ep.57 幸せの分かち合い

「これで晴れて元通りですね。これからさっそくお出かけですか?」

「ああ。西地区へ行く」

「私も同行してよろしいでしょうか? できる限り外出は控えるように父上から言われていますが、センリさんやクロハさんが付いているなら構わないそうなので」

「好きにしろ。だが自分の身は自分で守れ」

「はい。分かっています」


 エスカはセンリとの久しぶりのお出かけに気持ちが浮き立っていた。


 それから急いで部屋に戻って目立たない格好に着替えたエスカはクロハの部屋の前を静かに通りすぎて城門前にやってきた。そこで変わらぬ格好のセンリと合流して街に出た。


「西側は確か貧困地区でしたよね」

「お前の想像よりは遥かにマシな場所だ」


 それを聞いてエスカはハッとしたあとに頬を緩めた。


「楽しみです。どんな方々と触れ合うことができるのでしょうか」


 ###


 城から徒歩で近道を使い路地裏を抜けて西地区の貧民街までやってきた2人。入り口でエスカが振り向く。


「驚きました。センリさんの言っていた通りですね。気候に恵まれているからでしょうか、特有の悲壮感があまり漂っていないように感じます」

「だからと言って油断すればここを出る頃には身ぐるみを剥がされているだろう」

「気をつけます」


 入り口から一歩踏みだした。センリはその腕に麻紐で通行証をくくりつける。


 しばらく歩いていると、道端に老爺の姿があった。


 センリが腕を上げて通行証を見せると、彼は深々と頭を下げたあとになぜかゆっくりと首を横に振ってみせた。


 その意図が分からずに眉根を寄せるセンリ。とりあえず先へ進んでいく。


 以前来た時とは雰囲気が少し違っている。というのはセンリを見る住民の目が通行証を携帯するよそ者から顔馴染みの同胞へと変わっていた。


「ようっ! 兄ちゃん! 元気にしてたかっ!」

「久しぶりだな! この前はありがとよっ!」

「今度遊びにおいでよー!」


 打って変わって気さくに声をかけてくる人々。エスカは目深に被った頭巾の隙間から顔を覗かせて小さく手を振っていた。


「想像よりもずっと温かい雰囲気ですね」

「そうだな」


 不思議な変化に小さく戸惑いを覚えつつもセンリは振り返らずにサンパツの家へと。


 彼の家は修繕がかなり進んでいて、現時点でも隙間風や雨漏れの心配はすでになくなっている。サンパツとその妻はちょうど玄関先で感謝祭の飾り付けについて話していた。


「あっ、あなた」


 たすき掛けした布の内に赤子を抱いた妻が夫の背中を叩く。


「ん? なんだよ? って、おい……」

「元気そうじゃないか」

「セッ、センリ! お前、もう大丈夫なのか!?」

「大丈夫も何も快適な檻の中でゆっくり本を読んでいただけだ」

「……そうか、なら良かった。あの時どんな刑を受けるのかも分からなかったしさ」


 しばらく姿を見せていなかったのでサンパツは安否を心配していたようだ。代理で来たクロハにも近況を聞いていたが、実際のところどうなのかずっと気になっていた。


「あ、あの、良かったら、中のほうでお茶でもどうですか?」

「そうだな。それがいい。さあ、中に入ってくれ。まだ内側も直してるところだけど、前よりはずっと快適なはずだ」


 2人の承諾も得ずにサンパツは家の中へ。妻はどうぞと手を差し伸べて促した。


「…………」

「ではお言葉に甘えてお邪魔します」


 センリは無言で、エスカは微笑みかけて、家の中に入っていった。


「すぐお茶を用意しますね」あとから入った妻が台所へ向かう。


 廊下の幅は少し広がっていて居間と呼べる場所は文字通りの居間になっていた。床に散乱していたものも片づけられていて最初に来た時よりも広やかに感じる。


「まあ、適当に座ってくれ」


 前はなかった来客用の椅子が増えていてセンリもエスカもそこに腰を下ろした。目の前には小さな丸テーブルも置いてある。


「だいぶ変わっただろ?」

「そうだな。これも全部持ち帰ったあれのおかげか?」

「ああ、そのことなんだけどな……。実はあれ、全部みんなに配っちゃったんだ」


 ばつが悪そうに頭をかきながら話すサンパツ。


「家族のために死に物狂いで手に入れたものを、か」

「うん。辛い時も苦しい時も、ここのみんなにはたくさん、たくさん助けてもらった。なのに全部独り占めしていいのかなって。だから妻と話し合って、みんなと分け合うことにしたんだ。そしたらさ、みんながお返しにって家の直しを手伝ってくれたり、足りない家具とか美味しい料理とかもくれたりして。今センリたちが座ってる椅子もそうだよ」

「幸せの分かち合い、ですね」


 そう言ってエスカが頭巾を脱ぎ素顔をはっきり晒すと、サンパツはうっかり飛び上がりそうになった。


「あ、あの時の……。ど、どうか、みんなに配ったものは取り上げないでくれ」


 クロハが代理で来た時と同じように国からの取り立てだと勘違いしているサンパツは深々と頭を下げた。


 なぜなら証言の時に獲得した金銭については一切触れていなかったからだ。


「ああ、私はアガスティアから来た者です。この国の者ではありません」

「そ、そうなのか」


 サンパツは顔を上げてほっと胸を撫で下ろした。


「さっきから話してる『あれ』とは悪趣味な娯楽会で手に入れた金銭のことだ。さあ、どうする。国王に告げ口でもするか?」

「……この私の立場上、やはり知らせるべきでしょう」


 エスカがそう言うと、サンパツは前のめりになって唇をわなわなと振るわせた。


「ですが……今日は悪い子になります。ここへも一介の人間としてお邪魔させていただいているだけなので。その代わり、ここで私が話したことは内緒にしてください」


 唇に人差し指を当てて悪戯っぽく微笑うエスカ。


「ふんっ。悪徳っぷりが板についてきたじゃないか。そっちのほうが似合ってるぞ」

「あっ、悪徳……っ。で、できれば、柔軟な頭になってきたと言ってください」


 不穏な言葉を当てはめられたせいかエスカは慌てた様子で両手を小刻みに振った。


 緊張と緩和の緩急。その一連の動作でとうとうサンパツは呆れて笑いだした。


「ふふっ……はははっ。もうっ、意地悪はやめてくれ。これじゃ心臓がいくつあっても足りないよ」


 ある意味場が和んだちょうどその時に奥からお茶が運ばれてきた。


「お待たせしました」


 木の板に載ったティーカップが2つ。年季が入っていて欠けている。


「これは、香草茶の匂いですね。ええと確か……」

「フレールだ」センリが横から答える。それはアルテの勧めた品種。

「ああっ! そうでしたっ!」

「あの、実は空いた時間で働いていて。香草のお店なんですけど、そこの店主さんがとても良い方なんです。私がこの地区出身の移民と知っても快く受け入れてくれて。普段は直営の香草畑で作業をしていて、収穫したものをお店に持っていくと、お給料とは別に茶葉のおまけをくれるんです」

「悪口を言ってきたり石を投げてきたり、そんな差別してくるやつらもいるけど、中には優しい人たちもいるんだよな」


 苦境に立たされていても必ず誰か助けてくれる人がいる。そんな世界に彼らは光を見る。

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