第26話 わたしはひとり岐路に立つ。
『アレは、日南センパイじゃない』
◆
「答えろ飛鳥! あなたが失くしたのは、本当に記憶だけか!?」
わたしは問い詰める。
春の終わりの空気は
飛鳥はその場に立ち止まったまま。
彼我の距離は、手を伸ばしても届かない。
街灯の下で、表情ははっきりと見えた。
見るだけでこちらが顔を掻き毟りたくなるような、薄ら笑いを彼は浮かべたまま。
答える。
「腕がないな」
「あと家もない」
「綺麗な経歴もなくなったし」
「通帳の残高もないな」
『それだけだ』というような軽々しい返答。
呆気に取られそうになったのを
「……ふざけるなと言ったでしょう」
「俺はいつでも本気だよ」
目眩と吐き気を錯覚した。
「わからないわ」
表情が見えたってなんの意味もなかった。
どれほど目を凝らしても、
「あなたの考えていることなんて、ちっともわからない」
目の前に横たわる不理解の溝が、どうしようもなく深い。
彼は仕方なく、と言ったように笑みを消す。
「ぎりぎり笑えるのはここまでだろ」
ひどく冷たい顔で。
温度のない声で。
「それ以上を聞いてどうする、って言ってるんだよ」
『言いたくない』の意だ。
それを受け入れることが休戦協定の中身で、守るべき境界線だと理解している。
けれど、わたしはもう。
踏み込むべき時を見誤らない。
「どうするかなんて、決まっているわ」
◆
「咲耶さん。〝哲学的ゾンビ〟って知ってます?」
──あの続きに、芽々は言った。
わたしは、『聞いたことはある』と返した。
思考実験だ。
人間とまったく同じ見た目と中身で、けれど、『意識』だけがない人間がいたら、という仮定の話だっただろうか。
「〝人間のフリをしているだけの生き物〟……これはクソクソ雑で本質とはまったくズレた、赤点レベルの要約ですが。今の話の文脈では、そんな感じです」
「……まあ、それがなんだって話ですけど。ふと思い出したので、言っただけです」
そうだ、わたしは分かっている。
気付いている。
頭を異世界に置いてきてしまっただとか。
現世で生きるのが難しいとか。
もはやそういう問題ではないのだ。
──おかしいのは、アイツだ。
アイツが、普通の人間のやり方を、忘れすぎているのだ。
魔女のままでいるわたしにすらわかる『普通』を、致命的に分かっていない。
──それが、何よりもおかしい。
だって。
わたしにできて、アイツにできないことなんて。
かつてのわたしが惹かれたあの人に。
憧れ、羨んだ『日南飛鳥』にそんなもの。
──あるわけがないのだから!
◆
夜道。月明かり。涼風。真っ黒な
わたしは彼を、問い詰める。
遠い昔のような、たったの一週間前。
彼がわたしを屋上で、答え合わせをしたように。
──まずはひとつ目。
「その
「そうだな。完全に
「……外せないなんて、まるで『呪われた装備』ね?」
「『呪い』とか、『聖剣』に使う言葉じゃねえな」
「まあでも、重いわ冷たいわでちょっと寝苦しいくらいしか問題はない」
「今はそんなこと聞いてないのよ、わたしは」
軽口の調子を断ち切って、言葉の刃を突きつける。
──そして二つ目。
「その目、聖剣を使うほどに青くなったって、言ってたわよね」
「ああ」
「おかしいわ。わたしの目が赤いのは、ただの魔眼だけど……」
「ただの魔眼って言い方がもうおかしいけどな」
今、それは関係がない。
「でも。あなたの目は変な色をしているのに、たかだか視力がちょっといいだけじゃない」
「大事だろうが。ドンパチやったら眼鏡割れるだろ。もうバッキバキに」
「今更、あなたが何を言っても笑わないわよ、わたしは」
「…………」
誤魔化そうなんて。
その手には乗らない。
今。
「そもそも。剣を使うと目の色が変わるなんて、
「……おまえ、今更それを言うか」
「そうね。違和感は、異世界はなんでもありだと思って流していたわ。わたしがファンタジー慣れしていたせいね」
そういうこともあるのだろう、と。
受け入れてしまっていた。
……あまりにもあっさりと。
「ねえ、知っているでしょう。『見る』という行為は、半分は目で、半分は脳でするものだって」
「……それがなんだ」
「ええ。これはただの
昨日、今日と。
ずっと考えていたのだ。
──最後に、三つ目。
「異世界の言語について」
返答は、沈黙。
わたしは追及を続ける。
「いちから学んだわたしと、起きたら使えるようになっていたあなたの違い。それが魔術だとしたら、
「ここは異世界じゃない。だから、
「けれど。わたしの眼球が抉りとれないように、あなたの義手が外せないように。〝機能が肉体に紐づいている〟としたら、それは
彼はもう、相槌を打たなかった。
──あの日の帰路の会話を、よく思い出す。
わたしの問いかけに、彼は。
『魔女の発想だな』
と答えた。
こみ上げる怒りに、目の前が真っ赤に染まる。
「
飛鳥は、否。
日南飛鳥だったはずの何かは、答える。
「
──最悪な、肯定を。
ばきり、と拳の中に握り締めていた口紅が割れた。
破片が手のひらに食い込むのも構わずに、わたしは痛みを握り続けた。
ようやく、気付いた。
今更。
今更。
今更。
アイツが、本当に、
──自分自身だ。
◇◆
異世界召喚、という
二年前、彼と彼女が巻き込まれたものは、概ね正道の物語のような筋道を辿っていた。
──その異世界は、滅びに瀕していて。
──悪の魔王が君臨し、世界の破滅を推し進めていて。
──脅かされた人類は、救われることを願っている。
その果てに、双方が、切り札として
そしてヒトは願ったのだ。
『どうか
けれども、その願いは不合理だ。
何故ならば。
何もわからず呼び出された別世界の人間に、知らぬ異世界を救う『理由』がない。
そして召喚できたのは、正真正銘に『普通の人間』だった。
何かを救うには、それなりの理由が必要だ。
それは例えば、愛であったり、信仰であったり、名誉だったり、報酬であったり──守るべきものや得るべきものが、世界にあってしかるべき。
命の危険も知らず、現世でのうのうと生きてきた少年ごときに、世界の命運を背負わせるのは不合理だ。
それでも別世界の人間を呼び出すしかないのなら。
それでも、彼を勇者に祭り上げるしかないのなら。
どうすれば
答えは決まっている、と
──脳味噌を書き換えて。
──記憶を封じて。
──
そして器を〝世界を救え〟と使命で満たせば。
『機能』は十全に発揮される。
どんな人間を材料にしようとも、正しく『勇者』は出来上がる。
合理的で効率的で──それだけの、結論。
その真相に、彼女の推測はようやく辿り着いて。
魔女は完璧に、理解した。
────今、目の前にいる
────日南飛鳥の〝成れの果て〟だ。
と。
『……だとしても』
『わたしの
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