第11話 設定

 馬車が森を抜け街道に出てから一〇分ほどが経過していた。

 馬車に乗っているのは修介とシンシア、そしてマナ切れを起こして気絶しているブルームの三人である。

 最初こそブルームの容態を気遣い大人しくしていたシンシアであったが、途中でブルームがいびきを掻き始めたあたりで意を決したかのように修介に話しかけてきた。


「あ、あの、なんか無理にご一緒していただいたみたいになってしまって、申し訳ありません。ご迷惑じゃなかったですか?」


「とんでもない! ちょっと驚きましたけど、この足で歩いて街まで行くのは正直しんどいと思っていたので助かりました」


「ならよかったです」


 シンシアはほっとしたように笑顔を浮かべた。


「でも、本当によかったんですか? 自分で言うのもなんですが、こんな得体のしれない男を同行させてしまって……。お供の兵士がいるくらいだから、お嬢様ってかなり良いところのお嬢様のような気がするんですけど……」


 修介の言葉にシンシアははっとして慌てて居住まいを正す。


「……失礼しました。そういえば正式に名乗っておりませんでしたね。わたくしはこのグラスター領の領主、グントラム・ライセット辺境伯の長女、シンシア・ライセットと申します。以後お見知りおきを」


 シンシアは座りながらもスカートを軽く摘まんで優雅にお辞儀した。その所作はまさしく貴族の令嬢のそれであった。


「りょ、領主様の娘さんだったんですね……」


 予想よりも大物の娘だったことにさすがに驚く修介。

 それと同時に『領主』という単語になぜか小さな引っ掛かりを覚えた。


「だ、だとしたらますます俺……私みたいな得体の知れない人間を家に招いてはまずいのではないですか?」


 修介の言葉にシンシアはふふっと笑う。


「シュウスケ様はわたくしの命の恩人です。そのご恩に報いるのに立場など関係ありません。それに、なんといってもわたくしはシュウスケ様が泣きながら必死に戦う姿を拝見させていただいておりますから……もし仮にあなたがわたくしの命を狙う不届き者だったとしても、あのお姿が演技だったというのでしたら諦めもつきます」


「うぐ……」


 修介は恥ずかしさのあまり言葉に詰まる。


「は、恥ずかしながら剣を持って妖魔と戦うといった経験がなかったもので、情けない姿をお見せしてしまいました」


「いえ、そんな方がわたくしの為に必死に戦ってくださったのです。感謝こそすれ情けないなどとは決して思いません」


 シンシアはそう言いながらも、落ち込んだ表情を浮かべ下を向いた。


「……でも、わたくしは反省しないといけません」


「反省?」


「あの森を通るように指示したのはわたくしなんです。そのせいで妖魔に襲われることになってしまい、護衛の騎士達やシュウスケ様を危険な目に合わせてしまいました……」


 確かにあの森は馬車が通るにはあまりにも道が悪く危険そうな場所だった。普通ならば通らない道なのだろう。


「そういえば急いでいるとおっしゃってましたね」


 修介の言葉にシンシアは下を向いたまま黙ってしまった。

 しばし沈黙の時間が流れる。

 外から入ってくる馬の規則正しい蹄の音に、時おり馬車の車輪が軋む音が加わる。

 馬車の揺れは疲れた体になぜか心地よく、窓の外から見える街道の風景は先ほどの戦いが嘘のように穏やかであった。

 ようやく顔を上げたシンシアの口から出たのは修介にとって予想外の言葉であった。


「……わたくしには弟がいるのです」


「弟さん?」


「はい。弟は生まれつき重い病を患っており、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしてきました。高位の司祭様にも見ていただいたのですが、弟の病は癒しの術では治すことができない病でした……」


 神の奇跡にも限界はあるんだな、と修介は思った。


「弟がそう長くは生きられないことは司祭様にも言われていました。だからわたくしはせめて生きている間は幸せに暮らしてほしいと、そう願っていました。わたくしにとっては初めての弟で、とても可愛い弟なのです。弟もわたくしにとっても懐いてくれました。姉上、姉上って、いつも甘えてきて……」


 シンシアは再びうつむいた。


「……わたくしは父の名代として領内の視察に赴いていたのですが、数日前に弟の容態が急変したと知らせがありました。おそらくそう長くはもたない、とも……。だからわたくしはせめて苦しんでいる弟の傍にいてあげたいと、そう思って……」


「急いで街に戻ろうとしていたのですね?」


「……はい。街道を使うと遠回りになってしまいます。だから……」


 だからランドルフたちも無茶を承知の上であの森を通ったのだろう。護衛の騎士としては許されない行動だが、シンシアの心情を察し、その願いを叶えようとした気概は修介にも共感できた。


