第13話 たかが膝枕で。

「それはそうとして。口直しに次はいい映画が見たいわ……」

「やっぱ苦行なんじゃないか」



 とまあ、言い出した咲耶は置いといて。


 映画が見終わった頃には既に時刻は早朝。

 鳥の声まで聞こえる。

 途中で寝落ちするかと思ったのだが、結局最後まで見てしまった。

 寝支度は一応済ませたが、自室には戻らず居間に戻る。

 ソファから、こちらを仰ぎ見る咲耶。 


「今から寝る?」

「寝てもどうせ、な」

 


『もう朝だ』という意味で言ったのだが。

 咲耶は目を細め、囁くように訊く。



「……悪い夢でも、見た?」



 ……そういうふうに聞こえたか。


「なんでわかる」

「わたしもそうだから」


 さらりと答える。


「うっかり世界を滅ぼす夢を、よく見るわ。そしてあなたにすっごく怒られる」


 なんとなく、彼女が嘘を吐いている気がした。

「すごく怒る」なんて言葉では済まされない夢なのだろう、本当は。

 けれどそれを聞くことはしない。


「手、出して。いいものあげる」


 咲耶が魔法で虚空そのへんから何かを取り出し、俺の手のひらに落とす。

 白い錠剤だ。


「よく眠れる薬」


 ……怪しい。

 が、とりあえず口に放り込んだ。

 噛み砕いて気付く。


「いや、ラムネじゃん」

「チッ」


 なんで嘘吐いた。


「あんた錠剤噛むのやめなさいよ」

「味がしないもんは食いたくない」


 というか、俺が無防備にもらったものを食うと思っているのだろうか?

 食うけどさ。咲耶になら毒を盛られても構わないが。


 もらった錠剤ラムネを水で流し込んでいると、咲耶は悩ましげに呟いた。


「……こうなったら膝枕しかないかしら」


 水むせた。


「何が!?」

「あなたを寝かせる方法だけど?」

「??」

「寝落ちするまで映画見る作戦もラムネを睡眠薬と言って催眠する作戦も失敗。だからもう、膝枕しかない・・・・・・でしょ・・・?」

「色ボケ宇宙人か?」


 ……こいつやっぱ最近正気がどっか行ってない?



「冗談はさておき。ここで寝てくれないとこの先の計画に支障が出るの。わるいけど、何がなんでも寝てもらうから」


「二徹くらい余裕。俺は強い」

「おだまり人間」


 咲耶は立ち上がり、じっとりとした眼差しで俺に顔を近づける。

 まるで聞き分けのない子供を見る目だ。

 なるほど心配してくれているのだろう。

 ありがたいとは思う、が。

 

「違うだろその目は。なあ」

「顔面からデバフが滲み出てんのよ寝不足パンダ顔」

「顔の悪口は言ったら駄目だろうが!」

「寝ろって言ってんのよ!!」


 そのまま彼女はスチャリと魔眼を光らせた。

 赤い光を浴びた途端、身体が硬直する。

 クソッ久々に食らったなこれ!


「ふふっ。聖剣がない今のあなたは魔法耐性がゼロだもの。観念することね?」


 咲耶はにんまりと微笑み、こちらに顔を寄せる。

 卑怯だろそれは! と言いたいが、実際やたらと魔法が効いていて、指一本動かせない。口も動かない。


 耳元、囁きが落とされる。


「『──おやすみなさい』」


 さてそれは呪文だった。

 蕩ける声は蛇のように耳朶から脳髄に入り込み、意思の主導権を奪い去る。



 ──いや、結局魔法で眠らせるのかよ。というかこれ洗脳!!



