ep.20 ここから先は
城内を歩いていると廊下の曲がり角でエスカと出会った。
「あ、センリさん! どちらへ行かれていたのですか?」
エスカは心配そうにセンリへ駆け寄った。おそらくあのあとずっと探していたのだろう。
「お前には関係ない」
「……確かにそうですが、センリさんが出ていったあと、ふと思ったのです。これが今生の別れになるやもしれないと。そう思うと不安で居ても立っても居られなくなって……」
目を伏せたエスカは自分の手で胸をぎゅっと締めつけた。
「出ていく時には声をかける。それでいいんだろ?」
「え? あ、はい。そうしていただけると……」
予想とは違う普通の返事にエスカは戸惑った。
「なんだ? まだ不満か?」
「い、いえ。ただその……センリさんの雰囲気がさきほどとはまるで違うように感じられて……。あ、もしも思い違いだったらごめんなさい」
さきほどまで殺意を放ち激昂していた人間の変わり様にエスカは驚きを隠せなかった。
「何かと思えば馬鹿馬鹿しい。それよりもさっさと俺の部屋を教えろ」
「え、えっと、まずこの廊下を真っ直ぐ行った先にある階段で3階へ。そこから離れの宮に渡っていただければ案内の者がいるはずです」
「そうか。で、お前はこれからどこへ行く」
「私はセンリさんに会うことができたので、これから母上のもとへ」
「なら言っとけ。茶の飲みすぎは毒だとな」
「え? どうして母上のことを……」
困惑するエスカを置き去りにしてセンリは部屋に向かった。
離れの宮にあるセンリの部屋は国賓級に割り当てられる部屋だった。豪華な調度品に天蓋の付いた巨大なベッド。大人が横に5人は寝られるだろうか。備え付けられた小さなバルコニーから内に日差しが入り、白いレースのカーテンは風にそよいでいた。
センリは上着を脱いで薄着になり、その脱いだ上着を椅子に座っていた先客に向けて投げつけた。先客はそれをやんわりと受け止めた。
「ここは俺の部屋のはずだが」
「ここにおれば主に会えると思うてな」
先客はクロハだった。クロハは受け止めた上着を畳んで膝の上に載せた。
「何の用だ」
「怒りに満ちた傷負いし主の心を慰めてやろう」
「余計なお世話だ」
「受けた恩は返さねば気が済まぬ」
「なら何もするな。それが一番の恩返しだ」
「……主は頭が固いのう。黙って受ければよいものを」
「受けたところでどうせ碌なことにならない」
センリはテーブルの上に菓子入りの紙包みを置いた。そのそばには透明なガラス瓶と1人分のカップ。瓶の中には澄んだ綺麗な水が入っている。その水をカップに注いで飲みながらバルコニーの前へ。開け放たれた大窓から涼しい風が入ってきた。
「この紙包みはなんぞ? 開けてもよいか?」
クロハはテーブルの上に置かれた紙包みに興味を示した。
「何も言わぬなら開けるぞ。……む、焼き菓子ではないか」
紙包みの中から現れたのはこんがりと焼き上がったクッキーが数枚。
「食してもよいか?」
「勝手にしろ」
許しを得るとクロハはその中から1枚を手に取って食した。
「うむ。美味なり。して、これはどこで手に入れたのだ? まさか主が作ったわけではあるまいに」
「風にもらった」
「……詩人の真似事か? それとも我には教えられない人物から頂戴したのか?」
「さあな。どうだっていいだろ」
「よくはない。我と主は何度も肌を重ねた仲であろう」
「それはお前が勝手に俺の毛布に潜り込んできただけの話だろ」
「……つれないのう。心底退屈じゃ」
からかっても全く通じずクロハはがっかりした。
「俺は散歩に行く。帰ってくるまでに自分の部屋に戻れ」
センリはコップをテーブルに戻してクッキーを1枚口に咥えると、バルコニーから勢いよく飛び下りた。
「……思っていたよりも元気ではないか」
クロハは微笑んで残ったクッキーに手を伸ばした。
###
街に飛びだしたセンリはクッキーをかじりながら商店街を歩いて回った。しかし途中から時より嫌な視線を感じるようになった。それは当然人から発せられたものであるが、心当たりのないセンリにとってはただただ不愉快でしかなかった。
「……いい加減姿を現したらどうだ」
人通りの少ない場所でセンリがそう言うと、影からぞろぞろと白いローブを身に纏った者たちが出てきた。
「俺を不愉快にさせたのはお前たちか」
「我々に同行願おう。闇に染まりし者よ」
先頭に立つ白ローブの男が口を開いた。
「何を言いだすかと思えば意味不明なことを。独り善がりの芝居ならよそでやれ」
「傲慢無礼な闇の申し子に神の裁きを」
