第102話

 アームレスリングで使用した酒樽がすべて撤去され、会場には新たな舞台が設営された。運営スタッフのライカンスロープたちが瞬く間に組み立てたのは、四方を金網で囲まれた即席の闘技場である。次の種目である模擬決闘はそこで実施されるらしい。


「さあ、それでは抽選会最終種目、模擬決闘に参りましょう! このゲームで使用するレイピアは模造品ですが、それでも相手に強くぶつけると大怪我をすることがございます! どうか皆様、最新の注意を払ってゲームに臨んでくださいませ!」


 司会者からの注意を促すアナウンスを聞いて、“デーモン・ジャック”は一人ほくそ笑む。その視線の先には、“漆黒のイケメンナイト”の姿があった。


 模擬決闘は、刃を落としたレイピアを使い、相手の左胸に差された薔薇の花をどちらが早く落とすことができるか、一対一で競うゲームだ。競技で使うレイピアで物を斬ることはないが、鋼の棒であることには変わりはなく、打ち所が悪ければ失明などの大怪我を負いかねない。一応は専用の防護服を上半身に着るのだが、頭と下半身は特に何もつけないため、参加者たちは防護服で守られている上半身を攻めることをマナーとして暗黙的に求められる。


 だが、“デーモン・ジャック”のように、そもそもとしてこの模擬決闘に喧嘩目的で参加するような輩は、微塵もそんなことを気にしていなかった。

 あまつさえ、


(俺のレイピアは運営が寄越した物とこっそり取り違えて、本物にしてある。あのいけ好かない“漆黒のイケメンナイト”とかいう奴を模擬決闘でぼこぼこにしてやるよ)


 本物のレイピアを持ち出し、標的とする相手を完膚なきまで打ちのめそうという魂胆である。

 “デーモン・ジャック”は、模擬決闘で“漆黒のイケメンナイト”と対戦できるように対戦表を細工済みで、すべての準備を整えている状態だった。あとは、実際に彼を試合で斬り刻むだけである。


 先ほどの小さな笑みは、“漆黒のイケメンナイト”が血だらけの姿で地面に伏している姿を思わず想像してしまったために、堪えきれず漏れてしまったものだ。


「さあ、白熱した試合が続き、まだまだ観戦したいという方が多くいることと存じ上げますが、残念ながら次の試合が最後となります。ですが! この二人の戦いは、最後の決闘に相応しい最注目カードとなっております! 双方、これまでのゲームで他の参加者とは別格の成績を残してきた英傑です! それでは早速参りましょう!」


 そうこうしているうちに、自分たちの番が回ってきたと、“デーモン・ジャック”は気を引き締める。

 闘技場の入り口まで運営スタッフに誘導され、“デーモン・ジャック”は東口、“漆黒のイケメンナイト”は西口にそれぞれ付いた。


「東側、抽選番号一一二番、“デーモン・ジャック”!」


 司会者が紹介すると、野太い男の歓声が上がった。この街のチンピラ仲間たちが、金網を揺らしながら怒号のような迫力ある声援を“デーモン・ジャック”へと送っている。闘技場に入場した“デーモン・ジャック”はそれらを一身に受け、どこか得意げな顔でレイピアを掲げてさらに場を盛り上げた。


 続けて、


「西側、抽選番号一一三番、“漆黒のイケメンナイト”!」


 今度は、“デーモン・ジャック”とは対照的に、甲高い女の声援が沸き起こる。“漆黒のイケメンナイト”が、どこか不機嫌そうに、仮面越しでもわかるほどの仏頂面で闘技場に入ってきた。


「イケメンナイト様あああ! ああああああ! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」


 何故かこの短期間で出来上がってしまった“漆黒のイケメンナイト”のファンクラブのメンバーが、今にも昇天しそうな勢いで奇声を上げる。その異様な女性人気は、もはや狂気すら感じさせるほどだった。

 “デーモン・ジャック”は、そんな光景を見て、唾を吐き捨てながら舌打ちをする。


(クソが! さっきから無駄に女から人気ありやがって! 手足を一本ずつぶった切ってやる!)


