第2話 あだ名は深入りの免罪符ではない。
あれから十日程。
わたしたちの関係の名は何も変わらずにいた。
──今日までは。
◆
「介錯は頼んだ」
芽々にすべてを聞かれていたことを理解した飛鳥は、わたしにそう言った。
それはもう、すっごく爽やかに。
「なに言ってるの!? あ、ちょっと、窓から飛び降りようとしないで! ていうか飛び降りに介錯とかないから!!」
窓枠に乗り出した飛鳥のシャツを必死で引っ張る。
「あ、ヤベえ。二階だから死ねないわ」
「ヤバいのはあんたよ!!」
なんで醜態を晒したからっていきなり身投げしようとするの!?
ぺしりと頭を
できるだけ加減はした。
乱暴は、はしたないのでイヤなのだけど(この前の反省でもある)、なんと飛鳥は叩けば直るタイプの
衝撃で我に返って、飛鳥はすんっとおとなしくなった。
いやおかしいでしょ。
「ねえ、気付いたけど……あんた、まだ感情の出力がバグってるわ」
「かもしれん」
「かもじゃないのよ」
溜息を吐く。
羞恥心が強いとか以前に。
時々──喜怒哀楽が、極端なのだ。
奇行の原因はおそらくそれだ。
それは、
──要するに。
日南飛鳥は相変わらず、人間が下手だった。
「え。なにやってるんですか? こわぁ……」
廊下の窓から様子を見ていた芽々がとても引いていた。
そのまま芽々は廊下の窓から「よいしょ」と入ってくる。
夕焼けみたいな赤毛の金髪にくりくりとした大きな瞳。
緑がかった瞳はわたしたちとそれとは違い、自然な生まれついての色彩だ。
肉付きのない細い足が覗く、短い改造スカート。
上に羽織るのはぶかぶかのカーディガン。
それは肩からずり落ちていて、中の黒ブラウスがノースリーブのせいで生白い肩が見えていた。
ニコリとこちらに笑いかける、芽々。
分厚すぎる眼鏡が印象から浮いているけれど。
やっぱり、寧々坂芽々はとびっきりに愛らしい女の子だった。
ちなみに飛鳥の制服も半袖に変わっているのだけど。
ワイシャツの下に長袖の黒を着ているから、あまり夏服の印象はない。
邪魔くさい前髪も、隈のせいで少々悪い目付きも、うざったい右腕も、いつも通り。
変わったといえば。
最近少しだけ顔色が良くなった気がする。
餌付け……もとい食卓共有計画の成果だ。
それは、いいことだけど。
溜息を吐く。
「ねえ飛鳥。いいこと? そもそも、こういう話を教室でやるのが間違いだったんだわ」
「くっ……!」
「なんで悔しそうなのよ」
わたし今、常識的なこと言ったでしょ。
「でもわかりますよ飛鳥さん。わざわざ教室でそういうことやる理由」
何故か隣でうんうんと頷く芽々。
「……ずばり〝黒板〟でしょう?」
「わかるのか」
「わかりますとも」
「……えと、どういうこと?」
「黒板はエモいアイテムですから。大事な話をする時には黒板を使いたい。そういう普遍的な心理があるのです」
全然わからない。
それは普遍的じゃないと思う。
「俺、芽々のことめっちゃ好きだわ」
「なんでよ」
ねえ、なんでそんなところで軽々と『好き』って使うの。
わたしには?
わたしには一度しか言ってくれなかったのに?