「その……きっと間に合いますよ。弟さんもきっとお姉さんの帰りを楽しみにしているはずですから」


「はい……ありがとうございます」


 鼻をすすりながら俯くシンシアを見て、修介は自分にもしラノベ主人公のようなチート能力があれば、シンシアを抱えて『フライ』とか言って空飛ぶ魔法で街まで飛んで行った挙句『ヒール』とか言って魔法で弟さんの病を治すこともできたんだろうな、と益体やくたいもないことを考えていた。

 だが現実はいつだって厳しい。言いがかりなのは承知の上で、あのいけ好かない自称神の老人に文句を言ってやりたい気分だった。


 ふと、老人の顔を思い出したことで嫌な予感が頭を掠めた。

 さっき感じた小さな引っ掛かりの正体。

 それは、タイミング的には充分考えられることであった。


「……あの、差し支えなければ、弟さんのお名前を伺ってもいいですか?」


 修介は不自然さが出ないよう可能な限り平静を装って訊いた。


「弟の名ですか? アルフレッドといいます」


(ぎゃおおおおおおおお!!)


 修介は心の中で絶叫した。

 その名前を忘れるわけがなかった。

 シンシアの弟は修介が転生する予定だったアルフレッドだったのだ。

 額に嫌な汗が滲んできた。

「い、いいお名前ですね」とお茶を濁しておいたが、修介の内心は嵐のような突風が吹き荒れていた。

 修介がアルフレッドに対して何かをしたわけではないのだが、心に発生した疚しさは相当なものであった。なんといっても修介は彼の死後、その肉体に乗り移ろうとしていた張本人なのだ。


(転生を断って本当によかった……)


 修介は心の底からそう思った。

 シンシアがこれだけ溺愛している弟の中身が四三歳のおっさんになることは、絶対に許されることではなかった。たとえ神が許しても自分で自分が許せなかっただろう。

 だが、目の前で悲しむシンシアを見ていると、罪悪感があるのも確かだった。

 おそらくアルフレッドの死は避けられない運命だろう。あの老人はそう言っていた。

 悔しいが修介にその運命をどうにかする術はなかった。

 それとも自分がアルフレッドになって、この少女に訪れる悲劇を回避したほうがよかったのだろうか。修介は一瞬そう考えたが、すぐさまそれを否定した。

 自分は宇田修介であって、アルフレッドではない。それがすべてだった。


「……あの、つまらない話をして申し訳ありませんでした」


 黙り込んでしまった修介を、不安げな眼差しでシンシアは見つめていた。

 修介は慌てて手を横に振って否定する。


「いえ、とんでもない! ただちょっと弟さんのことを思って、気持ちが沈んじゃっただけですから」


「お優しいんですね」


 シンシアは修介を気遣うように微笑んだ。

 優しさではない、と修介は心の中で否定した。ただの罪悪感の裏返しだった。本来なら抱く必要のない罪悪感なのだろうが、どうしても自分がアルフレッドの命を弄んだような気がしてしまうのだ。

 せめてもの救いは、アルフレッドの大切な姉の命を守ることができたことだった。


「あの、シュウスケ様にはご兄弟はいらっしゃるのですか?」


 重くなってしまった車内の空気を変えようとして、シンシアは努めて明るい声で修介に問いかけた。その行為は純然たる善意であったが、質問の内容はシュウスケにとって致命傷になりかねないものであった。

 修介には兄と妹がいたが、もちろんこの世界にはいない。それどころか修介自身が生まれも育ちもこの世界ではないので、パーソナルな質問には答えようがないのだ。そして、嘘を付くにはあまりにもこの世界のことに無知であった。

