ep.58 決まってるだろ

「ああっ、ごめんなさい。どうぞ、飲んでください」


 引き留めていると思ってサンパツの妻は改めて勧めた。カップの中には氷が入っていてそれで湯気が立っていなかった。


「お店のようには冷やせなかったので、近所の方から分けてもらった氷を入れてみたのですが……」


 センリは茶を口にした。氷のせいで味も匂いも薄まってはいるが、元の質が良いので飲み干すだけの満足感は残っている。


「いただきます」


 追ってエスカもカップに口をつけた。毒見をしないのは彼らを疑っていない証拠。感覚の鋭いセンリがみすみす毒物を見逃すとも思えなかった。


「……わあ、美味しいですね。でもなぜでしょう。どこかで飲んだ覚えがあるような……」


 エスカは小首を傾げる。センリも同じことを思っているようだった。


「その香草の店、もしかしていつも飲んだくれの中年男がいるところか?」

「え、あっ、はい。お店に行くと、だいたいそういう方がいます」

「どうりで同じ味がするわけだ」


 サンパツの妻が働いている店はあのルキがいつも通っている場所だった。


「ああ、思い出しました。クロハさんと3人で行ったお店ですね。確かに優しそうなお顔の店主さんでした。また行ってみたいですね。今度はみなさんと一緒に」


 エスカが微笑みかけると、サンパツも妻も抱いた赤子も不思議と笑顔になった。


「そういえば、なんでわざわざこんな場所まで来たんだ? ただ遊びにきたってわけじゃないんだろ、お前がさ」

「今は火の巫女について調べている。そのためだ」

「うーん。て言ってもなあ、俺もそんな詳しいわけじゃないし」

「私もその、あまり……」


 夫婦は顔を見合わせて首を捻った。


「――あっ! もしかしたらあれとか役に立つかも」


 サンパツに赤子を預けて妻は家の奥に消えた。しばらくして戻ってきた彼女の手には畳まれた衣装が載っていた。


「それは、花嫁衣装としてお前にあげた……」

「うん。でも元々は亡くなったサンパツのお母さんが受け継いでいた伝統衣装よ。この裏のほうの刺繍が何かの手助けになるかなって」


 広げた伝統衣装には刺繍で古い時代の様子が描かれていた。


「これは、いったい何をしているのでしょうか……?」


 背中部分の絵。中心の高位に見える人物が炎に似た光に向かって両手を掲げている。側近には各々違う動きをしている者たちが。


 歌う。踊る。演じる。祈る。儀式の一場面を切り取ったような光景で、その周囲を大きく取り囲んでいるのは豆粒大の人々だった。


 全員が中心にいるその人物とともに祈り、鼓舞しているような様が見て取れる。


「その真ん中にいるのが巫女様で、近くにいるのが使いの者たち。周りにいる粒みたいのはたぶん俺たちみたいな平民さ」


 指を差しながらサンパツが答えていく。


「そっちは?」


 センリがスカート部分の幅広い絵を指差す。


「こっちは……ええっと」


 そこに描かれているのは日常生活の場面集だった。育てた作物を収穫して、それを挽いたり焼いたり蒸したり。小川で魚を釣ったり、森で小動物を狩ったり。陶芸や織りに励んでいたり、さらには酒盛りをしたり。今とそれほど変わっていないことが窺える。


「見たまんま当時の生活だな」


 説明する必要もないと彼は軽く流したが、非常に気になる点がセンリにはあった。


「それはどのくらい昔だ?」

「分からない、けど神殿ができるよりも前じゃないかな」

「なるほど。つまり巫女という制度も火の神信仰と同じく遥か昔から存在していたのか」

「センリさん。どういうことなんでしょう?」


 何も知らないエスカは隣で首を傾げている。


「お前は不思議に思わなかったか? この国の巫女は移り世から隔絶され、孤独のまま祈り続け、全てを背負わされる生け贄紛いのものだ。それを神が良しとしている」

「……確かに言われてみれば不可解な点がありますね。ですが、元々そういう文化だったのではないでしょうか? それに、利己的な神様もきっといらっしゃるかと」 


 巫女の生き方については同情しつつもエスカは理路整然と答えた。するとセンリからすぐさま反論が飛ぶ。


「刺繍の絵をよく見てみろ。まず神への祈りでは巫女だけでなく大勢が参加しているように見て取れる」


 言われてエスカは上の刺繍に顔を近づける。


「うーん。確かに。みなさんで巫女様を応援しつつ、頑張れって力を送りだしているような雰囲気ですね」

「次に下の刺繍。どの場面にも巫女と光が描かれている。後者はおそらく火の神だろう。そこから推測するに、巫女は日頃から民と触れ合い、火の神はいつも寄り添っていた。決して孤独に祈り続ける道具などではなかった。神も依代を持たずに外の世界を満喫していたようだ」


 エスカは感心して目をぱちくりさせながら刺繍の絵を見直していた。


「……神託ってのもたぶん、本当はだいそれたものじゃないんだと思う。だってほら、絵の中の巫女様は『こうしたほうがいいよ』って言ってるみたいだろ。頭上に浮かぶ神様がきっと教えてくれたんだ」


 サンパツが言うように絵の中の巫女は神を仲介して人々に生活の知恵を与えているようにも見える。


「たとえば、美味しいパンの焼き方みたいなものでしょうか?」


 エスカがそう言うとサンパツの妻が楽しげに笑った。


「それなら美味しいお茶の淹れ方とかもですかね」

「ふふっ。案外そういうものなのかもしれませんね」


 ずいぶんとかわいらしくなった神の威厳に女2人は笑い合う。


「だが、それほど親しみやすかった巫女と神も今ではあの有り様だ」

「やはり時代の流れでしょうか……。国として成り立ち、規模が大きくなってしまったが故に……」


 嘆くエスカ。サンパツとその妻も思うところは一緒。


「いや、それは違うな」


 唐突にセンリが制した。その場にいた全員が一斉に振り向く。


「ならいったいどうしてあんなことに……?」


 エスカは向き直って制した男の瞳を覗き込む。すると彼は息を吸ったあとに、


「決まってるだろ。どこかで人の悪意が紛れ込んだんだ」


 驚くべき言葉を口にした。


「そ、そんな……ことが可能なのでしょうか? そもそも何のために……」

「誰が何のために、はまだ分からない。が、昨日今日で計画されたものじゃないはずだ。おそらく想像よりも多くの人間が関わっている」


 衝撃でしんと静まり返る場をセンリが次の言葉で締めた。


「感謝祭の日。その日に全てが明らかになるはずだ」

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