第159話

 クラウディアから彼女に関する一通りの事情を聞いて間もなく、不意に部屋の扉がノックされた。シオンが扉を開けると、外にはリカルドが立っていた。


「ヴァンデル将軍の事情聴取、終わったよ。まあ、大体は予想通りだった。もうそろそろハンスの方も終わるだろうし、シオンくんもクラウディアちゃんと一緒にこっちの大部屋に移ってもらっていいかい?」


 リカルドはそう言って肩を竦め、促してきた。部屋を出た先にある円状の大部屋には、憔悴するヴァンデルが床に座り込んでいた。彼は両腕をリカルドの鋼糸で拘束され、自由に身動きが取れない状態でいた。皮膚に所々線状の火傷痕があるのは、恐らく事情聴取の時にリカルドから受けたものだろう。回答を渋るたびに、体を縛る鋼糸に電気を流されたに違いない。


 シオンはクラウディアに声をかけたあと、一緒に部屋を出てリカルドたちのいる円状の大部屋へ移動した。

 クラウディアは仏頂面で渋々といった様子だった。ヴァンデルはそんな彼女の姿を見るなり、拘束されていることなど忘れたかのように勢いよく立ち上がった。


「クラウディア、無事か!?」


 両腕を縛られているためにバランスをうまく保てず、一度派手に床に転がる。すぐに立ち上がると、我を忘れたようにクラウディアのもとに駆け寄った。


「どこもおかしくないか? あの黒騎士の男に何もされていないか?」


 クラウディアは、父の心配をどこか煩わしそうにして顔を顰めた。


「……大丈夫」

「今回は特に劣化時の損傷が激しかったから心配したぞ。だからあれほど基地の外に出るなと言ったんだ」


 クラウディアは顔を俯け、露骨に表情を苛立ちで歪めた。


「お父さんが大事なのは自分の立場でしょ。大国の将軍が軍を私物化して、一度死んだ娘をこんな体にしてまで生き返らせた。そのうえ、何人もの亜人を犠牲にして人体実験もしているなんて、誰にも言えないわよね」


 恨み言のように吐き捨てたクラウディアに、ヴァンデルは眉を吊り上げて微かな怒りを表す。


「クラウディア! 何度も言わせるな! 私はお前のためにすべてを捧げるつもりでいる! 何よりもお前の身を一番に案じているんだ!」

「その娘の顔を感情任せに叩いた人がよく言うわ」

「お前のことになるとつい感情的になってしまうんだ! わかってくれ! いつどうなるかわからないお前をこの基地から出すわけにはいかないんだ!」

「本当に私のことを思っているなら、好きなことをやらせて、大人しく死なせてよ」


 必死に弁明するヴァンデルに対し、クラウディアは一切目を合わせなかった。ヴァンデルは痺れを切らしたように両目を見開く。


「何故そんなことを言う! お前の体はきっと治る! メンゲルもいつか必ず完治する方法があると――」

「完治って……これ、もう病気でも何でもないじゃない」


 羽虫の音のような頼りない声量だったが、クラウディアの口調はヴァンデルを黙らせるには十分すぎるほどに重かった。


「生きているのか、死んでいるのか。人間どころか、生物と呼べるのかもわからない――せいぜいよくて、ゾンビだわ」


 その言葉を最後に、クラウディアは沈黙した。

 怨恨を孕んだ娘の本音を聞いて、ヴァンデルは狼狽えながら後退る。そこへ、救いの手が伸ばされたかのように、小部屋へと続く扉の一つが開かれた。そこから出てきたのはハンスとメンゲルだった。


「メンゲル!」


 メンゲルの姿を見るなり、ヴァンデルが声を張り上げた。


「例の研究はどうなった! 肉体と“魂”を――」

「さっき娘さんを治療するために中断したままですよ。まだ何も結果は出ていない」

「今すぐ再開しろ! 娘の命はお前にかかっている! 早く!」

「それが暫くできなさそうでしてね」


 乱心したかのように喚くヴァンデルを、メンゲルはその一言で静かにさせた。


「な、なぜ!?」

「そこの騎士様に聞いてもらえますかね」


 メンゲルは肩を竦めて隣を見遣る。その視線の先を追ったヴァンデルの双眸には、冷たい表情で淡々と佇むハンスの姿が映った。


「“流転の造命師”フリードリヒ・メンゲルは私たちが騎士団本部へ連行する」


 ヴァンデルは、まるで死刑宣告を言い渡されたかのように血の気を失わせた。愕然とする彼の傍らに、リカルドが不憫そうな面持ちで立つ。


「将軍、さっき俺が言った通りでしょ。“流転の造命師”を放っておくわけにはいかないって。彼は教会が禁じている非人道的な人体実験を教皇の指示で進めている。そんなこと、騎士団は黙って見過ごせませんよ」


