第26話 衝撃

 学校に行くことを面倒くさいと思うのは、ひさしぶりだった。

 昨日の放課後、だれかの告白を受けた久遠に連絡をしようか迷った。


『告白、どうだった?』


 送りかけのメッセージは、ずっとスマホに残っている。


 送りたくても、送れなかった。


 そんなことを気にしている自分がいやだ。

 そんなことを、気にしているんだと思われるのも、いやだ。


 寝て起きたら、気持ちを切り替えられると信じて眠った。夜は、あまりにも長かった。そのせいか、学校に到着するのがおそくなった。

 登校時間ぎりぎりだ。


 重い足取りで教室に入る。

 クラスメイトは朝から、にぎやかだった。教室の机に座っている委員長を中心に輪が出来ている。男子も女子もみんな、明るく楽しそうに話していた。


「おめでとう、委員長。すごいよ」

「マジかよー。俺も好きだったのに」

「えっ、えっ、いつから? いつから?」


 おめでたい話があったんだと、空気で気がついた。

 見た目の整った委員長は「ちがう、ちがう」と、まんざらでも無さそうに手を横に振っている。


 明るさには、背を向けた。いま、そんな気分ではない。

 そのせいだろうか。ついに自分の席に座っても、気持ちは晴れていなかった。


 いや、違うな。

 一番大きな原因は、きっと隣の席のせいだ。


――久遠の姿が、教室になかった


 となりの席には、久遠のスクールバッグや荷物があるのに、久遠がいない。


 トイレに立っているせいで、席を外しているんだろうか。


 久遠の顔をみたら、もやもやとした胸の内も晴れて「ばかなこと考えてるでしょ?」って、欲しい言葉をくれると思っていたのに。


 チャイムが鳴る。

 すこし遅れて担任が入ってきて、みんなが自分の席に着いた。

 みんなと言うには、ひとり足りない。

 久遠だけがいなかった。


「久遠さんは、休みです」


 担任の口から一言だけ言われた言葉が「どうしたんだろう?」と心配する俺の不安を掻きたてる。同時に思った。つまらない一日が、はじまってしまった。


 授業中の風景が、一瞬で過ぎていく。

 授業って、こんなのだっけ。


 久遠がいない。となりと目が合って、交わされる情報が無い。

 目も手も必要なくて、耳だけあれば成り立つような授業が淡々と過ぎ去っていく。


 思えば、学校でひとりになるのは、ひさしぶりだった。


 授業を受けるだけが学校なら、これ以上のない環境だ。

 放課後まで、一切邪魔が入らなかったのだから。


 帰ろう。


 ホームルームが終わり、教壇から先生が降りる。リュックを背負って立ち上がった。

 明るい教室に背を向けて、ひとりで帰ろうとした。


「てっちゃぁーん」


 にぱっ。

 甘ったるい声がした。俺を見つけると、大きく口を開けて、むじゃきに笑う女の子。

 肩口ほどで切りそろえられた金色の髪を上下にふわふわ揺らして、近寄ってくる。緩めたリボンが胸元で、ふりふり。健康的な鎖骨が見えても、ここあはまったく気にしていない。


「ねっ。ひまでしょ。付き合ってーっ」


 ひとの話も聞いちゃくれなかった。

 俺がなにか言う前に、腕を両手で掴まれて、引っ張られる。手を引かれる、よろけながらも歩かされた。あとは同じペースで歩き出す。


「えへへー」


 ここあに連れ出され、向かったさきは、校舎裏だった。

 ひとけのない校舎裏。この時間は、日陰になっていることが多い。じめっとした空気に、つめたい風が流れていた。


「見てー。ジジ、かわいいんだよ」


 ここあが自分のスマホの画面を横に向けると、ここあの部屋が映っている動画を流した。肩と肩を寄せ合い、小さな画面を共有する。


『ジジー』


 黒猫が一匹。後姿のまま、耳をひくひくとさせて、尻尾をピンと立てている。ここあに呼ばれると、返事をした。


『ナアっ』


 黒猫は、ベッドの上に乗ったまま、窓の外へと話しかけているようだった。


『てっちゃーんっ』


『にゃあ。ごろごろ』


 俺の名前をよぶと、ジジは振り向き、そのきれいなオッドアイを細めながら喉を鳴らす。


「ははっ」


「いやったっ。てっちゃん、わらったーっ」


 ここあは笑い、歯を見せながら「イエイ」と振り上げた腕をおろしていた。


「ここあ、もしかして」


「ニブちん。てっちゃんが落ち込んでるのは、すーぐわかっちゃうんだ。てっちゃんは自分のこと、ひとりだと思っててもね、ウチやしょーたがいるから、てっちゃんはひとりになれないんだよ。知ってた?」


