2節 かつて望んだ未来はここに。

第10話 文化祭ウェルカムバック。

 ◇


 ──そして九月の中旬。

 ようやく、俺たちにとって二度目の文化祭が始まった。


 といっても既に一日目は過ぎて、今日は外部からも客が来る二日目だ。

 廊下は人でごった返し、楽しげな声が聞こえてくる。


 俺と笹木は教室の模擬店、その裏で控えていた。

 一日目に散々祭りは堪能したので今日は裏方に徹する予定だ。


「いやあ。いいよな文化祭! 一日目もよかったけど。実際客が来る二日目は盛り上がりが格別だ」

「うわ。朝からやたらテンション高いな…」


 呆れ顔でこちらを見上げる笹木。

 この後出し物が控えているため、道着姿だ。


「日南さあ、昨日からキショイほど笑顔満面だよね。普段『俺は感情がない』みたいな顔してるくせに」

「してねえよ」


 どういう顔だよそれ。


「何がそんなに楽しいわけ? 所詮は文化祭だろ」


 笹木こいつ……何気にひねくれてるよな。思春期か?


 まあしかし。

 笹木の言わんとしていることもわかる。

 俺も割と、斜に構えた人間の自覚はあるからな。

 祭りは好きだが、祭りの主役になって馬鹿騒ぎする気は今も昔もあまりない。


 なのにこうも浮き立つのは、何故か。


「そうだな、多分……未練かもしれないな」


 衝立の向こうから、教室の様子を眺める。

 荒削りだが丁寧に飾り付けられた、喫茶の模擬店。

 夏休みを通して用意した、絶妙にチープさの残る衣装。

 安く簡単で美味いものを出そうと吟味したメニュー表。

 ひとつひとつは取るに足らないものかもしれない。

 

 だけど、それらを作るのにどれだけの力が必要だったかを知っているし、そのひとつひとつに皆が熱を入れていたことを知っている。


 そういうのって、なんか、いいよな。

 青春って感じでさ。


「ほら、俺は青春やり損ねた亡霊みたいなもんだからさ。こういう空気を吸うとハメ外してしまうんだよ」


 笹木は真顔で頷いた。


「なるほど……【ファントム・ブルースプリング】か」

「ああ……【青春幻影】だ」


 顔を見合わせた。


「いや、飛鳥。漢字にすればカッコいいと思うなよ」

「笹木こそ。カタカナ派など理解できないな」

「じゃあ間とって漢字にカタカナでルビ振ろう」

「は? カッケえ……」


 さておき。

 折角、高校生活をやり直せるのだ。

 ちゃんと楽しめるだけ楽しまないとな。


「あ、でも未練は適度に残しとくのがいいぞ。生存率が上がる」

「いらないよ生存率とか」



「それより、当たって砕けた方がいい気がしてきたんだ。最近は」


 教室のざわめきの中で、笹木は静かに宣言する。


「後夜祭で、芽々に告白する」

「まじで……?」


 後夜祭は文化祭二日目の最後に行われる。

 ここで告白すれば成功する、というジンクスがまことしやかにある。

 だが、それは極めて難易度が高い告白法だ。


『告白すれば成功する』のジンクスのからくりは、こうだ。

 そのジンクスは、知られすぎてもはや『後夜祭に誘うこと自体が告白同然』となっている。

 だから『後夜祭への誘いを承諾された時点で告白の成功率が百パーセントになる』だけに過ぎない。


 実質告白を連続で二回やるようなもんだ。

 それはかなり、しんどいはずだ。

 俺は三回告白をやったからわかる。


「でも後夜祭なら、あいつも聞き間違えたり、勘違いしたりしないだろ」


 だが当たって砕ける覚悟ができている奴を、止める道理はない。


「そうか……頑張れよ」


 噂をすれば。


「お、芽々」


 隣のクラスからやってきたのは、袴にエプロン姿の芽々だ。

 大きめの袖から伸びた、細い腕をブンブンと振って裏方の方に入ってくる。


「やほやほひーくん! 頭のおかげんいかが? ダメそう〜」

「今日も失礼だなおまえは」


 いや俺に挨拶するな。笹木に挨拶しろ。

 こいつ……幼馴染を軽んじてやがる……!

