幕間4 八月末、いつかあなたが光輝いても。
お風呂上がり。
咲耶は何やらそわそわとこちらを見ていた。
「何だよ」
「えっ!? えーっと。髪が濡れてるなぁって」
「そりゃそうだろ」
風呂上がりなんだし。
「そうじゃなくて!」
勿論、お風呂あがりに髪の毛しっとりと濡れてるのいいなぁとぽやぽや見惚れていたのもある。
だが、ぽやぽや見ている内にドライヤーをかけたような形跡があることに気付いた。
つまり生乾きだった。
濡れっぱなしは(なんかえっちなので)気になるが、生乾きは(なんかカビ生えそうなので)もっと気になるのだ。
そわそわが一体以上に高まったので咲耶は居間を出て、ドライヤーを手にぱたぱたと戻ってくる。
「乾かしてあげる」
「いい、いらん」
「そう言わず、ねっ」
ふふん。
「恋人なんだから。甘えていいのよ」
どやっ。
──ぶっちゃけ世話を焼く口実を見つけてそわそわしていたのだ。
一方の飛鳥は『恋人=甘える』の公式が理解できず困惑した。
価値観の相違でそろそろ喧嘩しそう。
恋人の定義を詰めてなかったのが悪いのか。
ホワイトボード引っ張り出してくるか……。
「それに、あなたが良くてもわたしが甘やかしたいの。恋人の我儘は聞くものよ?」
なんでこいつ高速で『恋人』のカードの切り方覚えてるんだろう。まだなって一日、二日だろうに。なんなの? もう少し初々しくあれよ。
そもそも、我儘を聞けと言われても。
「俺の話聞く気ないおまえが言うなよ」
「えっわたし、そんなに聞いてない?」
「聞いてないよ。全然聞いてない」
具体的にどう聞いてないかというと、だ。
視線をずらし、彼女の格好を見る。
初めて夜に部屋へ招かれた時に見たのと、同じネグリジェだ。かわいい(服が)。
だがこういう透けてたりふわふわだったり無防備な格好は心臓に悪く、しないでくれと言っているのに五割の確率でそういうのを着たまま、ずいずいと近寄ってくる。
そういうあたりが話を、とても聞いていない。
と説明すると咲耶は怪訝な顔をした。
「? 半分は聞いてるじゃない。自分を曲げて身体のラインが全部隠れるTシャツとか着てるでしょ、五割の確率で。大きな譲歩よ? それともなに? もしかして……100パーセント自分色に染めたいってこと!? そ、それも悪くはないけど……」
こいつデレる時光の速さでドロドロにデレるな、と思った。
ついていけないよ。
咲耶は一人勝手に赤面した後、光の速さですんっと真顔に戻る。
「いやよ常にダサい格好するとか。だってわたし、見た目しかいいとこないもの!!」
相変わらず自信満々に卑屈。
「というか、話聞いてないのはあなたもだわ! 絶対四割くらいしか聞いてない! もう少し丁寧に生きてよっていつも言ってるのに! 料理できるくせに賞味期限はガン無視するし、几帳面なくせに床に転がるわたしを掃除機で吸い込もうとするし、髪ちゃんと乾かさないし! 雑、もう、生きるのが雑!」
「死ぬのが雑なおまえに言われたくねえ〜」
痛いところを突かれて咲耶は怯む。
なるほど、あなたは生きるのが雑でわたしは死ぬのが雑、そこになんの違いもありまくるでしょバカめが。
「わたしだって雑に死にたくて死んでるわけじゃないんですけど!?」
不死身だけど生贄用にちょっと脆く調整されてるせいで死にやすいだけだし。
なんなら死んでる状態が人型の呪いである魔女としての自然状態まであるし。
つまり魔女じゃなくなったら死に癖も同時になくなる、多分。
人間のくせに生きるのが雑で雑に死にかけるやつと一緒にしないで欲しい。屈辱。
──というか、髪を乾かす是非だけで何故ウダウダと喧嘩をせねばならない?
