから向かう国の名はアドラシオ。通称、はがねの国。かつて製鉄業で栄え、良質の鋼を隣国に輸出していたが、それも過去の話で。今では敬虔けいけんなドゥルージ教徒による一大宗教国家となった。つまり鋼は鋼でも、鋼の信仰国というふうに意味合いが変わってきている。


「地べたを這いずり回って生きていたあの頃を忘れないためにも」

「……センリさん」


 知れず穏やかになってきていた自身を制して再び憎しみの炎を燃え上がらせようとしている彼の姿を見てエスカは残念に思った。と同時に理解もした。


 以前訪れた火の国で手に入れた、当時の勇者たちを苦しめていた七賢者の1人が禁術を使って生き長らえているとの情報。


 その話を聞かされたあとにアドラシオへの遠征を提案されたエスカ。当初は乗り気ではなかったが、戦争の準備を始めているとの噂もささやかれる国の内情を探るべく国王から直々に令が下った。


 表向きには特使として魔族の脅威を知らしめることになっている。それ自体も重要な役目であるはあるが、鋼の信仰心を持つとされる彼らが部外者の言葉に耳を傾けるかどうかは分からない。


「そろそろ戻りましょうか。みなさんのところへ」


 エスカは少し強引にセンリの手を引いて林の中から野営地へと戻った。


「エスカ様。そこにおられましたか。急ぎお知らせしたいことが」


 すると辺りを探していた様子の老騎士オルベールが声をかけてきた。彼はアガスティア王国騎士団の副団長で、これまでエスカの姉エルサの護衛をしていたが、その任を解かれて今回再び彼女のもとへと戻ってきた。


「分かりました。今すぐに」


 オルベールに案内されて2人は布張りの小屋に入っていく。中央の台には周辺の地図が広げられていて、これまでの旅路とこれからの旅路が記されている。


「先遣隊の報告によると、通過する予定だったこの先の小国に問題があるとのこと。詳しい状況については彼の口から」


 オルベールが後方を見やると、若い男が一歩前に出て口を開いた。


「はい。今現在かの国では内乱が起きています。情勢は非常に不安定でなおかつ混乱は周辺地域にも及んでいます。これ以上そちら側へ進路を取るのは危険かと」

「いかがなさいますか?」オルベールが問う。

「確か予定通りならそこが次の補給地でしたよね。他の候補地はありますか?」


 エスカが問うと、男は地図の上に指先を落として、


「そうですね。北東方面に進路を取れば、補給ができる町に到着します。しかしそれだとこのようにかなりの迂回になります」


 順路をなぞっていくが、目的地からどんどん遠ざかっていく。次の町までは曲がりくねった道で、そのあとは高低差のある谷を抜けなければならない。距離的には倍以上で、安全が保証されているわけでもないのだ。体力的にもかなりの消耗が予想される。


「想像以上ですね……。どうしましょうか」

「一度、前の補給地に戻るというのはどうでしょうか?」


 オルベールの問いに反応してセンリが前に出る。


「そんなことをせずともここを突っ切ればいいだろ」


 地図上でその指を滑らすや否や周囲がざわついた。真横に広がる巨大な森を真っ直ぐに突き抜けたのだ。その先にある町を次の補給地とすれば、下手に大きく迂回することもなく目的地に早く到着することができそうだが、周囲の反応はなぜかよろしくない。


「センリ殿。差し出がましいようですが、その森はエルフの住まう森。危険であるがゆえに避けなければなりませぬ」

「エルフの森……」


 オルベールに指摘されてセンリは眉をひそめる。


 書物で読んだことはあったが、実際に訪れたことはなかった。


「……エルフは人を食う、か」


 その書物に書かれていた印象的な言葉を思い出す。それで再び周囲の空気が凍りついた。


「センリさん。確かにそこを通れば近道になりますが、ここは安全なほうを取って」

「いや、あえて行こうじゃないか。責任は俺が取る」


 センリが制した。そのまま言葉を続ける。


「内乱の影響が周囲にも広がっているなら、迅速にこの場を切り抜けるべきだ。ぐずぐずしている暇はない。旅人の不確かな口伝えよりも、まず目の前の危険を避けるべきだ」

「……確かに。状況から見てそれも1つの案でしょう。危険は伴いますが……、私たちにはあなたがいる」


 先遣隊の男が熱のこもった声で言う。以前はこうではなかった。センリの傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いが周囲のわだかまりを生んでいて、何をするにも反発感情が働いていた。


 しかし今では周囲も彼の存在を徐々に認めて信じる心を持つようになってきている。


 みんな少しずつ変わってきているのだ。そして何より彼自身も。


「そうですね。どれを取っても危険が伴う以上、最短で切り抜けるほうが長期的に見て最善だと思います。行きましょう。エルフの森を抜けて、その先へ」


 エスカが力強く応えると、それに周囲も深くうなずいて覚悟を決めた。

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