第8話 友達の家にお呼ばれする。

 ◆


 これはずっと昔の話。

 わたしがまだ『文月』ではなかった頃の話だ。


 昔から将来の夢は『素敵なお嫁さん』だった。

 そんな夢を見た原因は、たった一人の肉親──実母ははにあった。


 母親は、嵐のような女だった。

 自由で奔放、言い換えれば身勝手。

 そして、とびっきりの『恋愛体質』。 


 いつだって恋を優先し、ろくに家に帰ってくることも……家族わたしを省みることもない。

 わたしはそんな母のことを軽蔑していたし、そんな女のことが嫌いだった。

 

 そしてある時、母は勝手に病を患って、勝手に死んだ。わたしを置いて。

 病室には最後まで、母の恋人だった人間は、誰ひとりとして訪れることはなかった。


 それを見て、わたしは思ったのだ。


 ──なんて無様な最期だろう、と。


 恋なんてもののために、身勝手に生きて。

 死ぬ間際に手を握ってくれる人もいないなんて。


 そう、ただひとりの娘であるわたしすら。

 蔑ろにされたこれまでを恨んで、手を握ってやることもしなかった。


『ねぇ、ママ』


 わたしは、一言一句覚えている。

 死にゆく病床の母親に放った言葉を。


『わたしは、無様に恋を追ったりしないわ。あなたと同じ道は辿らない』


 もうすぐ死ぬ母親に。

 自分と同じ顔をした女に。 


 かつてのわたしは、吐き捨てたのだ。



『ざまみろ』



『わたしは、間違えない』



 ──紛れもない呪いの言葉を。




 その言葉のろいが、わたし自身に跳ね返ってくるものだとも知らないで。






 ◆






「ふんふんふんふふーーん」


 背中の方から、芽々の鼻歌が聞こえる。

 わたしはクッションの上で正座したまま、身動ぎひとつできないでいた。


 というのも。


「サァヤの髪、とってもさらさらですね! いじりがいあります……うふふ!」


 ここは放課後に招かれた芽々の家で。

 わたしは部屋に座らされ、芽々に髪を三つ編みにされている最中だったからだ。



 ──芽々が協力を申し出たのがつい先日のこと。 


 転移術式の破片が入ってしまった彼女の瞳を鍵にして、異世界むこうと繋がるための魔法を作る。それが当面の方針で。

 こうして芽々の家にいるのも諸々の調べごとや打ち合わせのためだった。


 ちなみに飛鳥は労働があるので欠席だ。『魔術だの魔法だのはわかんねぇからおまえに任せた』と言われている。


 ……そこまでは、いいのだけど。



「どうして、芽々に髪を弄られているの?」



 あれ。わたし何しに来たんだっけ……真面目な話をしに来たんじゃなかったっけ……。


「え? かわいい女の子を部屋に連れ込んでやることなんて、くんずほぐれずと決まってるじゃないですか」

「その言い方はやめなさい」


「女の子だってかわいい女の子とイチャつきたい、それが宇宙の真理です。具体的には綺麗な髪を見るとムラッときます。サァヤを部屋に連れ込むなり『芽々、我慢できない。今すぐ編ませて〜!』と襲うのも致し方ないことだったのです」

「だからその言い方やめなさいって」


 後ろは見えないけど、声の調子はしれっと平坦。

 絶対に真顔で言ってる。


「サァヤってば押しに激よわ! そんなだから芽々の毒牙にかかっちゃうんですね。うふふっ、大丈夫、かわいがってあげますからね……」

「殺すわよ」

「よし、三つ編みかーんせい!」

「無視なの?」


 手鏡を押し付けるように渡される。


「めっちゃ似合いますよ! 全人類が褒めちぎること間違いナシ!」

「清々しいまでのお世辞ね。……まあ、悪い気はしないけど」

「ちょっろ」 

「…………帰っていいかしら」


 もう疲れた。



 三つ編みに手を触れる。


 そういえば。

 現世こちらに帰ってきてからというもの、自分で髪をいじることはあまりなくなっていた。

 あまり凝った髪型をしたところで、どうせ眼帯で台無しだ。


 ……でも。

 いつもとちょっとちがう髪型にしたら、飛鳥は何か言ってくれたりするのだろうか、なんて。

 編み込まれた髪を見ながら考える。


 あいつは結構、無神経なところがあるし。

 いちいち余計な一言が多いし。

 察しがいいのか鈍感なのか、時々よくわからないし。

 でももしかして、もしかしたら『よく似合ってるよ』とか優しく笑って言ってくれたり…………しないな。絶対しない。


 あいつは、そう。

 わたしの三つ編みを見て、せいぜい『おっ今日はしめ縄か? 縁起がいいな』とか言うのが関の山だ。


 ムカつく。

 想像だけで百年の恋も冷める。

 元々冷めてるけど。



 なんてくだらないことを考えていたら、芽々が悩ましげにこちらを見ていた。


「うーん、せっかくですから着せ替えもしたいですね」

「わたし、人形じゃないんだけど。そもそも服のサイズが合わないでしょ」

「サァヤはおっぱいでけぇ以外は細いからイケます!」

「胸って言いなさいよ!」


 丁寧語なのに口が汚い!




