第152話 汗だくのジャージ女

「ふふ、一緒に働ける日を、楽しみにしていますよ。でも、聖騎士選抜には、かなり厳しい体力テストがありますから、今のうちに体を鍛えておいた方がいいかもしれませんね」

「大丈夫大丈夫、今、すんげーキツイジムに通ってるから」


 和やかな雰囲気で話をしていると、部屋の入り口が勢い良く開く。

 そこには、汗だくで、熱気むんむんのジャージ女が立っていた。


 イングリッドだ。

 アルモット一周マラソン一人大会から帰ってきたらしい。


 イングリッドは汗をしたたらせながら、フロリアンに近づいていく。


「おぉっ! 誰かと思えば、団長殿か! 久しぶりだな! 何故ここに!?」

「色々あってね。私としては、きみがレニエル様たちと一緒にいることの方が、『何故』なんだが。まあ、これも不思議なえんというものなのかもしれないね」

「そうだな! ところで、私の聖騎士辞退手続きは、とどこおりなく済んだのかな?」


 フロリアンは、心底呆れたように溜息を吐く。


「あのね。魔法通信一本で、聖騎士――それも、七聖剣であるきみが、騎士団を辞められるわけないだろう。リモールでは、パン売りだって就業廃業にちゃんとした事務手続きが必要なんだ。よく考えたうえで、本当に聖騎士を辞める気なら、一度リモールに帰って、きちんと手続きをしなさい」


「知らなかった……そんなの……」


「何を言っている。この程度のことは、騎士……というより、社会人として常識だろう」


「待ってくれ団長。お説教は甘んじて受けるが、『社会』や『常識』という言葉を使うのはやめてくれ、何故だか分からないがとてもつらい。こう見えて私はナイーブなんだ」


 この女、一応、自分に社会常識がないことは認めてるんだ……

 フロリアンも、聖騎士団長としてイングリッドの手綱を握るのには、随分苦労したに違いない。


 アルモットを一周してきて喉が渇いたのか、イングリッドは手近なところにあったコップを掴み、中の水をごくごくと飲み干す。

 それは先程、話を始める前に、フロリアンに出した飲み水だった。


「ぷはーっ! うまい!」


 いや、うまいじゃねーよ。

 ほんとすげーよお前……客の前に置いてあるコップの水を、無遠慮に持ち上げて飲むか普通。


 騎士になるくらいだから、それなりに良い家系の出身だろうに、どんな育ち方をしたら、こんなふうになるんだ。


 フロリアンは、俺以上にイングリッドの常識の無さを知っているためか、もはや苦笑いを浮かべるのみである。


「なあ、団長。ベルサミラは、どうしてる? しばらく会っていないが、元気にしているか?」

「ああ。息災そくさいだよ」

「私のことについて、何か言ってたりしないか?」

「……まあ、少しは」

「本当か!? 何と言っていた!?」


 イングリッドの瞳が、キラリと輝いた。


 その、ベルサミラとかいう人物が、自分について何か述べてくれたのが、相当に嬉しいらしい。

 フロリアンは、小さいが、重たい溜息を吐く。


「聞かない方がいい」

「どうして!?」

「さっき、言っていただろう。『こう見えて私はナイーブなんだ』と。ベルサミラが何と言っていたか聞けば、きみはきっと傷つく。私は、魔装ラーグリアの戒めにより、問い詰められれば、嘘をつくことはできない。だがイングリッド。きみが、自らの意思で『聞きたい』と思うのをやめてくれれば、これ以上話さなくて済む」

「なんだ、もったいぶらずに、ベルサミラが何と言っていたのか、早く教えてくれ!」


 フロリアンはもう一度溜息を漏らし、仕方ないというように、口を開いた。

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