 威嚇するように“漆黒のイケメンナイト”を睨みつけるが、彼はそんなことなどまったく気にしていないようで――というより、意識がここにあるのかどうかも怪しい佇まいで、棒立ちしている。さっさと終わらせて帰りたい――そんな心中が、彼の態度からひしひしと伝わってきた。


(な、舐めた態度を……!)


 “デーモン・ジャック”の怒りは、最高潮にまで引き上げられた。


「それでは両者、構え!」


 司会者が号令を出し、高々と腕を上げる。

 “デーモン・ジャック”は、レイピアを持つ右手側の身体を一歩前に出し、レイピアの切っ先を“漆黒のイケメンナイト”へ向けた。一方の“漆黒のイケメンナイト”は、特に何も構えず、棒立ちのまま、“デーモン・ジャック”を真正面に据えている。ちょうど、“デーモン・ジャック”の身体が、“漆黒のイケメンナイト”に対して垂直になったような位置取りだ。


(そうやって余裕こいてろ。てめぇの眼球、抉り出してやるよ!)


 “デーモン・ジャック”が息巻きながら、体をリズムよく小さく揺らす。

 そして――


「――はじめ!」


 司会者が腕を振り下ろし、競技が開始された。


 刹那、“デーモン・ジャック”の胸元を、何かがとんでもない速度で駆け抜けた。高速で駆け抜けた物体は、彼のレイピアを小枝の如く折り、胸元に差してあった薔薇を防具ごと粉々にした。飛翔物体はその勢いを維持したまま金網へと到達するが、その金網もまた無残に貫通する。“それ”が、“漆黒のイケメンナイト”が投擲した彼のレイピアであると判明したのは、闘技場から少し離れた場所にあるレンガ造りの壁に衝突し、激しい轟音と砂ぼこりを上げて、ようやく静止してからのことだった。


 まるでバリスタが飛ばされたかのような衝撃に、会場の全員が言葉を失って固まる。

 “デーモン・ジャック”に至っては、魂を抜き取られたように、驚愕と戦慄で石像の如く硬直していた。数拍の間を置いて、“デーモン・ジャック”の衣服が、破けた胸元からずるりと地面に落ちる。投擲されたレイピアが破壊したのは、あくまで“デーモン・ジャック”の装備と薔薇であり、彼の表皮には傷一つ付けていなかった。


 その時の音で、やっと司会者がハッとし、慌てて“漆黒のイケメンナイト”の方の腕を上げる。


「しょ、勝者、抽選番号一一三番、“漆黒のイケメンナイト”!」


 それまでの静寂を突き破るように、地鳴りのような歓声が一斉に沸いて上がった。ファンクラブの女性陣に至っては、もはや声を上げることもなく、続々とうっとりした顔のまま昇天して地に伏していった。

 “漆黒のイケメンナイト”はそれに応えるでもなく、さっさと金網の外へと踵を返してしまう。


 金網の中の闘技場には、無様にも胸から下の衣服を失い、毛深い体をさらけ出した状態のままで立ち尽くす“デーモン・ジャック”だけが取り残された。


「……ば、化け物」


 彼は最後にその一言だけを発し、緊張の糸が切れたように、口から泡を吹いて倒れ込んでしまった。







「やったぜ! 兄貴、楽勝だったな! ちょっとやり過ぎな感じもするけど」


 シオンが金網の外に出ると、ソーヤーが嬉々として迎えてくれた。互いに出した右手を勢いよく叩いてハイタッチし、勝ち残った喜びを分かち合う。

 シオンは首を左右に倒しながら腕を回した。


「思ったより楽にパーティに参加できそうで何よりだ。早速この後、ネヴィルと次の計画について――」

「当選者の皆様! 大変申し訳ございません!」


 突如、総合司会者が謝罪の申し入れを声高に叫んできた。

 嫌な予感がしつつも、シオンは若干の緊張を孕んだ面持ちで総合司会者を見遣る。


「抽選会を勝ち抜き、見事、総督主催のニューイヤーパーティの参加チケットを手に入れた皆さまですが――こちらの手違いにより、当選者をあと少しだけ絞らざるを得ない状況となってしまいました!」


