第8話 零時をすぎたら その三
なぜなら、すだれのように顔を覆う髪のすきまからのぞく、少年のその顔。
それは、人ではなかった。
目玉も二つあるし、鼻は一つ、口も一つだが、皮膚全体が緑色がかった灰色で、繊毛のような細かい触手がビッシリとついている。
よく見れば、胸から腹にかけて、
龍郎は悲鳴をあげて、逃げだした。フードの男のあとを追うような形で階段をかけあがる。
(人間じゃなかった。なんだ? アレ)
悪魔だったのだろうか?
だから、人目につかないよう鎖につなぎ、監禁しているのだ。
思わず逃げだしたが、悪魔だったのなら、退魔すべきだったのかもしれない。
しかし、なんだろう。
あの少年のそこだけやけにキレイな両眼には、悲しみのようなものが見えた。
(あの顔。どっかで見た)
フードの男もそうだったが、あの人ではない少年の容貌にも、なんとなく記憶がある。たぶん、以前に見たことがある。それが誰だったのか思いだせないのだが……。
落ちつかない気分で、龍郎は階段を最上部にまでのぼりきった。フードの男の姿はもう見えない。
四角く切りとられた窓から、なにげなく外を見ると、中庭を走っていくフードの男が見えた。どうやら、本館へ帰っていくらしい。ということは、本館の住人の誰かということだ。
龍郎は男が本館に戻っていくところを見届けようと思った。今から追いつくことはもう不可能だ。せめて、本館の誰かだという確証がほしい。
そう考慮して見守っていたのだが、男は噴水の近くまで来ると、キョロキョロとあたりを見まわした。
真夜中だ。周囲に人目なんてあるわけない。何をあんなに用心しているというのか? 龍郎に目撃されることを憂慮しているのか?
やがて、男は噴水のなかへ入っていった。ウンディーネの像に歩みよる。そこで急に姿が消えた。
(なんだ? 消えたぞ?)
しばらくながめていたが、男はそれきり現れない。やはり、消えたとしか思えない。
龍郎は急いで外へ続く階段をかけおり、塔を出た。
別館のよこを通りぬけ、中庭に到着するまでに十分以上はかかった。あのフードの怪しい男は、どこにもいない。
(逃げられたか)
だが、それにしても、この噴水のなかで消えた。あの男が魔法使いだとしても、ただ消えるだけなら、塔で龍郎に見つかったときに失せればいい。しようとしても、できなかったからだ。この噴水に消滅マジックのタネがあるのではないだろうか。
龍郎は噴水をながめた。
月光にゆれるさざなみ。
水の底にあのガラス片がキラキラ輝いている。
とうとつに龍郎は気づいた。水深が浅い。以前はもっと深かった。少なくとも水底まで六、七十センチ近くあったのに、今は三十センチもない。ガラス片がすくえそうなほど近くに見える。
水の循環は噴水が止まっている今現在、停止しているはずだ。だとしたら、水はいったいどこに消えたのか?
(そういうことか)
龍郎は思いきって、革靴のまま噴水のなかに入っていった。ウンディーネの像のそばまで歩いていく。大理石を彫刻された、ごくありきたりの像だ。芸術的な価値はともかく、仕掛けなどはありそうもない。
ウンディーネの像のまわりをぐるっと一周した。最初の位置まで戻ったとき、龍郎は靴の底にひっかかりを感じた。平坦なはずの大理石の敷石に、でっぱりがある。ほんの少しだけ、まわりの敷石より盛りあがっている。手をつっこんでさぐると、その盛りあがりは敷石一つぶんだ。四十センチ四方くらい。ちょうど、塔の最上階にあった、階段を隠すための落としぶたていどの大きさだ。
あるいは、これも落としぶたかもしれない。
龍郎は開閉できるようなものを探した。ふたを動かすスイッチか、取手にあたる何か。
が、あまりにも熱中しすぎていたのだろう。いつのまにか、何者かが背後に近づいてきていた。とつぜん、足をつかまれ、龍郎は水中にひっくりかえる。とは言え、水深は三十センチだから、上半身を起こせば溺れることはない。
襲撃者に反撃しようとふりかえる。真うしろを見て困惑した。人影がない。でも、足首をつかむ力はゆるまない。
サッと水中を見る。激しく水面がゆらいでいた。水中に何かいる。しかし、水しぶきがひどく、白濁して水のなかにいるものが目視できなかった。
しめつける力がだんだん強くなる。このままだと骨折してしまう。
龍郎は右手を伸ばして、それをつかんだ。ビクッとそれがふるえ、縮みあがる。バシャバシャと水をかきまわしながら、それは去った。
しかし、錯覚だろうか?
一瞬、見えた人間の腕のようなものは、敷石のすきまに消えていったような?
龍郎はそのあたりを徹底的にさぐった。ウンディーネの像の尾の下に突起のようなものがある。押しこむと、ガタンと大きな音が地下のほうで響いた。金属のこすれる重い音がしたのち、さっきのでっぱりあたりが四角く口をひらく。ゴボゴボとそこに水が飲まれていく。
龍郎は穴のなかをのぞいた。どうやら、階段があるようだ。
(ここだ……間違いない)
サラが夢のなかでくだっていた階段。
あれは塔じゃない。
この階段だ。
了
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