第81話

 ハーフエルフ――その言葉が意味するところは、つまり――


「“リディア”は当初、約八十年間、エルフとして修道女を務めていました。ですが、のちにハーフエルフという事実が明るみになり、残念ながら我々騎士団によって処分されてしまいました」


 そういうことなのだ。教会は亜人と人間の混血を認めていない――かつて、シオンが言っていた言葉が思い出される。

 それに加えて、


「こ、恋人――ですか?」


 “あのシオン”に、恋人がいたという事実が信じられなかった。確かに、モテる男であるとはステラも認識していたが、誰か一人の女性に身を固めるような男に見えないとも思っていた。それとも昔は――自分が知らないシオンの姿があるのだろうか、などと、この短い瞬間に色んな考えが頭の中で目まぐるしく回る。


「ええ。聖王教の聖職者は、騎士を含めて恋愛を禁止しているのですが、あの二人は“やるところまでやってしまいましてね”」

「“や、やるところまでやってしまいましてね”!?」


 上ずった声でステラが叫ぶと、イグナーツとリリアンが真顔で見つめてきた。妙な間が生まれ、ステラは急に恥ずかしくなってソファに大人しく座る。


「す、すみません……」

「続けますね」

「はい……」


 ステラはしおらしく頷き、イグナーツの話に傾聴する。


「正直な話、男女間の恋愛だけであれば、そこまで大事にはならなかったのですよ。人間と亜人の恋路なので問題であることには違いないのですが――ぶっちゃけ、こっそり恋愛を楽しんでいる聖職者は少なくないのが現状です。子供さえ作らなければ、まあバレずによろしくやってね、という感じですね」


 イグナーツは心底嘆かわしそうに肩を竦めたが、すぐに表情を引き締める。


「ですが、“リディア”がハーフエルフだったという事実が事態を急変させました。なにせ、彼女は亜人の人権復興に大いに貢献し、修道女でありながら教会内で非常に大きな力を持つまでに至ってましたからね。そんな修道女が、実は教会が排斥する混血だったとわかり、教会内部は大いに荒れました」


 “リディア”の話を聞いて、ステラはひとつの仮説が浮かんだ。すぐにイグナーツに訊くと、


「もしかして、騎士団分裂戦争の教皇派と分離派っていうのは――」

「お察しの通りです。これまで潜在的に教会の保守的な考えに不満を持っていた勢力が、“リディア”の擁護を口実に、ここぞとばかりに勢いを増しました。これこそが、分離派の正体です」


 予想していた通りの回答が返ってきた。

 ステラはさらに質問を続ける。


「じゃあ、シオンさんはその分離派の勢いに乗って、“リディア”さんの敵討ちを?」

「いえ、それは少し違います」


 意外な答えに、ステラは、え、と短く呆ける。


「確かにシオンはこの一件で教会と教皇を酷く憎みました。ですが、彼はあくまで“リディア”との約束を守ることを優先したのです」

「約束……?」


 ステラが神妙な面持ちで訊いた。

 イグナーツは、視線を外しながら、徐に口を動かし始める。


「彼女の遺言――“どうか、罪のない亜人たちを守ってほしい”という思いを受け継いだのです。やりようによっては、シオンは“リディア”を騎士団の拘束から救出して、大陸の外に逃げ出すなんてこともできたでしょう。ですが、彼は何よりも“リディア”の意思と、自らの騎士としての矜持を優先したのです」

「……と、いうのは?」

「教会の意向を無視して、亜人たちを救いにいったんです。単騎でガリア軍を相手に」

「ひ、一人で!?」


 シオンの強さは知っている。だが、この話に限っては、あまりにも規模が大きい。ガリア公国が動かす軍隊も相当な規模であったことは容易に想像できるが、まさかシオンはそれをたった一人で相手にしていたというのだ。

 あまりにも無謀な行動に、ステラは思わず声を上げてしまった。


「その時、ガリア軍お得意の強化人間部隊は亜人狩りに参加していなかったようなのですが、それでもさすがにシオン一人では限界がありました。ですが、そんな彼の心意気に魅かれ――いえ、もとから彼には変なカリスマがありましたからね。劣勢でなくとも、自ずと彼に続く騎士たちはいたでしょう」