それを合図にして白ローブの者たちは一斉にセンリへ襲いかかった。軽くあしらってやろうとセンリは手をかざした。
だがしかし後方より突如として現れた黒いローブの者たちによってセンリが直接手を下す必要はなくなった。
黒ローブの者たちはセンリを守るようにして白ローブの者たちと戦っている。
「やはり現れたか、背教者どもめ……!」
白ローブの男は黒ローブの者たちをそう呼んだ。
「こちらへ」
どさくさに紛れて黒ローブの男がセンリの手を引いた。センリはまた面倒臭いことに巻き込まれたとため息をついた。
男に連れられてやってきた場所は教会だった。鍵を開けて中に入り、内鍵を厳重に閉めたあとでその男は頭巾を脱いで素顔を晒した。栗色の髪に渋い顔立ち。歳はセンリよりも一回り上のようだ。
「お怪我は?」
「ない」
「そうですか。追手を振り切ったとはいえ、ここも絶対に安全とは言い切れません。もしもに備えて次の場所へ速やかに移動しましょう」
男は正面から見て左、3列目の会衆席に近づいた。それからその横長の会衆席を素手で強引に動かした。その下にはなんと取っ手のない扉が隠されていた。
「ここから地下通路へ行くことができます。説明はそこでしましょう」
男が扉の左右にある錠を下ろすとバタンという音がして扉が下りた。ぽっかりと開いた四角い穴からは暗闇にうっすら梯子が見える。
「お先にどうぞ」
センリは言われるまま先に梯子を下りた。退屈を潰せると前向きに考えることにしたようだ。
梯子を下りた先にはさらなる暗闇が広がっていた。明かりがないので通路の先が全く見えない。上から下りてくる男がきちんと会衆席を戻してから扉を閉めたので完全に真っ暗になった。
センリが魔術で火でも起こそうかと思案した時、下りてきた男が梯子横のランタンを手にした。胸もとからロウソクを取りだし魔術で火を点けると、それを小窓からランタンの中に入れた。辺りがほんのりと明るくなる。
「歩きながら話しましょう」
男はそう言ってセンリを先導した。
長らく使われていなかった地下通路はじめじめしていて空気も埃っぽかった。所々に蜘蛛の巣が張っていて時より上から日常生活による振動が伝わってくる。
「まずはこのような事態になったことを深くお詫び申し上げます。突然このようなことになりさぞ驚かれていることでしょう」
「まあな。せっかくの気分転換が台無しだ」
「誠に申し訳ない。全ては我らの責任です」
「謝罪はもういい。そろそろ名乗ったらどうだ」
「これは失礼しました。私の名はネフライ。ドゥルージ教徒です」
男はハッとして振り返り、そう名乗った。
「ドゥルージ教? どこかで聞いたな……。それはアーシャ教とは違うのか?」
「アーシャ教は大戦以前より存在する多神教。ドゥルージ教は大戦後に興された一神教です。ドゥルージ神を信仰の対象とし教典に従って生活します。みなが人生の基盤として拠り所にする教典。それのせいで我らは二派に分裂し、あなたは命を狙われることになりました」
「ふざけた教典だな。反面教師にでもしろということか」
「教典にはこう書き記してあるのです。赤髪緑眼、金髪青眼、黒髪黒眼。これらの特徴を持つ者はこの世に大いなる災いをもたらすと」
「……ずいぶんと具体的だな」
「ええ。お察しの通り、これらの元になった方々はかつての勇者です。当時勇者の一族への非難や迫害は酷いものでした。そのような時代背景を受けて信者を募るためにあえてその文面を付け加えたのではと言われています」
「…………」
「しかしながら彼らには何の罪もありません。疑わしきものを罰するような下劣な行為をすること自体が神への背信行為に他ならない。そう考えるのが我ら新解釈派です。あなたを襲った方々は言わば原理主義派。教典に従い災いの芽を摘まんとする者です」
「……塵どもが」
センリは黙って堪えていたがとうとう苛立ちを露わにした。
「おっしゃる通りです。ですが我々は必ずや原理主義派を打倒し、新解釈派を基軸に据えます。ですからどうかドゥルージ教そのものを誤解しないでください」
そこまで言うとネフライは指をパチンと鳴らした。そして次にこう言った。
「……と、ドゥルージ教徒としての私はここでおしまいにしましょう」
「どういうことだ?」
「ここから先は……七賢者の末裔としてあなたにお話があります」
ゆっくりと振り返ったネフライの顏はランタンの灯りで暗がりに妖しく浮かび上がっていた。
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