 そのアナウンス内容に、会場が静かにざわめく。


「そこで、急遽なのですが、第四ゲームを開催させていただきたいと思います!」

「はあ!? ふざけんな!」


 総合司会者の一方的な宣言に、ソーヤーがすかさず不満の声を上げた。それを皮切りに、抽選会を勝ち抜いた参加者から続々と怒りの声が上がる。あまつさえ、総合司会者に向けて物や石が投げられる始末だ。

 しかし、総合司会者はそんな中でも健気に進行を続ける。


「お、お手間を取らすようなことは致しません! ちょっとした二択問題です! それに参加いただき、定員になるまで続けるサバイバル形式の勝ち抜き戦とさせていただこうと思っております! 準備のため、少しばかりお時間をください!」


 会場内から、落胆と疲弊の声が続々と上がる。しかし、このままでは埒が明かないと、すぐに諦めの雰囲気になった。

 それは、シオンとソーヤーのコンビも同様で、


「面倒くせぇ。折角勝ち抜いたのに」

「ここまで来たんだ。やるしかない」


 すぐに気持ちを切り替え、次の種目に臨むことにした。


 そんな時、ふとシオンの目に留まった人物たちがいた。それは、抽選会が始まる前に、チンピラに絡まれていた小奇麗な恰好をした中年の男である。隣には、彼の連れと思しき女性もいる。どうやらあの二人も、抽選会のゲームを勝ち抜いたようだった。


「兄貴、どうしたんだよ? 少し前からあの男女のペアのこと、ちらちら見てるよな?」

「……あの二人、どこかで見た気がしてならないんだ」

「どこかで見たって……二人とも仮面してるぜ? しかもフルフェイスの。顔なんてわからねえよ」


 ソーヤーの言う通り、フルフェイスの仮面をしている人物に対して、どこかで見たという評価をするのもおかしい話である。しかし、その立ち振る舞い――いわば、歩き方や姿勢を見て、シオンはどことなく小奇麗な男に対し、既視感を覚えていた。

 幸い、仮面をしているおかげで、じろじろ見ていてもこちらからの視線は気付かれていないようだと、シオンは思っていたが――


「――!?」


 視線を外そうとした際のほんの一瞬、小奇麗な男が、シオンの方を確かに見遣っていた。シオンは驚きで心臓が跳ねる感覚になりながらも、どうにか平静を装って距離を取る。


「お、おい、兄貴。急にどっかいかないでくれよ」


 ただの偶然だろうか――小奇麗な男に背を向けた状態で離れていっているが、彼からの視線はもう感じない。安心したような、それでいて煮え切らない不気味な悪寒に、シオンは思わず息を呑んだ。

 いったい、あの二人は何者だろうか――隣から顔を覗き込んでくるソーヤーに構わず、そんな疑念がシオンの頭の中で展開されていく。


 だが、そんな意識もすぐに抽選会へと呼び戻された。

 二択問題の準備が整ったらしく、総合司会者が会場の舞台に再度姿を現す。


「さてさて、準備が整いましたので、早速問題の出題と参りましょう! 第一問!」


 司会者が立つ壇上には、A、Bとそれぞれ書かれた巨大な看板が立てられていた。二つの看板の間にはロープが一本敷かれており、どうやら、それを境に解答となる看板の前に立てということらしい。


