ep.55 馬鹿馬鹿しい茶番だったな
「――待たせたかな?」
仕事を終えたサンパツがやってきた。額の汗を手でぬぐって地べたに座り込む。妻が椅子を譲ろうとしたが優しく「座っとけ」と気遣った。
「どれ、読んでやるとするかのう」
「はい、これ」
サンパツは手紙の封を切って中の便箋をクロハに手渡した。
「どれどれ……。『感謝祭の日まで芸を磨いておけ』と書いておる」
「たったそれだけ……?」
「うむ。この芸とはなんぞや」
返事をしながら手紙を返すクロハ。
「指笛のことだよ。得意なんだ。見たければ見せてあげるけど」
「ほう。面白いではないか。どれ、見せてみよ」
祖国では退屈しのぎに演芸の会を催していたクロハ。目が肥えているので芸事にはうるさい。あまり期待はせずにどうぞと手を叩いて開演の合図を送った。
「……じゃあ」
サンパツは口もとでそっと構えて演奏を始めた。
あの時センリが聞いたような美しい音色が途端に溢れ出して辺りに漂う。妻は聴き惚れていて赤子は楽しそうに笑っている。家から漏れ出した音色は外で修繕を手伝っている人たちにも届いて、その手を思わず止めていた。
間近のクロハは目も口もあんぐりと開けたままその響きにただただ魅了されていた。
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「よくやった。上出来だ」
雑多に書き込まれた調査手帳をひとしきり確認してセンリが言った。
「ふふんっ。そうであろう、そうであろう。なにせ我が直々に足を運んだのだからな」
褒められたクロハは上機嫌な様子で鼻息荒く胸を張った。
「しかし、調査とはいえ興味深いものを多く見聞きすることかできた。貧困地区のみなも主に感謝しておったぞ」
「何のことだ?」
「素直じゃないのう、くふふっ。サンパツという男が持ち帰った富をみなに分け与えたそうではないか。主に助けられたおかげだと言い添えて」
「……馬鹿なやつだ。そんな義理はないというのに」
センリはわずかに硬直していたがすぐに元に戻った。家族のためだからと命を張ったあのサンパツが思わぬ選択をしたことに驚いたのだろう。
「して、主よ。今回の調査に対する我への褒美は?」
しっかり働いたのだから当然その対価を求める。
「普段できないような体験ができただろ。それが褒美だ」
机の上の資料を整理しながらセンリがそう答えると、クロハは不満げに眉を曲げて頬を膨らました。
「それは通らんぞっ、主よ! 我はそんな冗談ではなく、ちゃんとした褒美が欲しいのだ」
「たとえば?」
「たとえば、その、ほら……情熱的な逢瀬とか、唇と唇を触れ合わせる愛しい行為とか。その、い、色々あるであろうっ!」
独りで勝手に興奮しながら話すクロハを見てセンリは立ち上がり近寄った。そして、
「――んっ」
強引に引き寄せたのち唇と唇を重ね合わせた。それは瞬く間の、ほんのわずかな出来事。
「次も頼んだぞ」
センリは澄まし顔で資料の整理に戻った。唇が離れてもなおクロハは動けずにいた。
「おっ……おっ……」
まさかのことに頬が紅潮して心臓の鼓動も激しく打っている。玩具のような角張った奇妙な動作でゆっくりと部屋から出ていった。後ろ手に扉を閉めた瞬間、緊張の糸が切れてその場にへたり込んでしまった。
「……そんなことをされては、本当に勘違いしてしまうではないか……」
愛しげに呟くクロハ。そんな彼女とは対照的に扉の向こうのセンリは落ち着いた様子で手持ちの資料に調査手帳を併せて考えを巡らせていた。
「……やはり妙だな」
まず目に留まったのは祭事行列に使う飾り物の件。それぞれが想像する火の神様を表現しているのだが、神の依代についてはほとんど知られていない。
昔は感謝祭の折りに実物を公開していたようだが、ある時を境に表舞台から遠ざかった。以降は前回の感謝祭で最優秀賞を獲得した誉れある飾り物が代わりに登壇している。
「待てよ。あとから出てきたのか……?」
神殿ができるよりも遥か昔から存在していた火の神信仰。当時からあの神の依代が崇め奉られていたのならもっと語り継がれていないとおかしい。
つまりあれは神殿の建設と同時期に滑り込んできた新参者と考えたほうが自然。歴史が浅く衆目に晒した期間が短いならなおのこと辻妻が合う。
「……なるほどな。見えてきたぞ、歴史の謎が」
点と点が線で繋がっていくことにセンリは喜びを感じた。
それからもひたすら資料と調査手帳を読み込んでいく。気になったことはすぐそばの古紙に書き留めて、繋がりそうな情報は見比べながら思考にふける。
そうして調査手帳最後の項をめくった。そこに殴り書きされていた文にセンリは思わず目を見張って、ため息をついた。
「……馬鹿馬鹿しい茶番だったな、本当に」
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深夜になって汗を流しに温泉へ行くと、当然の如く男湯にセレネがいた。
「あっ、センリ様」
見るなり嬉しそうに近寄ってくるセレネ。裸同士の付き合いにも慣れてきていて最初の頃のように狼狽する気配はほとんどない。
「――お前は、やはり双子だったんだな」
会って早々、センリは言い放った。するとセレネの足がピタリと止まって一歩うしろへと下がった。
「いっ、いきなり何を言いだされるかと思えば。そのことでしたらこの前お話ししたはずです。私とアルテは二重人格ですと」
努めて平静を装うが明らかに強張るその表情。なぜなら男の黒い眼が確信を持ってどこへも逃がそうとしなかったからだ。
「前に言っていたな。魔を引き寄せる特異体質のアルテは忌み子だと。また大いなる災いや滅びを招き寄せるとも」
「は、はい。確かに言いました」
「誰が最初に言いだした?」
「えっと、それは分かりません……。私はお父様からそう聞かされただけで」
嘘を言っているわけではなく発端となった人物については知らないようだった。
「この国には産まれてきた双子の片割れを忌み子として絞殺する慣例があったそうだな。貴族や王族の間では未だに息づいていると。セレネ。本当はアルテではなく、お前のほうが忌み子だったんじゃないか?」
「…………」急に黙りこくるセレネ。
「大事な愛娘だ。伝統よりも親としての情が勝ったんだろう」
そこまで言われてもう逃げられないと観念したのか、セレネはゆっくりと湯に浸かり直した。急く心を落ち着けるようにして深い呼吸を幾ばくか繰り返して、
「……その通りです。私たちは双子。あとから産まれた私のほうが忌み子になります」
ようやく真実を語った。
「どの辺りから分かっていたんですか?」
「最初からおかしいと思っていたが、今まで確信に足るものがなかった」
「……そうですか。ならもうセンリ様には隠し立てしても仕方がないですね。全てをお話ししましょう。何でも聞いてください」
セレネは湯の中を移動してセンリの隣へすり寄った。
「偽るにしても二重人格は少しやりすぎたな。節々からボロが出る」
「お互いにその日のことを報告して記憶を共有していたつもりでしたが、やっぱり無理がありましたね。胸の内に秘めておきたいこともきっとあったでしょうし」
双子といえども結局は他人同士。片隅にあるものまで吐露できるはずもない。
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