ep.71 この地で戦った勇者たちがいた
謁見の後、アガスティア一行は部屋に戻り、サンパツは街へ帰った。昼下がりのひと風呂を浴びるために変わらぬあの男湯へと向かったセンリ。
そこには今まで夜更けにしか会うことがなかったセレネがいた。
「今日は良い天気ですね。お日様がよく見えます」
晴天に恵まれたこの日。彼女の顔がはっきりと見える。
「双子であることを公表することにしました」
「……そうか。一波乱になるかもな。馬鹿な民衆のせいで」
「きっと理解していただけると思います。歴史的に忌み嫌われてきましたが、この際はっきりと言ってしまえば、迷信のようなもの。信頼に値する絶対的な根拠はありません」
かつて怯えるように信じていたセレネは自らその言い伝えを切り捨てた。
「ほとんど生まれないにしても、少なからずどの時代にも双子はいたはずだ。おそらくは不幸な偶然が重なって、そういうくだらない伝統が生まれたんだろう」
「だと思います。身の回りの大きな不幸を稀な双子になぞらえて。でも思うんです。本当にみんな殺されていたのかなって」
「馬鹿正直に殺すやつがどこにいる。どうせ多くは殺したふりをしてどこかに匿っていたに違いない。お前の両親のように」
「かもしれないですね。私たちはずるい生き物ですから」
意地悪そうに笑うセレネの向こう側にもう1つの人影がぬるりと出てきた。よく見ればセレネと同じ顔をした、アルテだった。
「ちょ、ちょっと! こっち見ないでよっ!」
湯浴み用の布で体を覆ったアルテがぐちぐちと文句を言いながら湯に浸かってこちらへやってくる。
「彼女は私が呼びました。アガスティアのみなさんが3日後に旅立たれると聞いたので、せめて一度はこういう機会を、と。ただのわがままです」
堂々としたセレネの背後にすり寄ったアルテはその肩口から顔だけを出す。
「なんで2人ともそんなに堂々としていられるのよ……!」
「いちいち気にする歳でもないだろ。それに、湯の中では人はみな全てをさらけ出すものだ。うだうだ言ってないで自然の流れに身を任せてみろ」
アルテは半信半疑に目を閉じて深呼吸をしてみる。すると不意にどこからか声が聞こえてきた。それはあの時と同じ力強くも優しい声。
「……声が聞こえるわ。あんたにお礼を言ってるみたいね。『ありがとう。火のように荒々しくも煌びやかな魂を持つ者よ』だってさ。ぷふふっ……バッカみたい」
「ふん。ここの神は皮肉上手だな」
センリは鼻で笑ったあと、実際に笑っているアルテに向けて指を鳴らし、頭上からお湯を浴びせた。
「ちょっと! なにすんのよっ! こんなことで怒るってあんた子供っ!?」
「やはりお前はセレネに比べると品がないな」
「なんですって!?」
アルテは怒って立ち上がるが、勢いのせいで体に巻いた布がずり落ちた。
「――っ!」
彼女は慌てた様子でしゃがみ込み、顔を熱く煮えたぎる溶岩の色に変えた。
「み、見たでしょ! セレネ。こっ、こんなやつ今すぐ死刑よっ!」
「アルテ。落ち着いて。見られたくらいでそんなに怒ってたらこの先生きていけないよ」
静と動。同じ顔で正反対の感情をぶつけ合う姉妹のすぐそばで、
「……馬鹿馬鹿しいことこの上ないな」
センリは小さくため息をついたあと自身の顔を手でぬぐった。
それからしばらくしてアルテが落ち着いた頃、振り向きざまにセレネがこう切り出した。
「センリ様。そういえば私、この国の特使になりました」
「特使?」どこかで聞いたような響きに小首を捻るセンリ。
「はい。私にも何かできることがないかなと思ってエスカ様に相談したところ、同じ特使になってみてはどうかと助言をいただいて」
「余計なことを……」
「私は私で世界中を駆け巡り、刻一刻と迫る魔の脅威を知らしめるつもりです。同時に曲解されている勇者の一族の話もきちんと訂正して回ります。連携のためにアガスティアへ立ち寄ることも多くなると思いますが、その時はどうぞよろしくお願いしますね」
