2-21 ベヒモス1
四皇獣ベヒモス。
最強の一角と呼ばれるモンスターの真価の一つが、威圧的な巨体にあるのは間違いない。
動く自然災害と呼ぶに相応しい巨体を前に、相対する者はまず途方に暮れるだろう。その運命は尻尾を撒いて逃げ出すか、為す術なく潰されるか。
それでも一矢報いようと武器を手に取る者は、次にベヒモスの堅さに絶望することだろう。
甲羅のような岩盤はただの岩にあらず、ベヒモスの内側より再生し続ける鱗そのもの。
物理、魔術ともに高い耐性を持つその鱗は竜の名に相応しい硬度を持ち、またベヒモスの意思により鱗を針のように変形させて相手を射ることも容易い。
それほどの存在が大地を闊歩する事態に、フロンティア各所のエルフ達は当然のように恐怖を覚えた。
が、その恐れはすぐに、ベヒモスの頭上に乗った男により払拭される。
「刮目せよ、そして安堵せよ! 大地より現れし四皇獣ベヒモスは今、常勝にして最強たる我、プルートの手にある! フロンティアの民よ。そなたらを地獄に突き落とし聖女を、今より我が手で倒してみせよう!」
「し、将軍様……?」
将軍プルートの名は人類殲滅の立役者として、広く知られている。
黄金のバッチを胸に煌めかせ、マントを翻して手を翳す将軍の姿に、恐慌状態に陥っていた住人達の混乱は次第に収まり、熱狂の声を上げ始めた。
「将軍様、どうか聖女を倒してください!」
「あの悪魔を、どうか!」
「任せておけ。すべては我が正義の元に!」
都市ウェスティンでの凶行は、既にフロンティア中に知られつつあった。
都市で家族を失った者。子を失った者。
住まいを失い、今なお死の危険にさらされた者。
彼等にとって悪鬼たる聖女を倒すべく現れた将軍は、エルフ達にとって希望の星に他ならない。
背後では既にプルート親衛隊と化した兵達が「将軍様、万歳!」と喝采をあげている。
そんな彼等を見下ろしながらーー
プルートは自らに酔いしれるかのように、はは、と笑った。
「これだ。全てが我を最強と称える、この光景。その期待に応え、今こそ我は真の英雄となる!」
最高の気分だった。
自らが王女アンメルシアを超えた旗振り役となり、エルフ達の賞賛を一心に浴び、皆の期待を背負う。
彼が目指した英雄そのものの姿。
「ははは。これならば我は、アンメルシア様はおろか、かのリーゼロッテ樣……いや、リーゼロッテすらも凌駕する力を得たかもしれぬ!」
エルフという世界の覇者、その中において常勝にして最強。
眼下には自らを応援する民。
鳴り止まない将軍コール。
これが笑わずにいられるだろうか。
「はは、はははは! ーーっ、なっ!?」
その哄笑を止めたのは、ズドン、と響く重い衝撃音だった。
「何事だ!」
「将軍様、側面からの攻撃魔術です!」
「なんだと? ベヒモスを揺らす程の攻撃魔術など、あの聖女には……」
巨体に手をついたプルートが舌打ちしながら振り返り、高慢に歪んだ笑みが固まった。
何の変哲もない一軒家。その三角屋根にはちっぽけな人類種が二人、うっすらと唇を歪めて微笑んでいる。
黒の法衣と黒の魔術服で身を包んだ、葬儀屋のような二人組。
なのに、じっとりと流れる汗が止まらない。
まさか。そんな馬鹿な、と思考が否定しながらも、乾いた唇がその名を口にする。
「っ……<魔法使い>エミリーナ、だと」
「久しぶりね、プルート。あの日以来かしら? ……ふふ。ふふふ。あははははっ! ああ、思い出してきたわ。あの日あなたに刻まれた屈辱を。苛立ちを。毒舌家で名高い私をああも苛立たせ、この世で最も消してやりたいと思わせた男の顔を!」
エミリーナは我慢できないとばかりに笑いながら、何度も何度も踵を床に打ちつける。
苛立ちと愉悦、そしてどす黒い悪意を交えた、どろどろの悪意がプルートの身体を舐めていく。