ねえってば。
……などと言いかけたのを止める。
別に、別に別に、別に、嫉妬とかじゃない。ないのだから。
いや本当に。
こんなくだらないことで嫉妬してたまるかって話だ。
「は? なんか異様に好感度高いんですけど」
それに芽々は芽々で引いていたし。
「芽々、なんかイイコトしましたっけ?」
「ああ。俺が自分を見失わずに済んだのは芽々のおかげだ」
首を折れそうなほど傾げる芽々。
「???」
「俺が迷わずにいられたのは、あの時芽々がサクランボを最後に食べると言ってくれたおかげだからな。つまり、君は恩人というわけだ」
「は? 何言ってるんです? えっそんな真っ直ぐな目で見ないで。身に覚えがない恩! 意味のわからない好意! めっちゃこわいです。コワ!!」
芽々はわたしの方へ逃げてくる。
「たすけて咲耶さん。こいつなんとかしてください」
「はいはい。うちの自我初心者がごめんなさいね……」
「たすけて〜〜」
飛鳥から隠れるように、わたしの背中に隠れる芽々。
その怯える姿はまるで小動物。
こちらを見上げる潤んだ瞳、しがみつく小さな手の感触に、胸がきゅうっとなる。
……か、かわいい!
「ところで。咲耶さんのこと、そろそろあだ名で呼んでいいですか?」
「? ええ、いいけど」
「わーい。じゃあこれから、サァヤって呼びますね!」
そう、呼ばれて。
微妙な顔になる。
「あれ、お気に召しませんでした?」
「いえ違うの。わたし、その……」
「あだ名で呼ばれるのは、初めてで」
一昔のわたしの振る舞いは親しみとは少し遠かったから。そんなふうに呼ぶ相手はいなかった。
これは、なんだか。
「くすぐったい……いえ、嬉しいわ」
誰かさんを見習ってちょっぴり素直に言ってみる。
芽々は少し、驚いて。
「んふふ。サァヤって……かわいいひとですね?」
小さな唇を緩め、半目でわたしを見つめて言った。
どきりとする。
どうしよう。
年下の女の子に手玉に取られている……!!
「俺の分のあだ名は?」
飛鳥がなんかすごく羨ましそうにこちらを見ていた。
年上の威厳がない。
「えっ欲しいんです?」
「欲しい」
「はーー?? なんだこいつぅ?」
「そうか、いやいいんだ……俺と芽々は、所詮その程度の仲だったんだな……」
「蹴っていい? めっちゃムカつく」
芽々はげしげしと飛鳥を蹴ろうとしたけれど、残念ながら全部避けられていた。
「まあいいですけどぉ。……さん付けするのもバカらしいですし」
「おい」
「間違えた。てめぇはさん付けする価値もない……」
ゴミを見る目だった。
「んーとですねー。ヒナ、飛、ひー、墜落飛行機、センパイモドキ、くそがよ……」
「なんで今罵倒した?」
「じゃあ、ひーくんで」
「やったぜ」
いいんだ……。
「お返しに」
「あ、やだ。芽々のことは芽々以外で呼ばないで。虫唾が走る」
「……俺、マジで嫌われてる?」
「好きですよ。芽々のクリームソーダを汚した恨みだが?」
「そうかよかった」
「よくねぇんですよこのやろ」
「……あなたたち、なんの話してるの?」
なんかもう、頭痛がして。
軽々しく『好き』と言い合っていることもどうでもよくなってしまった。
芽々は飛鳥と戯れ合うのをやめて、真顔になる。
「そーですね。いい加減、本題に入りましょうか」
愛想も愛嬌もないその言い方に、僅かな違和感。
「実は、芽々は盗み聞きしに来たわけじゃなくて。お二人をご招待に来たのです」
「招待?」
「ええ。我がオカルト研究部の部室へ!」
大袈裟な身振りと、広げられた両手に。
飛鳥と顔を見合わせる。
「悪いけど、入部の誘いなら」
「バイトあるし普通に嫌だけど」
わたしたちは今、だいたい似たような顔をしていると思う。
微妙に苦々しい顔だ。
「つかなんだよオカ研って。おまえ、さては研究対象として俺たちを収集するつもりだろ」
「ありゃ、バレました?」
「バレるわ。おまえとは気が合うみたいだからな。何考えてんのか、なんとなくわかんだよ。……いや、誰がオカルトだ誰が。相変わらず失礼なやつだなおまえ」
「おっと、さては芽々のこと思い出してますね? かわいい後輩のこと忘れてたとかクソやろーですね! 今更先輩ヅラしてもおせーですよ、ひーくん!」
わたしにさえ勇者と呼ばれるのを飛鳥は嫌がるくらいだ。
流石に、存在がオカルト扱いは許せないらしい。
「でも入ったらウチの部室の黒板、使い放題ですよ?」
「………………」
「あんたまさか、揺らいでる?」
そんなに?