 仕方がないのでシュウスケは事前に作っておいた『設定』を使うことにした。


「……信じてもらえないかもしれないんですが……」


 修介はわざと声を落として、深刻そうな表情を作った。

 シンシアは修介の表情を見てただ事ではないと察したのか居住まいを正す。


「実は、どうやら私は記憶喪失のようなのです」


「記憶喪失?」


 この世界に記憶喪失という概念がなければそこで終了だなと修介は思いながら、ちらりとシンシアの反応を伺ったが、その表情からは何も読み取れなかった。

 正直、言っている自分ですら胡散臭い。

 そう簡単に信じてもらえるとは思えないが、この世界に関する記憶が一切ないというのは本当なのだから、無理にでも記憶喪失で押し通すしかなかった。


「気が付いたらここより南にある森の傍で倒れていたのですが、それ以前の記憶がまったくないのです。覚えているのは名前くらいでして……」


「森というと、さっきわたくしたちが出会った森ですか?」


「いえ、あの森よりも南に一〇キロ……あ、いや、歩いて二、三時間くらい南に行ったところにある大きな森です。背の高い木が多くて、なんか不思議な雰囲気の森でした」


「まさか精霊の森のことか!」


 反応したのはシンシアではなく、馬車の外にいるはずのランドルフだった。おそらくシンシアが心配で馬車に馬を横付けしてずっと中の様子を窺っていたのだろう。


「精霊の森?」


「ここより南にある大きな森といえば『南の大森林』か『精霊の森』くらいしかない。君の言う場所が本当なら精霊の森で間違いないだろう」


 器用に馬車の窓から顔を覗かせながらランドルフは説明する。


「精霊の森は一般人は立ち入り禁止になっている森だ。入って無事に出てこられた者がいないのだ。精霊の森には上位の精霊が住み着いているとか、エルフ族の呪いが掛かっているとか、とにかく恐ろしい噂が絶えない危険な森だ」


「そんな怖い場所だったんですね、あの森……」


 初めてこの地に降り立った時に感じたあの森の威圧感は錯覚ではなかったということだろうか。


「その精霊の森とシュウスケ様の記憶喪失になにか関係があるのですか?」


 シンシアが心配そうに修介を見ながら、ランドルフに問いかける。


「それはわかりませんが、森の精霊やエルフの呪いである可能性はあります。特にエルフは精霊の力を操るといいます。精霊には精神に影響を及ぼす精霊もいますから、可能性としては充分に考えられます」


 その可能性はゼロなんだけどな、と修介は思ったがもちろん口には出さなかった。

 勝手にそう解釈してくれるなら、修介としては都合が良かった。都合が良すぎて怖いくらいである。

 思わぬところから自身の記憶喪失に信憑性を与えてくれる話が湧いて出てきたことに、修介は内心ほくそ笑んだが、同時になぜ自分があの場所に降り立ったのか、その理由がわかった気がした。あの老人がそこまで気が利くとは思いたくもなかったが。


「本来であれば、精霊の森に足を踏み入れたことへの罪を問わねばなりませんが、いかんせん記憶がないとなると罪に問えるのかどうか。いやそもそも入ったという証拠がないのか、それだとやはり……」


 ランドルフの言葉は途中から独り言のように小さくなっていた。


「そんなことより、記憶がないことの方が一大事です。シュウスケ様、今までで何か思い出されたことはありますか?」


 シンシアはランドルフを無視して、修介に問いかけた。


「い、いえ、特には何も……」


「ご自分の故郷やご家族のこととかは覚えていらっしゃいますか?」


「いえ、それがまったく……」


 一瞬、修介の頭の中に自分の住んでいた街の景色が思い浮かぶ。ウォーキングのおかげで、あらゆる季節、あらゆる時間帯の様々な景色を修介は記憶していた。修介は自分なりに住んでいた街を愛していた。

 もうあの景色を見ることは二度とないのだな、と考えてしまい不覚にも少し涙が出そうになった。


「ご家族や故郷の記憶まで失ってしまうなんて、お可哀そう……」


 修介の表情を見たシンシアは、さも自分のことのように辛そうな表情を浮かべており、放っておいたらもらい泣きしそうな勢いであった。狙ったわけではなかったが、修介の悲しみの表情はシンシアの同情を引くことに成功したようだった。


「だ、大丈夫ですよ、きっと。何かの拍子で記憶が戻るかもしれませんし」


 他人の不幸を自分の事のように思いやれるこの少女の優しさに癒されつつも、あまり深刻になられても困るので修介は慌ててフォローを入れた。こんな良い子を騙しているという事実に良心がじくじくと痛んだ。


「シュウスケ様の髪の色や瞳の色は珍しいですから、街に戻ればどなたかシュウスケ様をご存じの方がいるかもしれませんね」


 シンシアは修介を元気づけるように言った。


「珍しい? 私の髪や目の色はこの国では珍しいのですか?」


 確かにシンシアも周囲の騎士たちも亜麻色や金髪などの明るい髪の色が多く、黒髪は誰もいなかった。


「珍しい、というよりわたくしは見たことがありません。そ、その……とても神秘的だと思います」


「ど、どうも」


 修介も反応に困って頬をかいてごまかした。

 この世界で黒髪が珍しいのか、それともこの国で珍しいだけで他所の国に行けば普通にいるのか現段階ではわからないが、少なくともこの国では自分の見た目は悪目立ちしそうなので、気を付ける必要がありそうだった。

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