第79話

 不意に部屋のドアノッカーが鳴らされたのは、昼食を終えて一息つこうとした時だった。ステラは、リリアンが入れた紅茶に手を伸ばしたが、すぐにまたテーブルに置いて、ソファから立ち上がろうとする。だが、すぐにリリアンに制止され、代わりに彼女が来客の応対をした。


 リリアンが、扉を開けた先の来訪者を見るなり、深々と一礼をした。


「失礼いたします。お久しぶりでございます、ステラ王女」


 そう言って部屋に入ってきたのは、黒い長髪が印象的な男の騎士――騎士団副総長、イグナーツ・フォン・マンシュタインだった。


 イグナーツの姿を見るなり、ステラは咄嗟に身構える。ステラが最後に彼を見たのは、偽物騒動後にシオンが交戦した時――つまり、敵として対峙した時以来だ。当時はステラの身柄を要求し、シオンの殺害を仄めかした男である。警戒するなということに無理があった。


 青ざめた表情でソファから立ち上がるステラを見て、イグナーツは彼女のそんな胸中を察したのか、すぐに一歩下がって跪いた。


「突然の謁見の申し出、どうかお許しください。本来であれば事前に――」

「何をしに来たんですか!」


 大開口窓のところまで下がったステラが声を荒げた。まるで小型犬が威嚇するようなその姿に、イグナーツは小さく息を吐いて徐に立ち上がる。


「どうか落ち着いてください。確かに、最後にお会いした時は敵対する立場でしたが、今は違います」

「シオンさんを殺す指示を出した人の言うことなんて信じられません!」


 イグナーツはすぐさま傍らのリリアンに目を馳せる。


「リリアン卿、私に関して、何をどこまでステラ王女に話したんですか?」

「私がステラ様にお話ししたイグナーツ様に関する情報としましては、黒騎士討伐任務における最高責任者であること、グラスランドにおける黒騎士討伐隊構成員を手配したこと、ステラ様をここで保護するよう私に命じられたこと、をお話ししました」

「なるほど。敵意をむき出しにされるわけです」


 その説明を受けて、イグナーツは納得しながら嘆息した。だが、すぐに表情を引き締めてステラに向き直る。


「ステラ王女、この際このままで結構です。ですが、どうか私の話すことに耳を傾けてはいただけませんか?」

「嫌です!」


 即答して、ステラは手で耳を塞いできつく目を閉じた。

 イグナーツはやれやれと首を横に振り、軽く肩を竦める。それから自身の口に右手を添え、わざとらしく声を張り上げた。


「何故、今こんな状況になっているのか、知りたくありませんか?」

「聞いたところでどうせまた騙されます!」

「シオンが黒騎士になった背景と、そのあとステラ様と旅をすることになった経緯を知りたくありませんか?」


 ぴくり、とステラが反応した。


「私たち騎士団がやろうとしていること、ステラ様のこれからのこと、知りたくありませんか?」


 餌に食いついた魚を一気に引き上げるように、イグナーツはステラが興味を引きそうな話題で畳みかけた。

 ステラは、恐る恐るといった様子で目を開き、耳を塞いでいた手を離し始める。それから視界に入ったのは、いつの間にかテーブルの上に用意された豪勢なお茶菓子類だった。


「お近づきの印の粗品です、どうかお召し上がりください。リリアン卿が入れてくれた紅茶が冷めないうちに――と、まあ、そうやって優雅に楽しみながら聞ける話ではないですがね」


 最後の一言がやけに不穏だと感じつつ、ステラは渋々とソファに腰を下ろすことにした。決して、テーブル上からする甘い臭いに魅かれたわけではないと、自分に言い聞かせながら。続いて、イグナーツとリリアンが正面に立つが――


「……あの、落ち着かないので、お二人も座ってください」

「さようでございますか? では、お言葉に甘えて」


 そう言われるのを待っていたかのように、飄々とした所作でイグナーツがソファに腰を下ろす。リリアンもそれに倣うと思ったが、上司の手前、遠慮しているのか、それとも騎士特有の習わしがあるのかはわからないが、ソファのやや後ろの位置で静かに佇み始めた。

 毎度毎度の騎士たちの不要な配慮に溜め息を吐いたあとで、ステラは改めて正面の二人を見据えた。


「そんな怖い顔をなさらないでください。まずはお茶でも飲んで、落ち着いていただければと。お菓子も好きなだけ召し上がってください」


 ステラが何かを言う前に、イグナーツがそう進めてきた。そんなに食べたそうな顔をしていたかと、ステラは無意味に恥ずかしくなり、頬を少し赤らめた。

 それから軽く咳払いをして、


「あの、それで、私に話したいことって何ですか?」


 すぐに本題へと入るように促した。

 イグナーツは小さく息を吐いて、その青白い顔の緊張を自ら和らげる。


「先ほど申し上げた通りです。何故、今このような状況になっているのか、これから何が起ころうとしているのか、ステラ王女がこれからどう関わっていくのか――それをお伝えしようと思っています」


 穏やかな口調に反して、イグナーツにはやけに重々しい迫力があった。

 ステラは息を呑むようにして体を強張らせる。


「少し長くなります。途中、休憩を挟みながらお話ししようとは思うのですが――先に、最も重要な事をお伝えしようかと」


 急に神妙な面持ちになったイグナーツに、ステラは訝しげに眉を顰めた。


「最も重要な事?」


 イグナーツが、これから内緒話をするかの如く前屈みになる。


「今この状況における、騎士団の目的です。我々は、現教皇アーノエル六世を罷免し、異端審問へかけることを目的に動いています。そのためには、ステラ王女、ログレス王国の次期女王である貴女のお力が、我々には必要なのです」


 思いがけない要請に、ステラは言葉を失い、目を剥いた。

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