第22話 手を繋いで、約束をする。

 海岸沿いの道を互いに距離を取って、無言で進む。

 いつかのような気不味さだ。


 隣には、俺のパーカーを被ったずぶ濡れの咲耶が不安定な足音を立てながら歩いている。

 俺も足元が濡れていて、砂が纏わりついて歩きにくい。


「着いたぞ」


 さいわい目的地はすぐだった。

 建物の明かりの前で、咲耶は言う。


「何、ここ」

「何って見ればわかるだろ」




「──銭湯だよ」




 喜べ咲耶。なんと天然温泉だ。よかったな。


「なんで??」

「は? 風呂つったら銭湯だろ何言ってんの?」


「でも電話口でホテルって聞こえて……」

「は? ホテ、何? そんな日本語ねえよ。辞書引いた?」

「すっごい無理がある誤魔化しね? ……いや、あんた銭湯入れないじゃん」


 腕、誤魔化せないからね。


「だからおまえひとりで入れよ」

「じゃあホテルで良くない?」



「うるせえ!! 青少年健全育成条例違反だ!!」


「道路交通法違反はするくせに!?」



 ……え、二人乗りって罪に問われんの?



 咲耶は光の失せた目でぶつぶつと呟いていた。


「……うん、いいの。あんたってそういう人よね。ええ、いいのよ別に……期待とか……してないし……」

「は? 期待? 何を期待することがあるんですか? 意味わかんねえ、何語喋ってんの?」

「いやちがっ、期待ってそのっ、はしたない意味じゃなくて! あくまで友達同士のお泊まりとしての期待でっ! その……」


 ぽそりと言う。



「……お風呂上がりの飛鳥って、レアだから。見れなくて残念、みたいな……?」



「んなもん家で見ろ!!」

「見ていいの!?」

「いいけど男の湯上り見て何が楽しいんだよボケェ!!!」

「わ、わかってない! 飛鳥はなんにもわかってない!!!」


 わっかんねえよ!!!


「……見てもいいが、俺のアパートには脱衣所がない。必然、その辺で脱ぐから気を付けろよ」

「え、うん。勝手に入るなってことよね?」

「言っとくが、俺は裸を見られたら全力で悲鳴を上げる。覚えてろよ。マジで気を付けろ」

「なんの脅し!?」


「あと。平然と、ホ……何? ちょっと俺の辞書にはない言葉を、使うな」

「? 別に間違いとか起こらないでしょう?」


 ……危機感!! 起こさないけどさ!


「オラッはよ銭湯フロ行ってこい! せいぜい肩までゆっくり浸かってくるんだなァ!!」

「あんたテンションおかしいんですけど!?」


 こっちはもうヤケなんだよ!!





 ◇





 そして俺は銭湯の外で、咲耶が風呂を上がってくるのを待っていた。


 何故わざわざ外かというと頭を冷やすためだ。

 なんか火照ってるし。あー、くそ。

 絶対寧々坂のせいだ。(しばらく芽々って呼んでやらない)



 日はもうすっかりと暮れていた。

 海辺なので潮風が強い。

 近くの水道で洗った足元が冷えて、くしゃみが出る。

 ……俺も入りたかったな、温泉。



「お待たせ」


 思ったよりもずっと早く咲耶は戻ってきた。

 急いで乾かしたのだろう髪はほのかに濡れたまま、くるりと団子に纏められている。晒された首筋に、余った髪が張り付いている。


「いやもうちょっと入れよ。カラスかよ」

「ちゃんと肩まで浸かったし」

「三千まで数えろ」

「茹で死ぬわ!?」


 ちなみに、濡れた服はどうしたかというと。

 下着は丁度買ったのがあったが、着替えは魔法でも持ってこれなかった。

『わたしの領域いえから離れすぎているから』らしい。

 魔女とはいえここは現世。角なしの状態では大した魔法は使えない。


 だから着替えには、俺が今朝着てきたTシャツを貸したわけだが。


「その……変じゃない……?」


 咲耶は素顔を恥じらうように手で隠し、こちらを伺う。


 どう見たってサイズはぶかぶかだった。

 なだらかに身体のラインを覆い隠しているのが、かえって肢体の華奢さを強調する。


 背丈は十センチしか変わらないのに、体格は、差がこんなにも出るのかと驚く。


 ……女の子なんだな。


 いや、知ってたけど。

 下手に露出が高いよりも、なんだか意識してしまう。


「……いや、確実に変よ。あんたの服が変だから」

「そんなことはないさ。無人駅は変じゃない。おまえもよく似合ってる」

「褒められて屈辱なんだけど??」


 咲耶は「うぅ」とか細く呻いて、覆った手の隙間からこちらを見る。



「……あなたには一番出来のいいわたしだけを見てほしいのに」



 ……こいつ。


 溜息を飲み込んだ。


「いや、おまえは何着ても似合うし」

「ええ?」

「普段からジャージとか着てろ」

「喧嘩売ってんの!?」

「は? ジャージめっちゃいいだろうが」

「わからないわ!」


 わかれ。

 もう少し心臓に優しそうな、露出の低いラフな格好をしろ。

 今みたいな。


 ……と思ったら、脚が丸見えなことに今気づいた。さっきまで上半身ばかり見ていた。


 流石に俺のズボンは履けず、Tシャツをワンピースみたいに被っているせいで、裾からはすらりと長い足が伸びている。


 建物の明かりにの元、湯上りの太腿あしは火照っていた。

 寝巻きの丈は長いから、普段の湯上り(別にいつも見てるわけじゃない)では見えない代物で。


 白い肌が、ほのかに色づいて、夜の街灯に照らされているのは──なんだかとても悪いものを見ている気がした。


 いや、咲耶は胴が短いからTシャツの丈にゆとりはあるし、俺がさっきまで着てた薄手のコートも貸しているから、別に中身は見えないのだが。

 それはそれとして、大丈夫か……?