 身体が、膝の上に倒れ込む。その感触をよく認識する間もない。

 否応なく目蓋が、落ちて、いく。


 最後に声を振り絞った。



「覚えてろよ……」



 そこから先の記憶はない。





 ◆





(人間、「覚えてろ」って捨て台詞吐きながら寝落ちすることあるんだ……)


 膝の上でスヤ、と寝た飛鳥を前にわたしはちょっと引いていた。

 そんなに嫌? わたしの膝。


 魔法で部屋の電灯を消す。

 部屋は早朝の薄明かり。

 乗せた頭は意外と重たくて、伝わる熱は生きもので、それ以上に人間なのだなと思う。

 頭をそうっと撫でた。

 前髪の隙間から、普段は見えない傷痕が二つ・・

 見なかったことにして、元通りに隠す。


「……まったく、どの口で余裕だとか吐くんだか」


 眠れない夜の恐ろしさは、わたしだって知っている。

 人並みの眠りを必要としない不死の身体では、眠れる日が少ない。

 眠れたとしても、悪夢は隣人を通り越して同居人のようなもの。見ない日の方が珍しい。おかげですっかり寝起きが悪くなってしまった。


 けれどわたしは魔女なので、その気になれば魔法で好きな夢くらいは見れる。悪い夢を見た後は、口直しにちょっと良い夢を見直せばいいだけだ。


 でも。それは魔女わたしの場合の話。

 人間は普通、そんな精神構造をしていない。



 普通に戻るということは弱くなるということだと思う。

 でも多分、飛鳥はそれがわかっていない。


『最強ならば全部を余裕で、無傷で救えるような〝絶対的な最強〟であるべきだ』


 いつかそう言ったことを思い出す。

 あの時からずっと思っていた。

 自分のことを「普通だ」って言いながら、最強であろうとするのは、矛盾だ。

 歪だと思う。その歪みを、多分、本人がわかってない。


 にわかに苛立ちがつのる。


 わかんないんだろうな。わかんないんでしょうね。

 わたしには、あなたの弱さを受け入れる用意があることを。


 ──別に、わたしには。甘えたっていいのに。



『──願いさえすれば、いつだって甘やかしてどろどろに溶かしてあげるのに』



 脳味噌の底の方で、幻聴が響いた。



『気付いてるのでしょう? 呪いもかけ放題。今なら勝てる。あいつを思い通りにできるわ』


 耳触りなそれは、自分の声をしていた。

 そう認識した途端、隣に魔女わたし幻覚すがたまで見え出すのだから始末に負えない。


『閉じ込めて、どこにも行かせないで、わたしのものにしてしまえばいい。かつてわたしの望んだことが、今なら簡単にできる』


 角が出せないのに魔法を使いすぎただろうか?

 聖女の対抗策だけでなく、魔王の封印と尋問の方も並行していたのは流石に、無理があったかもしれない。


『はやく、キスのひとつでもしてしまえ』


 幻聴が囁く。

 くらり、と意識が溶けていく。


 普通に戻るということが弱くなるということなら、都合が・・・いい・・


 ──弱くなれ。弱くなってしまえ。そうしたらわたしが、あなたを思い通りにできる。わたしに守られるくらいに弱くなってしまえ。

 そういう醜い欲望が心の中で渦巻いていて、本当にどうしようもない。


『弱くなれ』

「うるさい」


 頭の中の声を黙らせる。


 確かにかつてはそれを望んだ。

 それしか解決法がないと思った。

 だけど今は違う。


(わたしは、わたしに負けないあなたが好き)


 だからすべてをひとっ飛びに解決する手段くちづけなんて、使うものか。

 わたしは、魔女わたしには従わない。

 わたしはもう、自分の願いを見失ったりはしない。

 



 ──眠れない夜の恐ろしさを知っている。

 かつて異世界から帰ってきたばかりの頃は、何をしても夜が長くて仕方なかった。

 好きだったはずの本も、くだらない映画も、わたしを救いはしなかった。

 そんな時に窓から見えるあなたの部屋に明かりが灯っていることだけが、仄暗い悦びだった。


 だけどもう、わたしは一人で長い夜を怖がることはなく。

 それが誰のおかげかなんて考えるまでもない。


 あなたがわたしの夜の救いだった。

 ──願わくばわたしが、あなたのそれであればいい。






(だからって、常時にんにく臭い女でいるのはちょっと無理……)


 ……がんばれ、わたしの理性。




 