「我らがラグナ・ロイウの総督、イザベラ・アルボーニ様の大好物はどっち! A、イカ墨のパスタ! B、干し鱈のクロスティーニ! さあ、お選びください!」


 会場から短い驚愕の声が上がった。そんなこと知るか――そんな怒号が、至る場所で起こる。

 それはシオンも同様の心境で、


「わかるわけないだろ、そんなこと。そもそもクロスティーニってなんだ?」


 まったく予想していなかった問題に、思わず狼狽えかける。イザベラはエレオノーラの母親と聞いていたのに、何故、姓が違うのか、などといった疑問も一緒になって生まれてしまい、珍しく冷静さを欠いてしまっていた。

 そこへ――


「兄貴、Bが正解だ」


 ソーヤーが、静かに、だがしっかりとした声色で、そう言ってきた。

 子供らしからぬいつになく険しい雰囲気に、シオンは仮面の下で眉を顰める。


「わかるのか? 根拠は?」

「大丈夫。これは間違いない」


 ソーヤーは頷き、仮面越しの双眸には確信を得た力強い輝きを灯していた。

 半信半疑であったものの、シオンはすぐにソーヤーと一緒にBの看板の前に立つ。それから数秒遅れて、他の参加者たちもA、あるいはBの看板の前に並んでいった。


「それでは正解発表と参りましょう! 正解は――B、干し鱈のクロスティーニでした!」


 そして、見事、ソーヤーの解答が正解する。Bの前に並ぶ参加者たちから歓喜の声が上がる中、シオンは若干の驚きを孕んだ視線で、隣のソーヤーを見た。


「ソーヤー、何でイザベラの好物なんて知っていたんだ?」

「……たまたまだよ。何で知ってたのかは、俺も忘れた」


 自分の手柄で勝ち残ることができたというのに、ソーヤーはどこかしおらしく、元気がなかった。いつもの調子なら、ハイタッチを求めてくるはずなのだが――シオンは、不信感にも似た違和感を、この時のソーヤーに抱いた。


「おっと、第一問にして見事に正解者が抽選枠の定員と同じ数になりました! 正解者の皆さま、おめでとうございます! 今度こそ、ニューイヤーパーティの参加権を獲得されました!」


 正解者の集計が終わったのと同時に、総合司会者がそう叫んだ。

 どうやら、一問目でニューイヤーパーティの参加定員と同じ数になったようである。阿鼻叫喚の喧騒が会場を包んだ。


 何とかなった、と、シオンが少しばかり胸を撫で下ろしていると、運営スタッフが、抽選会の景品であるニューイヤーパーティ用の仮面を配り出した。シオンとソーヤーのもとに、大人用と子供用の二枚の仮面が手渡される。


「こちらがニューイヤーパーティの参加証となる仮面でございます。会場は総督の宮殿内広場です。十六時に受付が始まりますので、どうかお間違えの無いよう、よろしくお願いいたします」


 仮面は白を基調としたもので、複雑な模様が金の差し色で描かれている。裏には偽造防止のための記号が書かれており、パーティに入場する際はそれを提示する旨を、運営スタッフから伝えられた。


 十六時開始なら、ネヴィルと計画の打ち合わせをした後も少し休むことができるなと、シオンは再度安堵した様子で短く息を吐いた。


 と、その時、不意に横を通り過ぎた二人の影があった。

 それは、あの小奇麗な男と、その連れの女だ。


「ううむ……折角、抽選会を勝ち抜いたというのに、最後の最後で脱落してしまったか。無念ですな」

「致し方ありません。運が悪かったと、諦めましょう」


 あの二人は、最後の二択問題で落選してしまったようである。聞き耳を立てるつもりはなかったが、パーティに参加するのをそれなりに熱望していた様子だ。


 シオンは、そんな二人の背中を再度見つめた。


 やはり、あの二人とはどこかで会った気がしてならないと、胸騒ぎにも似た異様な既視感が拭えなかった。

 このまま無事に、イザベラの宮殿に入り、エレオノーラと接触できるのか――どういうわけか、すんなりと行く気がしないことに、少しばかりの鬼胎を胸中に抱いた。

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