 ヴァンデルの青ざめた表情が、徐々に憤怒に染まっていく。額に青筋を浮かび上がらせ、強い歯噛みによってこめかみが大きく隆起する。

 そんな父の姿を見かねたように、クラウディアが一歩前に出た。


「ねえ、お父さん、もういいでしょ! 私、こんな体で、しかも何の罪もない亜人の命を犠牲にしてまで生きたくないわ!」

「お前は私の言うことを聞いていればいいんだ! 黙っていろ!」


 娘の嘆願など一切聞く耳を持たず、ヴァンデルは身勝手に吠えた。畏縮して体をびくつかせるクラウディア。それを見たリカルドが、嘆かわしそうに頭を小さく横に振った。


「今時珍しい頑固親父――というより、拗らせ親父かな。年頃の女の子が一番嫌いそうなタイプだ」


 そんなリカルドの小言に、ヴァンデルが神経質に反応する。


「何も知らない貴様らにとやかく言われる筋合いはない!」

「当事者の私の言うことだって何も聞かないくせに!」


 目にうっすらと涙を浮かばせるクラウディアが、喉を張り裂くような声を出した。


「お願い! せめて最期に外の世界を見せて! それさえ叶えば私は――」

「馬鹿なことを言うな! お前は何が何でも私が生かしてみせる! 誰が何と言おうとな!」


 ヴァンデルは決死の形相でハンスを睨む。


「ハンス卿! この際、メンゲルを騎士団へ連行しても構わない! だが、クラウディアの治療は続けさせてもらえないか!」

「無理だ。その娘を活かすために、一体どれだけの人体実験を繰り返すことになる」


 無情かつ冷淡に言い放ったハンスだが、ヴァンデルは怯むどころかより狂暴な目つきになった。


「貴様らこそ、神と教会の威光を盾に人殺しを正当化する殺し屋集団だろうが……!」


 狂犬の唸り声の如く、ヴァンデルが吐き捨てた。

 リカルドが、一本取られたと、肩を竦めて嘆息する。


「酷い言われようだね。否定はしないけど」


 それに同意するようにハンスが軽く目を伏せる。しかし、すぐにヴァンデルを目に据えた。


「将軍、もう諦めろ。何と言われようと、我々はメンゲルを騎士団本部へ連行する。その後、然るべき処置を――」

「それは困る」


 ハンスの言葉を遮ったのは、この場にいる誰の声でもなかった。

 刹那、大部屋の床、壁、天井のすべてが瞬き一つの間に黒く染まり上がる。それに誰かが驚きの声を上げる間もなく、クラウディア、ヴァンデル、メンゲルの三人が、突如として各々の足元に現れた黒い影に飲み込まれ、一瞬のうちに姿を消してしまった。


 円状の大部屋に取り残された三人――シオン、リカルド、ハンスが立つ中央に、“奴”は忽然と姿を現した。


「パーシヴァル!?」


 シオンが驚愕した瞬間、パーシヴァルが目にも止まらぬ速さで飛びかかってきた。パーシヴァルの開かれた掌がシオンの頭部を掴もうとするが、シオンはそれを防御しようと両腕を×の字に交差させて構える。

 しかし――


「こいつの攻撃を受けるな!」


 ハンスの一声と共に、シオンとパーシヴァルの間に三本のハルバードが上空から降り注いだ。そのうちの一本をパーシヴァルが掴み上げた途端、そのハルバードは掴まれた箇所から異様な土色に変色する。そして、間髪入れずに爆発を引き起こした。

 シオンは、爆発に巻き込まれる間一髪のところで、身体をぐんっと後ろに勢いよく引かれた。リカルドが鋼糸を使ってシオンを爆発から守ったのだ。

 シオンは後ろに吹き飛びながら理解した。パーシヴァルが、ハルバードを魔術によって爆発物に作り変えたのだ。もしあれに体を掴まれていたら、シオンは人間爆弾になっていただろう。


 シオンが受け身を取って立ち上がると、両脇にハンスとリカルドが付いて臨戦態勢に入った。


「パーシヴァルを魔術師と思わない方がいい。奴の戦い方は格闘術主体だ」

「触れたら何されるかわからないよ。掴まれたら即死だと思ったらいい」


 黒騎士と議席持ちの騎士二人を前に、パーシヴァルは不敵に笑いながら法衣を脱ぎ捨てた。露わになったのは、身体のラインがはっきりとわかる黒い細身の戦闘用スーツを着込んだ姿だ。続けて眼鏡を外して放り投げると、首元から延びた黒い液体が彼の頭部を丸ごと覆い、ガラス質のマスクを形成する。


「メンゲルが逃げ切るまで少し付き合ってもらうよ」


 マスクの下で反響するパーシヴァルの声から、彼が嗤笑を浮かべていることは明白だった。

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