 ◇





 ──明るい部屋で目を覚ます。


 カーテンの隙間から差し込む日差しは既に真昼の気配がする。

 起き上がろうと枕に手を触れて、ひやりと冷たく柔らかな感触に、それが枕でないことを思い知る。


「ヒッッッ」


 悲鳴をぎりぎりで飲み込んだ。

 ついでにソファから転がり落ち、しこたま身体を床に打った。


 昨晩──というか今日の早朝のことを思い出す。

 枕の正体は膝であり、膝という呼称は欺瞞であり、その本質は太腿にすぎない。して、太腿とは制服のスカート丈の標準的な長さからしてもご理解いただけるように、無防備に晒されるべきではない部位だ。ましてやその上にどこの馬の骨ともしれない男の頭を乗せて眠らせるなど豪語同断である。俺が咲耶の母親ならそいつの息の根を止めている。殺してくれ……。


 そもそも咲耶の継母である琴さんが同居の許可を出してくれたのは俺が何もしないと信頼していたからだろう。

(咲耶は「え、『既成事実作っておしまいなさい』って意味だと思った」とアホを抜かしていたがそんなわけないだろエセ清楚エセ令嬢この痴女)


 以上の理由によって、膝枕などという不純異性交遊は絶対に認めるわけにはいかなかったのだが時既に事後。

 最早腹を切って償う他はないという気持ちも一周回って「いや俺の首に一銭の価値もないからな……」と萎えてくる。


 酷い目覚めである。

 何が酷いって、よく・・眠れて・・・しまった・・・・ことが・・・酷い・・


 論理的に考えて人間の膝の寝心地が枕よりいいわけがないのに、起きた瞬間からわかるほど調子が良くて、自分が現金すぎて死にたくなった。


「最悪だ……こんな寝方、身体が覚えてしまったらどうしてくれる……」


 いや、アホ。

 咲耶がアホ。

 百歩譲らなくても寝ろというのはわかる。

 入眠時に魔法を使うのも、まあこの際妥協しよう。

 だからって膝枕をする理由はひとつもないだろ!! アホ!!


 床を叩いた後、彼女の方を見上げて。

 

「……すぅ」


 咲耶はソファに座ったまま眠っていた。

 ……人間ひとり膝に乗せたまま寝落ちした?

 嘘だろ…………。


 冷静に考えて、六時間の膝枕とかアレだ。膝の上に石を乗せる拷問的なアレ。人間のやることではない。絶対に足が痺れる。そのまま寝るとか正気じゃない。


 小言を飲み込む。

 ベッドに運ぶべきだろうか、と考えるが流石に片手で運ぶのは無理があった。

 仕方がないので咲耶の部屋──勝手に入ったらアレかな、とは思うけどこれはもうこの一ヶ月半で何度も入ったことがあるので──から枕と毛布を持ってきて、そのままソファに寝かせる。


「ん、むぅ……」


 もぞ、と寝言を言って、けれど起きる気配はない。

 咲耶は眠らなくても平気な体質とはいえ、疲れないわけではないはずだ。特に魔法を使った後──血を減らした後は。

 深夜に奇行に走るくらいだ、相当に無理はしていたのだろう。

 咲耶は割と常識があるので、変なことをする時は演技か疲れているか色ボケているかの三択だ。

 そのまま大人しく寝ていればいいと思う。

 とはいえ無防備な寝顔を晒されていると妙に腹が立ってくる。  


 ……こいつ、さては我慢してるのが自分だけだと思ってないか?

 

 腹が立ったので寝顔をおかずに飯を食おうと食パンを持ってくる。米がなかった。まあ咲耶を見ながら食ったらなんでも美味い。

 そうして砂糖だけ溶かしたコーヒーを飲み干した頃には、冷静になっていた。

 

 昨日協議した〝計画〟の内容を思い起こす。

 ソファの前の低いテーブルには、メモ用紙と試験管の瓶が置かれている。

 その瓶の中身が昨晩完成した魔法であることを知っていて、そのために彼女が夜遅くまで起きていたことを知っている。


 紙に書かれた文字を読む。


『わたしの準備はここまで。後は任せたから』


 手法に文句はあるが、休ませてもらった手前はきっちりと働かねばならない。


「ありがとう、行ってくる」


 呟く。

 咲耶はソファの上で、ぱち、と目を開けて。

 ふにゃりと微笑んだ。



「……いってらっしゃい」



 そのまま寝た。




 いや、起きたならベッド行けよ。

 ちゃんと寝ろおまえが。

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