「……そこから、騎士団分裂戦争が始まったんですか?」


 恐る恐る訊いたステラに、イグナーツは重々しく頷く。


「“リディア”の死こそ大きなきっかけであれ、何かが決定打となって始まった、というわけではないのです。初めは、暴走したシオンを引き止めるという騎士団のちょっとした任務から始まり、そこから徐々に、徐々に、という感じです。シオンに賛同する騎士たちが少しずつ数を増やし、そのたびに騎士団は彼らを止めるために応援を増やしていった。いつしかそれは追いかけっこではなく、教皇派と分離派という対立構造にあてこまれ、大規模な騎士同士の戦争になり果てました」


 ステラが息を呑む。


「界隈では、シオンが“リディア”の敵討ちのために引き起こした身勝手な戦争と言われていますが、実態は違います。シオンはあくまで、“教会が本来目指すべき姿”に則って戦い、騎士団もまた教皇庁の意思に従って応戦したのです。それに、戦争なんて言葉で表現されていますが、騎士団からしてみれば鴨撃ち同然の弾圧でした。ガリア軍から逃げる亜人を手助けする騎士を、ひたすらに殺すだけでしたから」

「――!」


 イグナーツのその言葉に、ステラは激昂した。


「そこまでわかっているなら、どうして騎士団はシオンさんを助けてあげなかったんですか!? 自分の恋人を助けることができたかもしれないのに――それよりも、本来あるべき大義を優先して戦ったのに、どうして騎士団は――」

「そんなことをすれば、大陸全土を巻き込んだ戦争になりかねなかった」


 ステラの言葉を予測していたかのように、イグナーツが遮った。


「騎士団にも正義はありますが、それは決して感情で行使していいものではない。所謂、“政治”ですよ、ステラ王女。もしそこで、騎士団が全面的にシオンを支持し、一緒になって亜人を手助けすれば、取り返しのつかないことになっていた。感情優先な考えで、教会が排斥するハーフエルフを庇い、あまつさえ教皇庁の決定を無視し、大国の軍隊を“大陸最強の戦力”で攻撃する――こんなこと、国際社会が認めると思いますか?」


 ステラは何も言い返せなかった。イグナーツの言う通りだと、思うしかなかった。

 そんな彼女を余所に、イグナーツはさらに続ける。


「私もこの真実に辿り着くのに、かなりの時間と労力をかけました。ⅩⅠ番とⅩⅡ番が大陸中を駆け回ってくれなければ、騎士団分裂戦争勃発の真相は永遠に闇に葬られていたでしょう。シオンと仲の良かったあの二人だからこそ、知ることのできた真相です」


 シオンと旅をしてきた中で抱いた彼への疑問が、一気に解消された。

 シオンが教皇を憎んでいた理由、シオンがエルフのエルリオから敬われていた理由、シオンが人間とライカンスロープの恋路に関心を示していた理由――それらすべてが、イグナーツの説明で理解できた。

 あの人は、いったいどんな思いで、自分と一緒に旅をしていたのだろうか――考えれば考えるほどに、涙が止まらなくなる。


「それでも、あんまりです……!」


 嗚咽を堪え、声を絞り出す。


「シオンさん……報われなさすぎます……!」


 握りしめた両拳に、涙がぽたぽたと落ちていく。リリアンがすかさず駆け寄り、ハンカチを差し出してきた。


「なんで、なんでですか……! 一番正しいことをやっていたのは、シオンさんじゃないですか……!」

「その通りです。ですが、戦犯として黒騎士に認定された以上、我々騎士団は彼を殺すしかなかった」

「意味が分かりません!」


 すかさず叫んだステラだが、イグナーツはその言葉を待っていたかのように、いたって平静だった。


「騎士団分裂戦争以降、騎士団の立場は急落しました。教会は、教皇、聖女、騎士団の三つの勢力で均衡を保っていますが、戦後、失態を犯した騎士団の力は著しく弱まりました。簡単に言えば、黒騎士を生み出してしまったがために、騎士団としての体裁を保つため、教皇の言いなりになるしかない状態だったのです」

「だから、教皇の言いなりになって、シオンさんを殺すしかなかったって言いたいんですか?」

「はい」


 イグナーツに食って掛かりそうなステラだったが、すぐさまリリアンにやんわりと諫められた。

 噛み締めた歯列の隙間から吐き出すような呼吸をしながらも、ステラはどうにか自分を落ち着かせる。


「ですが――」


 そこへ、イグナーツが静かな声を差し込んだ。


「黒騎士の死を以て、我々騎士団は、ようやく教皇に真正面から向き合える」


 その言葉の真意がわからず、ステラは涙を流したまま呆ける。

 イグナーツが、少しだけ表情を和らげた。


「今までが過去のお話し。そしてここからが、御身のお話になります、ステラ王女」

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