 ちなみに、芽々の部屋は全体的にメルヘンな雰囲気だった。

 色合いこそ茶色や緑を基調としているものの。

 恥ずかしげもなく並べられたぬいぐるみや、猫足の家具など。

 細部に少女趣味が宿っていた。


 立ち上がった芽々が、大きな木製のクローゼットを開く。


「こーゆーのはどうですか?」


 クローゼットの中にはレースとフリルがたっぷりとあしらわれた、デコレーションケーキみたいな甘ったるい服が並んでいた。


「ヒッ……! そんな恥ずかしい服、着れるわけないじゃない!」

「え、マジ言ってるんですか?」

「なにが」

「サァヤこの前、ヤバ恥ずかしいドレス着てたじゃないですか」

「そこまでじゃないでしょ!」

「今日びソシャゲのキャラでもそんな脱がんてー。芽々、ドン引きでした」

「……そんなに!?」

「その点、こっちは露出ゼロですよ。恥ずかしがる理由とかナイナイ。ほら、このドレスとかアリスみたいでかわいくないですかー?」


 ニコニコとクローゼットから服を引っ張り出す芽々に、頭痛がしてくる。


「……あなた。その手の話が好きよね」

「大好きですね!」


 少女趣味で空想趣味でサブカル趣味でオカルト趣味な芽々は、夢見るように目を輝かせる。



「砂糖菓子みたいな話が好きなんです。現実には、何の役にも立たないような」



 そう言って服を放り出し、隣の本棚へ。

 一冊、本を抜き取る。

 その手にあるのはかの〝不思議の国〟の物語だ。


「正しさとか教訓とか『くそくらえ!』って感じに描かれた物語は、素敵だと思いません?」


「少なくとも、それは有名な話に言うようなことじゃないと思うけど」

「アリスって教訓的でないことが評価されたお話らしいですよ」

「……それは知らなかったわ」



 益体も無い相槌を打ちながら、わたしは必死で頭を回す。


 芽々の事情は聞いている。

 でも、本当にそれだけなのだろうか?

 

 ……正直ずっと、この子が何を考えてるのかわからない。


 飛鳥と同じくらいか、もしくはそれ以上に──いや、あいつは何も考えていなかったか。

 わたしはもう知っている。

 アイツが、真面目な顔して意外と何も考えてないということを。

 あれはただの馬鹿です。


 ──だから、『任せる』と言われたわたしが。

 この子の真意を見定めなければならない、と思った。




「教訓のない話が好き、ね」


 わたしは立ち上がって芽々の隣に。

 本棚に並んだ続編の一冊に、鏡の国の物語の背表紙に触れる。


「なら、そんな物語から教訓めいた意味を見出したりするのは。あなたとしては、いただけない?」


 話を深掘りする。

 この子が何を感じて何を考えるような子なのか、知るために。


「……『赤の女王仮説』のことですか?」


 わたしは頷いた。

 二作目は、有名な一節がある。

 

「〝その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない〟」

「エモい一節フレーズですよね。生存競争の仮説に引用したくなるのもわかります」

「……実際は、ほんの一瞬出てくるだけの脇役の台詞だけどね」


 予想通り、芽々はにんまりと笑って。


「まじナンセンスですね! いちいち深い意味を見出すなんて、説教くさくていけません! 芽々、現代文の授業とか超きらい」


 嬉しそうに罵倒する。


「折角の砂糖菓子も、それでは『ハッカ飴』です」

「お説教ってミント味なの?」

「歯磨き粉味です。大人は歯磨きしろってお説教するでしょ」


 わたしはされたことないけど。



「……真逆だわ」

「何がです?」



「わたし、教訓とか実用性とか、見出すのは結構好きなのよ。……気が合わないわね?」


 わたしの探るような挑発に。


「そですか? 芽々はサァヤのこと好きですよ」


 芽々は、いつもの食えない調子で返すだけだった。




 ……やっぱりこの子、苦手だ。





 ◆




「そろそろ本題に入りましょうか」

「そうですね」


 散々遊んだ芽々は満足したのか、素直にローテーブルの対面に座り直した。

 わたしは飲みかけのアイスティーに口をつける。

 

「では、早速ですが……」





恋話コイバナから、始めましょっか!」



 紅茶咽せた。

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