第7話ー④ 僕(『織姫と彦星』狂司視点)

「物を増やさなくて正解でしたね」


 自室に着くと、僕は部屋を一望しながらそんなことを呟きます。


 それからクローゼットにあったリュックサックを取り出して、本棚の本をリュックサックに詰め込みます。


 最後の本を手に取り、ふと織姫さんとの会話を思い出しました。


 その手に持っている本は、織姫さんが愛読しているビジネス書と同じものだったのです。


「――そうだ」


 それから僕はその本にメッセージを残し、本棚に立てると、他のすべての荷物を持って自室をこっそり出ました。もちろん誰にもばれないように。


 外に出た僕はエントランスゲートではなく、建物の裏側(職員室からは死角になる場所)に来ていました。


 ここからどうするかって? もちろん、脱走です。


 僕は、能力を駆使して施設の壁を飛び越えます。からすの羽なら、絨毯のようにして、人を一人乗せるくらいのことは容易です。それに、施設のセキュリティは上部に対してはほとんど守られていない。


 ちなみにこれは以前、暁先生を誘拐した時に使用しているので間違いはないです。


 もしかしたら、『エヴィル・クイーン』の襲撃後にセキュリティが付いた可能性がありましたが、どうやらその可能性はなかったようですね。


 地面に足をつけ、飛び越えた壁に視線をやり、再度セキュリティが作動していないことを確認します。


「さてと。それじゃあ、行きましょうか」


 それから施設を抜け出た僕は、最寄り駅まで歩き始めます。


 30分ほど歩けば、きっと到着するでしょう。しかし、時間的にもう終電時刻ですね。


 どうしたものかと少々頭を悩ませながら駅へと向かいましたが、駅にはなんと一台のタクシーが停まっていました。


 これならば――そう思った僕は、そのタクシーに乗り込みます。


 未成年が一人でこんな時間にタクシーを利用するなんて、きっと不自然極まりなかったことでしょう。運転手の男性が不審な目を向けてきます。


 しかし、こういう時に使える嘘を僕は知っています。


「家に、帰りたいんです。お父さんとお母さんに家出をしたことをちゃんと謝りたくて……」


 僕が悲し気な表情を作ってそう言うと、運転手の男は同情する目を僕に向けました。


「そうかあ。きっと両親も心配してる。早く帰ってやらないとなあ!」

「あ、は、はい!!」


 もう少し問答があるかと思いましたが、単純思考の方で助かりましたね。


 そんなことを思いながら、僕はほっと胸を撫で下ろします。


 それから僕が目的地の住所を告げると、運転手の男は車を動かします。


 車内では運転手の男の話を聞いたり、僕のことを聞かれたりと少々面倒ではありましたが、なんとか目的地に到着しました。


 かなりの高額を請求されることとなりましたが、なんとか手持ちのお金で足りたので、僕は胸を撫でおろします。


「じゃあな、ちゃんと親孝行するんだぞ」

「はい!」


 僕が笑顔でそう答えると、そのタクシーはどこかへ去っていきました。


「さてと……」


 そう呟いて僕が視線を向けた先。それはまあどこにでもある一軒家です。


 ちなみにその表札には『烏丸からすま』と書かれています。


 そうです。僕の実家です。僕は数年ぶりに実家へと帰ってきました。


 正直、両親との思い出なんてものはなかったので、久々の再会になるはずなのに、感動要素が一つもありませんでした。


 そして両親は僕が何をしていたか、何をしてきたかを知っています。しかし、彼らは僕には何も言いません。


 いえ。言えないのでしょう。おそらく兄の件があって、僕に顔向けができないと言ったところでしょうか。


 まあでも、僕にとっては好都合でした。おかげで『アンチドーテ』の活動を心置きなくできたわけですから。


 そんなわけで僕はこれから唐突に帰省するわけですけど、まあおそらく何も言わないし、聞かないのでしょうね。


 心では何を思うかは知りませんけど……


 それから僕は玄関のチャイムを鳴らします。


『はい』


 女性が応答しました。そうです、母です。


「狂司です」


 僕がそう言うと、しばらくして玄関が開かれました。


「おかえりなさい」


 母はそれだけ言って、僕を家の中に向かえました。


「ただいま、です」


 ピンクのエプロン、一つに括ったセミロングの髪――その姿は、以前と変わらぬものでした。


 しかし、少しだけ年を取ったように見える母の顔を見て、自分がどれだけ家を離れていたのかを実感します。


 それから母が僕に何かを聞くこともなかったので、僕はそのまま自分の部屋に向かいました。


 久しぶりに戻って来た僕の部屋は、家を出た小学6年生時とほとんど変わっていませんでした。


 金属製のシングルベッドと学習机のみの実にシンプルな部屋。


 その部屋におもちゃやゲームは一つもなく、机には何か調査で使ったファイルや新聞のスクラップ記事など――あまりに子供らしくない部屋に、少し面白く思ってしまいます。


 綺麗にベッドメイクをされているところを見ると、僕がいつ帰って来てもいいようにと、母が手入れをしてくれていたのでしょう。


 こんな僕でも、ちゃんと息子だと思ってくれているようで、少し安心しました。


「とりあえず、無事に帰宅ってことですね……」


 ふとそんな言葉を呟きます。


「でも、明日には施設のみんなが気付くことでしょう。そして僕の所在もすぐに明らかになる。まあ、さすがに時期が時期ですから、連れ戻しに来ることはないでしょうけどね」


 それから僕はベッドに腰を下ろし、ふと冷静になります。


 なぜここまでのことをしたのだろう――そう思ったのです。


「織姫さんの独り立ちのため、だったじゃないですか。別に、僕が逃げたわけじゃない。現実から、目を背けたわけじゃない……」


 それからふと、織姫さんの顔が思い浮かびました。楽しそうに話しながら笑う、織姫さんの顔が。


 きっと僕が勝手にいなくなったことを怒るでしょうね――でも、もしかしたらあのメモを読んで、泣いてくれるかもしれないです。


「そうだったら、いいな……あ」


 そうだ。織姫さんにだけは、一応連絡をいれておきましょう。あの手紙が読まれなければ、捜索願を出されて、世間的に騒がれるかもしれません。


 そうなれば、ドクターたちにも心配をかけることになるから。


『僕は施設を出ることにします――』


「これで良いですね――はあ」


 僕がベッドの倒れ込むと、ベッドはミシミシと音を立てて、僕を受け止めます。


「疲れたな……今はゆっくり、休みたい――」


 そして僕はよっぽど疲れていたのか、いつの間にか眠りについていました。久しぶりの自分のベッドは――特に懐かしいとも思うことはなかったですね。

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