「もーっ! いいから、わたしにお世話焼かせてよ!!!」
「恥ずかしいだろ分かれよ!!!」
もうジャンケンで決めた。
部屋に聖剣置いてきてたからここぞと魔法使って咲耶が勝った。
手心とかない。勝ちは勝ち。
負けは負けなので渋々とソファに座る。後ろには上機嫌に咲耶が立ち、ドライヤーのスイッチを入れる前にそっと頭に触れる。
湿り気を帯びた短い黒髪に、どきどきしながら指を絡め、おそるおそると頭を撫でる。
「え、ワッ、まるい……」
「頭蓋骨の形確かめるのやめろ」
すごい。目の前に好きな人の頭がある。なんかすごく贅沢な気がする。でも後頭部だから、顔が見えないのがとても勿体無い。目の前に鏡があったらよかったのになぁ、と思う。
好きな人の頭、欲しいな〜。お持ち帰りしたい。ここはわたしの家なので実質わたしのものです。
えへへ……。
──などと後ろで咲耶が浸っているのを寒気と共にうっすらと察しつつ、飛鳥は仏頂面で耐えていた。
人に世話をされるのが、昔からとにかく苦手だった。生殺与奪の権を他人握らせるのは悪だから。
病院で注射を打たれようものなら「あっ自分で打ちますんで……」「駄目です」と怒られ、点滴を打たれようものなら「あっ自分でルート取りますんで……」「無理です」と怒られ生きてきた。
何故だ。自分でできることは全部自分でしたいだけなのに。
しかしだ、ジャンケンでわざわざ反則まで使って勝ちに来た咲耶の手前、あまり強情になるのも格好悪いような気がする。
だからこうして、しぶしぶながらも、弱い風と柔らかな指先の感触に頭を委ねているのだが。
正直こそばゆいし恥ずかしいし逃げ出したい。根性で耐えてる。
やはり、苦手だ。
胸の辺りに湧く言いようのしれないむず痒さを、どこか懐かしいように感じて困る。
あまつさえ絆されて手綱を渡してしまいそうになるのが、本当に苦手だ。
他人にオールを任せたら死ぬ。
「あっ」
突然、咲耶が動きを止めた。
なんだ?と後ろを振り向くと、ものすごく気まずそうに言い淀んだのち。
「はげてる……」
は げ て る ?
言葉の意味を理解するのに、コンマ数秒。
「どぅわァァアアッッッ!!!????」
飛び退いた。
「…………マジで?」
「うん……」
頭に手をやる。すっかり乾いた髪をかき分け探るとなるほど、つるりとした感触が一部。
なるほどねはいはいそういうことねふーんなるほどこれが噂の十円ハゲ。
絶望した。
「そのっ、ねっ、色々あったしそういうこともあるわよねっ、人体って貧弱だし…… あっ、いっそ人間辞めちゃう……!?」
動揺してしどろもどろのフォローを始める咲耶。
名案、みたいな調子で怖いこと言うな。
「なあ、いつからハゲてたんだろうな、俺……」
「え? 知らないけど……昨日今日の話じゃないんじゃ……」
『恋人』になったのが丁度、一昨日。
お互い、ハッと気付く。
それって……告った時実はハゲてたってコト……!?
あんなに必死こいて格好つけたのに、でもハゲてたの!? 台無しじゃん全部!!
「告白、無かったことにしてくれないか……今度やり直すから……」
「だ、大丈夫! その時点では観測されていないからまだ抜けていない可能性があるわ!」
シュレディンガーのハゲ。
「それハゲてる俺もダブってんじゃん。大丈夫じゃねえよ」
「それは、うん……」
咲耶は諦めて首を振った。
部屋の隅で打ちひしがれる。
人生、何もうまくいかない。
自分なんかもうすみっこで暮らすのがお似合い。トンカツの端の脂身だけ食って生きていく。
「ていうか今、さらっとわたしのこと振ろうとした? ねえ、ハゲを理由に恋人辞めようとした? ねえ。ちょっと。キレそうなんだけど」
深々と溜息を吐いて、咲耶は壁に手を当てる。逃げられないような至近距離で、真正面から囁いた。
「大丈夫。たとえ髪の毛が全部なくなっても、愛してるわあなたのこと」
光り輝く微笑み、慈愛の声は揺るぎなく、嘘偽りを感じさせない魔力がある。
一瞬、雰囲気に流されて謎のときめきを錯覚したのだが。
「なんなら髪の毛一本から愛せる。何も問題ないわ」
錯覚はあくまで錯覚だった。
輝く綺麗な瞳をゴミを見る目で見返す。
「キッショ……」
「は?」
いや、キショいよ。
髪の毛一本でも愛せる女と恋人になるとか絶対早まったよ。俺が馬鹿だった。別れようぜ。
とは流石に言わなかったが、顔に出ていた。
ばっちり。
咲耶は、目を弓形に細め。
すー、と深く、息を吸った。
「『ハゲろ』」
数本はらりと髪が抜けた。
「ウワッ呪いやがった!? 言っていいことと悪いことがあるだろうが!!」
「うるさいうるさい! ハゲろ! はげちゃえ!! それでわたし以外に見向きもされなくなればいいのよ!! 飛鳥のあほんだら!!」
そのまま部屋を出て行った。
三日は自室に引きこもって出てこない勢いで。
「はぁ〜? 絶対謝らねえ……」
いや、仮にも恋人をマジで呪うことってある?
うちの家系って代々ハゲの家系だっけどうだっけな、早死にしたやつ多すぎて参考にならねえや……と、溜息を吐いて。
(……まあ)
いつか生え際が無惨に後退して、毛根が死滅するような年になったとしても好きでいてくれると彼女が言うのなら。
長生きしてもいいな、と少し思った。
少しだけ。
さて、絶対に謝る気はないが、天岩戸に引き篭もった『仮にも恋人』を引き摺り出してやらねばならない。
(アイスでも買ってくるか、高いやつ)
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