 ハラハラと笹木の方を見ると、「いつものことだよ」と死んだ目で首を振った。


「それよりも! 見てくださいな」


 芽々はその場でくるりと回ってみせる。


「かわいいでしょこの衣装。和風メイドですよ、ふふふ」


 芽々はにまにまとご満悦だった。

 寧々坂芽々はどうも着道楽というか、コスプレ趣味があった。


「しかしメイドって……うちのクラスと被ってるよな」


 うちの模擬店は表向きは喫茶だが、実態は俗に言うメイド喫茶というやつだ。 

 なんだかんだといってみんな仮装が好きだ。

 おかげで、学年全体で「喫茶(メイド)枠」争奪戦が行われていたという。

 争奪戦に勝ったのはうちのクラスらしいのだが。


「和風喫茶なので競合しません。セーフです!」


 と、脱法メイド喫茶を隣のクラスは強行したらしい。


「まあ衣装だけでどっちもコンカフェ要素全然ないですけどね〜」

「コ、何?」


 しかし、メイド喫茶と言っても。

 確かに衣装だけだし、その衣装だって普通のウエイトレスと大して変わらないだろうに。あんなのはちょっとフリルが多いワンピースとエプロンに過ぎない。

 と、模擬店の方を眺める。

 俺は硬派なのでメイドの良さがいまいちわからない。


「そういやひーくん、結局ヒモの謗りどうなったんですか?」

「……その話するか? 実害はないから放置だよ」


 噂を知った咲耶に至っては『え、わたしが飛鳥を……!? え、えへ……』とちょっと嬉しそうだった。奇怪な奴め……。


 ヒモはこの世で最も恥ずべき生き物だ。

 俺はちゃんと働いている。咲耶に養われてなんかいない。いないのだ。

 故に屈辱極まりない謗りだが、咲耶が構わないなら俺は何も言うまい。


「むしろ、だ。非常に不本意だが……逆に付き合ってること自体は広まった。効果だけ見れば問題は何もない」


 文月咲耶のレッテルは『訳アリお嬢様の優等生』から『ヒモ飼ってるらしいヤベエ女』にチェンジした。

 となれば、今更咲耶に言い寄るやつもいなくなる。

 マジで俺の精神衛生以外は問題ないんだよな。何も。


「それが一番不可解なんですよねえ」


 話を聞いた芽々は首を捻っていた。

 噂の出所に心当たりでもあるのだろうか?



「そういやサァヤはどこです?」

「あれ、いないな。あいつも裏方のはずだが……」


 なんだかんだであいつは根が暗いので「人前に出るとか柄じゃないわ!」とか言って表には出たがらない。

 最近の咲耶は根暗を隠さなくなったので逆に明るく見えるという、よくわからないバグを起こしているが。

 折角だからウエイトレスでもやってみればよかったのに、と思わんでもない。

 どうせ咲耶は美人だから、何を着ても似合うだろう。


 と、思ったその時だった。


「ごめんね! 文月ちゃんお借りしてました」


 委員長が、咲耶を連れて裏方のエリアに入ってきたのは。


「人が足りなくなって、急遽表に出ることになったの……」


 委員長の後ろから入ってきた咲耶。

 身につけているのは、準備中に散々見慣れた装飾過多の給仕服だ。

 頭の上にはフリルのカチューシャが、ちょこんと乗っている。

 編んだ髪はあつらえたように、エプロンワンピに似合っていた。

 代役で頼まれたせいだろう。

 女子の中では背の高い方の咲耶には、ワンピースは短過ぎたらしい。

 ひらひらした服の裾をぐいぐいと押さえながら、頬を赤めて。


「うう、この服……わたしには可愛すぎるわ。ねえ変じゃない?」

「おかわいいですよぉ」


 ニヨニヨと芽々は褒めそやす。

 愉悦癖の芽々の言うことは信用ならないのだろう、咲耶は不安げに俺を見上げた。

 視線を受け、即答する。


「咲耶が着てるならなんでも可愛いよ」

「え、えっ……!?」


 笹木が白目を剥いた。


「……飛鳥、さぁ。箍、外れたよね」


 あいつのことを美人だからかわいくはないとか言ってた時期もあったね。全然嘘だ。めちゃくちゃかわいい。

 クソッ裏方なんてやってられるか俺は客になる。


 自分から褒め言葉をせびる時は堂々としているくせに、自信がない時に褒められると受け取り方がわからないらしい、拗らせ根暗の文月咲耶はおろおろと立ち尽くす。

 そこに、悪い顔をした芽々が、何かを耳打ちした。

 咲耶は「なるほど」と合点がいったように頷いて。


 俺の方に向き直り、スカートの端を摘んで、おそるおそると口を開く。




「……おかえりなさいませ?」




 ────ぐ、ぐああああ!!!!



「うわっ、感情がない顔でフリーズしてるよこいつ」

「まさかここまで効くとは……ちょっとキモ」


 ハッ、一瞬意識が飛んでいた。

 俺は『おかえり』に弱い……。



 咲耶から恐ろしい攻撃を食らった直後。

 衝立の向こうから同級生の寺戸が俺を呼ぶ。


「おうヒモ。表と仕事変わってくれんか。急用ができた」

「ヒモじゃねえ。ラーメンで手を打とう」

「学食な」

「よし」


「えっ……! 飛鳥も着替えてくるの!?」

「男子のウエイター服、執事っぽいやつですよね! ウキワク……」

「あれ? でも、寺戸の仕事って確か……」


 そして俺は衣装を受け取って被る・・


「よしゃ、呼び込み任せたで!」


  受け取った衣装は、着ぐるみの頭部だけ・・・・だ。


 咲耶は俺を見て、「は〜〜あ」とクソデカい溜め息を吐いた。


「なんで着ぐるみなのよ……」

「なんで頭部だけなんだよ……」


「数年前、熱中症で倒れたやつがいてな。以来、着ぐるみは頭部だけが習わしとなったんだ」

「嘘じゃん」

「ちなみに俺のことだ」

「嘘じゃなかった」


 九月は夏だ。まだ暑い。


「あぁ……そういやあったわね、あなたが貧弱だった時代。懐かしいわ……」


 なお、芽々は隣でずっとゲラゲラ笑っていた。

 



 ◇




 そして笹木は合気道部の出し物の準備に向かった。

 あの部活、運動部に見えて実は文化部らしい。

 俺たちは一日目に見たので、今日はそのまま送り出す。


「いやー、昨日の発表カッコよかったですね。世界がマコの良さに気付いちゃいます! 幼馴染として鼻高々ですよ〜」


 笹木を見送って、ほくほくと褒めちぎる芽々。

 俺は着ぐるみを被ったまま、聞く。


「芽々、何気に笹木のこと好きだよな」

「大好きですよ? あたりまえじゃないですか!」


 なんだかんだで脈、あるよな。

 聞いてる感じ、芽々の『大好き』に恋愛的な意味がまったくないとは思えないのだが。

 俺は人の好意には敏感な方だ。

 まったく感じ取れなかったのは、過去本気で演技をしていた『文月・・しかいない・・・・・


「なーんでマコ、彼女できないんでしょう? 不思議です」


 ……笹木、頑張れ。

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