第28話 休日…

「あぁ、お嬢さん いらっしゃい」

品の良いバーテンダーはにっこりとほほ笑みこちらを見た。

「こんばんは?」

「ええ、合っていますよ こんばんは」

今日は誰もいないカウンターを指差して男はミルクを差し出す。ふわりと香ってくる優しい匂いに誘われてカウンターへ向かう。

「きょうは、いない?」

「えぇ、お嬢さんの貸し切りですね」

なんだか面と向かって“お嬢さん”と言われるとどうにもムズムズする。みちるの拵えてくれた服を着たうえでそう言っても誰も分かってはくれないだろうけれど、だ。事情を知っている風の男はグラスを磨く。

「ここは、どこ?」

グラスからふっと視線を上げてこちらを見据える男は先程までの優しい雰囲気を忘れさせるほど迫力に満ちていた。

「何と説明していいか… の意識の外、とだけ言っておきましょう」

彼女達? わからない事が増えただけだ。

「説明し難いのですよ、知らなくても良いことですし 何よりお嬢さんにとって意味がない 束の間の休息、そう思って楽しんで行って下さい」

あの迫力はなんだったのだろうか? すぐに柔らかい笑顔に戻り男はそう言った。あの筋肉だるまを越える迫力にちょっと漏らしそうになった。何をとは言わない。

「ゆめなら、おさけでも」

「それはいけません、お嬢さんのことは皆様心配なさっていますからね」

理屈がわからないが男の言葉にホットミルクを口に運ぶ。甘い。

「これもどうぞ」

「わぁっ!」

おっと。チョコチップクッキーを出されただけで勝手に声が漏れた。チョコなぞしばらく食べていない。国内でも生産されているらしいが庶民の元には決して来ない幻の品だ。多分八丈島とかあのあたりの暖かい地域だろう。サクサクの食感とほろ苦いチョコがホットミルクに大変合う。

「気に入っていただけたようでなによりです」

15cmはありそうな巨大なクッキー二枚をあっという間に平らげてしまった。ちょっとした恥ずかしさでようやく我に返る。こんなに食い意地が張っているとは…おにぎりの件で身に染みていた。腹具合が落ち着いて少し眠くなってくる。夢の中でさらに眠くなるとかどうなっているんだ。

「コーヒーでも淹れますか」

男は取り出したサイフォン式のコーヒーメーカーを組み立てていく。引いてすぐの豆の香りも良いが、湯が沸いて撹拌が始まるとより一層高い香りが辺りをつつむ。ココアもコーヒーもバーで淹れていい物じゃない気はする。だが、ほかに客がいないし彼が勧めてくれたならいいだろう。自然とうきうきして体が動き出す。いかん、子供じゃないんだ落ち着け。

「もう、できますからね」

撹拌が終わってコーヒーがサーバーに戻って行く。コーヒーメーカーの一連の動作に自分の顔がにまにましているのに気付いて顔を揉む。おかしい。こんなに顔に感情が出るものだろうか?

マスターは出来上がったコーヒーをカップに注いでにっこりと差し出す。私はフンフンと鼻歌を歌いながら受け取って香りを楽しむ。どこの何とか気の利いたことは言えないが、これが良い匂いだという事はわかる。口に運ぶと深い苦みとわずかに酸味を感じる。にがい、いや旨い。

「おいしいです」

「それは良かった こちらもどうぞ」

カウンターに置かれたのはバニラアイスだった。

「んぅーーー!」

勝手に声がでた。アイス美味い。コーヒーの苦みと冷たいアイスの甘さでこれもあっという間に食べてしまった。

「ありがとうございます、やはり楽しんでいただけるとこちらも嬉しいものです」

これが夢なら起きたくない。ゆったりとした時間にそんなことが口に出そうであった。




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