 アホかわいく、ここあが言う。


「にひひー」


 アホなのは、俺のほうだ。


 ここあをまっすぐ見られない。腕を組みながら、遠くを見た。

 澄み渡った空には、のんきな雲がただよっていた。風に吹かれて、きもちよさそうだった。


 だれかが走ってくる。はやくて、強い足音がした。地面を蹴る音が近い。


「ワリィな。遅くなった」


 ショータが、制服のまま走ってきた。

 ここあも、ショータも、部活があるはずなのに。


「どう、だった?」


 ここあは、ためらうように、ショータに聞いた。

 ショータは、黙って顔を横にふった。


「そっかあ。なんでだろう。ウチには、わかんないや」


 悔しそうに、唇を噛んでいるようだった。

 ショータが、ここあの細い肩を叩きなぐさめると、俺と向かい合う。


「テツ、悪い」


「どうしたよ」


「久遠の、うわさを知ってるか?」


「いや? なんのことだろう」


 ショータは大きく息を吸ってから、低い声で言った。


「久遠が、だれかと付き合った」


 いみが、わからなかった。

 頭に霧がかかる。

 目の前がまぶしくて、目を開けていたくない。


「今朝から、どこでも話してんだ。久遠が、同じクラスの男子と付き合ったってよ。オレらは、テツかと思ったが、違うみたいで。テツのクラスの委員長いるだろ、野球部の。あいつだってよ」


 朝一番から、委員長が囲まれていて『おめでとう』って言われていたのを思い出した。

 そうか。おめでとうって、そういう意味か。

 久遠に『ほんとうか?』と直接聞きたくて、スマホのロックを解除した。

 出てくる画面は、久遠に送り損ねた昨日のメッセージ。


『告白、どうだった?』


 昨日の夜、送りかけた文字が目に飛び込んできて、心臓をうたれたように動きが止まった。


――そっか


 告白を受ける前から、決めてたんだな、返事を。


「玄関で、久遠に会った。我慢できなくてよ、聞いた。うわさは、ホントか? って」


 首の後ろを手で触りながら、ショータは曖昧にわらった。


「『本当よ』だってさ。ワリィ。それ以上、聞けなかった」


「そっか。サンキュな」


 棒立ちするショータに、俺はそう言った。


「いいや、知らないほうが、よかっただろうよ」


 苦い顔で、返事をくれる。

 そうかもしれない。でも、ショータが教えてくれないと、俺は今日も一日ムダにしそうだった。


「中途半端より、よかった」 


 背の高いショータの肩に、キツく握った拳を置いた。

 肩を借り、胸も借りた。


「悪い、テツ。そうじゃなけりゃいいって、思ったことが当たっちまった。正直、まだ信じられねえよ。なにかの間違いだって、思いてえ。……テツのクラスの委員長に聞いてくる。もう、ダメ元だけどな」


 走り去るショータの背中に「部活も行かずに、なにやってんだ」と、口にしたくても、言葉がでなかった。


 足元が、急に抜けたような感覚があった。内臓が浮くような、あんな感覚。

 なんだか、目の前も揺れている。


「てっちゃん!?」


 ここあが、俺を支えるように、腰に抱き着いてくる。

 寸前で、足を踏ん張った。支えが無いと、転んでいたかもしれない。


「てっちゃん、座ろ。一回、座ろう」


 ここあに体重をかけないようにしても、親身になって、支えてくれる。それに、甘えて、俺は座った。一度座り込んだら、立てない気がした。


 足元がこんなに頼りないと感じるのは、はじめてだ。


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