「私もたまについていくから、その時は盛大にもてなしなさいよね」
ここまで来るとセンリももはや言い返すことはない。セレネはそんな彼に近寄って耳もとで囁いた。
「……立ち寄る際はお部屋に伺います……」
それは誘いの殺し文句だった。
「あっ! なになに今のっ!? なんて言ったのよっ!」
「それは秘密です」
セレネは気軽に共有しない考えを持った。たとえ双子の姉妹だったとしても同じ道を歩むことはないからだ。
これからは1人の人間としても生きていく。ただの片割れでもなく、忌み子でもなく、巫女でもない。
『ここからお前の人生が始まる。いや、生まれたからには始めなければならないんだ』
その言葉を胸に今、彼女は再びこの世に生まれ落ちる。
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かつて銀貨3枚で買った地図。それが示す秘密の場所から見える景色は以前と比べて変わっていた。雑木林を抜けた先にある古びた石段を上がったところ。そこから見えていた火の神殿はすでになく、代わりに巨大な温水の池が真っ白な湯気を立ち昇らせていた。
さらにそのすぐ近く、冷え固まった溶岩の上では慰霊碑の建設作業が進んでいる。手持ち無沙汰な国中の職人を総動員していることからその本気度が窺えた。
「――本当に良かったんですか? あんなお願いをして」
見晴らしのいいその場所で、エスカは香草酒を
「余計な
「ですが、この国にいたセンリさんの形跡を消してしまうなんて」
つまり勇者の末裔がこの国に滞在した事実は公式の記録には一切残らない。王侯貴族と関わりを持ったことも、賢者の末裔と
「地位も名誉もいらん。この地で戦った勇者たちがいた。ただそれだけ記してあれば十分だ」
「……記録には残りませんが、みなさんの記憶には残るはずです。ずっとそばで見続けてきた私がそうであるように」
エスカは彼に寄り添ってその手にそっと触れた。あの時に見た漆黒の煌めきは触れようものなら問答無用に破壊する恐ろしさがあった。けれど今はほんのり温かい血の通った人の手をしていた。
「……のう、主よ」
断崖に腰かけていたクロハが背中越しに声をかける。
「もしも我が死んだら……この世界はどうなるであろうか」
「変わらず巡り続けるだろうな」
「……うむ。そうであろうな」
「いちいち馬鹿なことを聞くな」
「すまぬ」
物思いにふけるクロハはしおらしく謝った。
あの男の末路を思い出すと虚しくなる。本当にあれで報われたのか。知り合って間もない赤の他人だが自分のことのように考えてしまう。
どのように生きて、どのように死ぬのか。ルキの死はクロハの死生観に少なからず影響を与えていた。
今度はセンリが彼女の背中に語りかける。
「……惨めに死ぬ者もいる。だからと言って全てが無駄になるわけじゃない。不器用なその歩みが、いずれ道に迷う者への
ハッとした顔でクロハが振り返った。目が合うや否やセンリは立ち上がり崖までやってきて酒瓶の口を下にした。彼を弔う碑が建つであろう方角に向けて、余った香草酒を崖下へと注ぐように流した。
「帰るぞ。最後のひと風呂だ」
瓶が空になるとセンリは踵を返した。
「帰りましょうか」
エスカが立ち上がりクロハに優しく微笑みかける。
「分かった。これでしばらくあの温泉ともお別れになるのう」
「寂しいですけど、またみんなで来ましょう」
「うむ! 今度来た時は遊びまくりの食べまくりの浸かりまくりじゃ! くふふっ」
「ふふっ、今回と変わらないじゃないですか」
エスカとクロハは笑い合いながら来た道をゆっくりと引き返した。
彼らが去った後に残るほのかな香草の匂い。風に吹かれて空へと舞い上がる。
男が愛した酒の味は、甘酸っぱかった。
――『火に渦巻くは歴史の咎』編、完結――
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