そんなに黒板が好き?
「冗談です」
芽々はニコニコと、愛想笑いを浮かべたまま。
「実のところ、部活のお誘いではないのですよ。ただ、
含みのある、言い方に。
──思い出す。
確か、裏路地で秘密を目撃された一件の後。
呼び出された喫茶店で、芽々は言った。
『事情は、あだ名で呼べないうちは聞きませんけど』と。
つまり。
『あだ名で呼んでいいなら、事情を聞いてもいいってことですよね?』と。
芽々は主張していたのだ。
急にあだ名でわたしを呼んだのはそのためか。
……なんて、たちの悪い。
けれど「その理屈は通らないわ」と返す前に。
芽々は、おもむろに眼鏡を外した。
ぱちぱちと二、三度の瞬きをして。
顔を上げる。
わたしたちを見据える、大きな瞳の中には〝星〟が、瞬いていた。
比喩ではなく。
──ぞわり、と鳥肌が立つ。
普通の人間の虹彩に、そんなものはない。
そして、その〝星〟は。
わたしたちの異常な目を持ってしても、芽々が眼鏡を外す今まで気付けなかった。
──目の前の光景は正真正銘の『異常』だと、理解する。
「説得の必要は、なさそうですね?」
星の瞬く瞳を、芽々はゆるりと細めて。
花弁のような小さな唇を、歪める。
「どうぞ、話をお聞かせくださいな?
──やはりあの時、記憶を消しておくべきだった。
身を乗り出す。
けれど、その前にわたしの腕は掴まれ、引き止められる。
飛鳥だ。
さっきまで浮かれていたのが嘘みたいに冷静な目で、彼は首を横に振る。
「話を聞いてからでも、いいだろ」
「……あなたが、そう言うなら」
◆
芽々の案内に従って、校舎の旧棟へ移る。
日の当たらない廊下に軋む階段、空気は少しかびている。
オカルト研究部の部室は、突き当たりにあった。
古い引き戸には木製の看板がかかっている。
看板にはどろどろと絵具を塗りたくられていて、一種の世紀末芸術っぽさを感じさせる。
「いいでしょ。この看板、マコが作ってくれたんですよ」
「笹木君……」
「あいつセンスが普通じゃねぇな」
飛鳥がふと、扉を睨んで言う。
「つか、ここは天文部の部室じゃなかったか?」
「無くなりましたね」
「……そうか」
それは他人事の呟きではなかった。
「あなた、帰宅部だったんじゃないの?」
「一応、籍だけ置いてたんだ。バイトで忙しかったからな」
「知らなかった」
「……中学の頃から、俺は天文部だったんだよ」
その感傷も、一瞬だけ。
さっさと部室へ入ってしまった飛鳥を追って中へと入る。
扉を閉める。
「鍵もかけてください」
「ええ、わかってるわ」
──ここから先は、誰に聞かれるわけにもいかない話だ。
視界に入るのは資料の溢れかえった本棚、歪んだ黒板、古びたソファに、場違いな望遠鏡と天球儀。
そういうものが雑多に並んだ、部屋の中。
わたしは、寧々坂芽々に向き直る。
一度
眼鏡をかけなおした後でも、注視すると瞳の星を見ることができた。
聞くべきことは、決まっている。
「あなた、何者なの」
芽々は、黄色がかった日射し差し込む窓の前。
スポンジの見えたボロのソファの上で、折れそうな脚を組む。
「あらためて、自己紹介を。
どこにでもいるサブカルな女子高生。
オカ研ただひとりの実働部員。
すべて、嘘ではないですが。
「──私、寧々坂芽々は。
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