「ああ、ああ、今から徹底的に殺せると思ってもなお、あなたの顔を見るだけで怖気が走る。おぞましい虫が身体を這ってくるような思いだわ」
「私もです。大切な仲間を傷つけてくれたそのお礼、きちんと身体に刻んで差し上げますから……小物なら小物らしく、最後まで盛大に泣き叫び、惨たらしく死になさい、プルート」
そして、エミリーナが杖を前に向けた瞬間。
プルートは即断でベヒーモスに指示を出した。
かぱり、と開かれた洞窟のような口から放たれた火炎弾が、聖女達を、そして都市ウェスティンの一部を巻き込みながら吹き飛んでいく。
「し、将軍様、なにをなさるのですか! 街が!」
「黙れ! 奴等は最強たる我が手加減しても、なお手強い相手だ! 聖女だけならまだしも、あの、あの殺戮のエミリーナが蘇っているなど!」
「しかし、勝つために街を焼いては意味がーー」
止めようと近づいた町人の言葉はそこで途絶えた。身体には、ベヒモスの鱗より伸びた刃が深々と突き刺さっている。
将軍万歳。将軍様万歳。
青ざめた兵士達が叫び、その隣ではシャルティが青ざめた顔で、ゆさり、とプルートの袖を掴んでいる。
「お待ちください将軍様。将軍様は最強ですけれど、でも、こんなのは……!」
田舎町と揶揄されようとも、乱暴者の集まる都市であろうとも、ここはシャルティの育った都市であり、敬愛する祖父とともに育った地なのだから。
「将軍様おやめください! これでは街が、私のお爺様が、お怪我をなされてしまいます!」
「止めるだと? 否、あれは化け物だ! 我が全力をもって戦うしかない!」
「将軍様は最強なのでしょう!? でしたら、そのような力を使わずとも、魔法使いを」
ぱしんと乾いた音が響いて、シャルティの身体が崩れ落ちた。
何が起きたのか理解できない。
頬に走る熱と痛みから、叩かれたのだと気づいて顔を上げると、自称最強の将軍は血走った目でシャルティをゴミのように見下ろしていた。
「本物の戦場を知らぬ子娘が、口を出すな! それに、お前の祖父はもう死んでいる!」
「…………え?」
「今は死んだ者のことなど考えている場合ではない! 常勝にして最強たる者として、目の前の敵を全力で打ち倒すのだ!」
将軍は次々に腕を振りあげベヒモスに指示を出し、火炎弾を次々に空へと放つ。
聖女はこともなく結界でいなし、逸れた火炎弾が都市ウェスティンの広間を、建物を焼き払い、エルフの死体を築いていく。
将軍万歳! 将軍様万歳!
狂った賛歌が響き、声を上げず逃げ出そうとしたものは、ベヒモスの背より放たれる刃で貫かれる。
呆然とするシャルティを、将軍はもう見ていない。
「我は勝つ! 聖女を、そして魔法使いを我がベヒモスの力で葬り、今こそ最強にして常勝の名を確かにするのだ! そして二度と、我を嘘つきだの偽物だのと、誰にも言わせぬ! だからこそ、ここで勝つ! 必ず……!」
怒号を上げてベヒモスに指示を出す、その頭上で。
ぴしり、と空に亀裂が走る。
顔を上げた将軍の前に現れたのは、青空を裂く赤い亀裂だ。
浮かび上がるのは強大な魔力を込めた、赤色の魔法陣。
そこに聖女の手より放たれた黒光がふわりと収束し、吸い込まれるように天へと昇る。
「っ、あれは、召喚魔術……? エミリーナか! それに、あの黒い光は蘇生魔術!」
刮目するプルートの頭上、魔法陣を割くように姿を見せたのは、赤色の翼と体躯を唸らせながら空を泳ぐ巨大な蛇だ。
黄金の牙と燃えるような立髪を揺らす、その怪物の名は。
「な、なんだおおおおっ!? か、火竜ノヴァ……っ!?」
四皇獣最強の一角、火竜ノヴァ。
プルートの絶叫が、燃え盛る都市ウェスティンに木霊した。
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