 下履いてないの、本当に大丈夫かこれ……。


「あ、買った下着見る?」

「見ない!!」


 シャツめくるな!


「……すんっ」

「嗅ぐなコラ!!」


 なんで嗅いだ!?


「ふふ、飛鳥の匂いがする」

「ハァ??」


 クソッ、こんなことなら朝に山とか行くんじゃなかった!




 ◇





「にしても。デートの終着点が銭湯とは世話ないな」


 苦笑する。


「ふふ、本当に。ごめんなさいね。……でも、わたしは楽しかったわ」

「ん。俺もだ」



 夜空には雨雲が立ち込めている。


「雨が降る前に帰るか」

「ええ、駅まで歩きましょう」


「そういや、デートは勝負だなんだって言ったけどさ。勝利条件はなんだったんだ?」

「ええと、相手を楽しませたら勝ちで、楽しんだら……あれ? 勝ち?」

「決めてなかったのかよ。おまえ、時々すげー適当だよね」

「ま、まあ。両方勝ちってことで、ね?」

「はいはい。……いや、おまえ本当に勝つ気あった?」


 咲耶はぎくっとした。


 ……なるほど?

 勝負だのなんだのは照れ隠しだったらしい。


 咲耶は実はそこまでアホじゃない。

 嘘と演技が時々、明後日なだけだ。


 ……なんだよ、ったく。

 面倒くさい女だよな。


 まあでも。

 その面倒くささに気付いている俺が、先回りすればいいだけの話だ。


 道には他に、誰もいなかった。

 海にかかる橋と街灯と車のライトが照る、ほの明かるい道で立ち止まる。


 隣の咲耶が、つられてこちらを不思議そうに見る。


「ほら」


 左手を、差し出した。

 今日、ずっと見られていたのには気付いている。


「おまえが嫌じゃなければ、だけど」


 物理的距離をはかりかねた一日だったから、予防線を張らずにはいられなかった。

 ……格好悪いな、俺。


 咲耶は、ふっと微笑んで俺の目を見て。



「嫌なわけ、ないじゃない。……あなたに触れたいとずっと思ってる」



 囁くように答えて。

 おそるおそる、と細い右手を重ね合わせる。

 崩れそうに柔らかい彼女の手を握り返した。


「体温、高いわね」

「おまえはひんやりしてる」


 別に、触れたことくらい何度もあるはずなのに。

 ただ普通に、手を繋ぐ。

 それだけのことが……とても特別な気がした。


 同じ歩幅で歩き出す。


「次のデートはもっと上手くやるよ」

「わたしも、あなたをもっと楽しませてみせるわ。でも……」


 言い淀む。

 多分、同じことを考えている。



 ──次は、一体いつになるんだろう。



 思い出す。

 そもそも、このデートの主旨が〝前哨戦〟であることを。


 異世界むこうのゴタゴタを片付ける〝本番〟の前に遊びに行こう、と誘ったのだ。

 つまり、今日が終わるとそろそろ真面目に頑張らないといけないということで。


 気分はまるで、宿題の溜まった連休最終日のようだった。


「あー……帰りたくねぇ。帰ったら今日が終わる」

「ふふ、やっぱりホテル行けばよかった?」

「は? 何それ? 初めて聞いた」

「あんたいつまでそれやるの!?」



 あーあ、戻りたくねーなー異世界。

 ……いっそ向こうから、来てくれないだろうか?


 早く全部、上手くいけばいいのに。

 ……いや。

 上手くやるんだったな。俺が。


 ま、どうにかなるだろう。

 なにせ俺は、結構強いし──味方には、彼女がいるのだから。


 握った手の感触を、確かめる。




「次はさ! 多分もっと夏だから。もう一度、海行こうぜ。リベンジだ」


「飛鳥、泳げるの? 腕、沈まない?」

「カナヅチになろうとも俺は海が好きだ。問題ない」

「ええー?」


「知っているか、咲耶。海の家で食べるカップ麺は世界一美味い」



 咲耶は軽く、鼻で笑う。


「あんたも大概、ジャンクじゃない」

「ちげえよ。俺は情趣を大事にしてんの」

「それはわかんないけど」

「笹木や芽々も誘ってさ、行こうぜ。浜辺で水鉄砲とかいいじゃないか。風情がある」

「え、そう?」

「銃火器は刀の次くらいに浪漫だ」

「あんたって……時々、男の子よねなんか。なんかばか」


 は? カッコいいだろ。何故わからん。


「いいわ。その約束、してあげる」


 化粧せのびを落とした素顔と、風に解けた湿り気を帯びた髪。

 悪戯っぽく幼い笑みに、約束をする。


「海行こう」

「うん」

「夏になったら」

「うん」

「絶対だ」

「うん」


 指切りよりも硬く、手を繋いで。




「ね、飛鳥」


 囁くように名前を呼ばれる。

 街灯の下、視線はすぐ近く。


「もし、向こうに戻ることになったとしても……ひとりで行っちゃダメだからね」


 真っ直ぐにこちらを見つめる両目。

 きゅ、と強く握り返された手は、離さない、と言われているような気がした。


 ふっ、と笑いが漏れる。


「バレたか」

「バレたか!?」

「冗談だよ」


「……本当に?」


 何故、信用がない?





「──約束。置いていかないでね」



「──ああ、約束だ」






 空は暗雲立ち込め、夜の海は真っ黒。

 でも、悪くない。


 どうせ、すぐに夏は来る。

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