第125話 消えゆく太陽と、紋章




 羊の紋章の先に降り立ったワタシとマウ、クライさんは、懐中電灯の光を頼りに、細い通路を通っていた。




 やがて、通路の先で光が照らしたのは、はしご。




 マウを頭に乗せてはしごを登り、ワタシは頂上を塞ぐフタに付けられた、スイッチの紋章に触れた。










「……なぜ……ここに……?」




 その場所は……廃虚となった旧鳥羽差研究所の、隠し部屋だった。

 マウがさらわれた時、イビルさんの助けによって見つけた……隠し部屋。


 10年前の事件まで、お母さまのひとり娘によってバフォメットお父さまが匿われていた部屋。




「クライさん……この部屋って、現場検証が行われていたはずだよね?」

「うん……内側からしか開けられないから、この先には行けないのはわかるけど……それでも……なにも気づけないほど精巧に擬態していたなんて……」


 クライさんは、ワタシたちが出てきた床の穴を見ながらつぶやいていた。


「……それよりも……いったん出よう……個人的なことですまないけど……外の空気が吸いたいんだ」


 申し訳なさそうにつぶやくクライさんに、マウは「同感だよ」とうなずく。

 ワタシも……死体だから空気は吸えないけど、この胸に埋め込まれた感情を整理したかった。











 ワタシたちが廃虚から出ると、薄暗い空が向かえてくれた。


 空を見上げると、わずかに向こう側の山から太陽が見える程度だ。




 あんな出来事があったなんて、


 この街に、悲しい事件が起きていたなんて、


 この街が、忘れようとしているように、


 あっけなくて、静かだった。




「クライさんはどうするの?」


 ワタシの足元で、マウは右手を耳に当てるクライさんを見上げていた。

 スマホの紋章で鳥羽差署に連絡していたクライさんは、電話を終えてこちらを見る。


「うん……現場からは離れちゃいけないから……すまないけど……ふたりを送るのは……検察が来てからに……なるかな……」


 そうつぶやきながら、クライさんは静かに廃虚の壁にもたれかかり……




 まぶたを閉じて、座り込んだ。




「クライさん?」

「うん……ちょっと……休ませて……疲れちゃったから……」




 そう言って、クライさんはしゃべらなくなった。


 ただ静かに、スースーと寝息を立てている。




「こんなところだと風邪ひいちゃいそうだけど……まあ、仕方ないか……ん?」




 マウは2階の窓を見上げ、指を刺した。




「あの部屋から……懐中電灯の明かりが見えたよ!?」










 ワタシとマウは、再び廃虚の中へと侵入した。


 窓から見えた、懐中電灯の正体を知るために。




 ウア、そしてその手下であるローブの人間やインパーソナルではない。

 根拠はないけど……ただ、ワタシに敵意を向けるような人物でないような……そんな気がしていた。


 ワタシたちは、外から見えた光の位置があった記憶だけを頼りに階段を登り――











 10年前の事件が起きた、あの場所へと、たどり着いた。













 冷たい廃虚の中、薄暗い明かりが窓から差し込んでいた。


 懐中電灯の光は、消えていた。




 ワタシとマウは、傍観者のようにひとりの女の子を見つめている。


 その女の子の顔は奥を見つめていて、よく見えなかった。


 ただ、手に持っている懐中電灯に夢中なのか、ワタシが見えないのか、


 こちらに見向きもしない。




「10年前……ウアは、ウアのお父さんとともにキャンプに参加していたの」


 廃虚に、声が響く。


「同じようにキャンプをしにきた4人のお友達と仲良くなって――」


 この声は……


「――バフォメットによって、お父さんを含むみんなが殺されるところを、目撃することになった」


 ぐるりと辺りを見渡して、その人物はワタシに笑いかけた。

 サイドに流したロングウェーブの金髪に、後ろを大きな赤いリボンが揺れる。




「ウアは、受け入れるために作品を作り始めた。事件から目を背けようとするウアのお母さんに、もう一度見てもらうために。彼らが殺されたことを、紋章が消えていくことを、恐れていたから」



 


 サバトの元締めであり、ウアの友達……


 リズさんはワタシの顔を見て、小さく口を開き、すぐに頬角をあげた。




「なんだか、バフォメットのオマージュみたいになったね。イザホ」




 ワタシは思わず、お父さまが付けていた羊のヘルメットに手を当てて、ゆっくりとはずす。


 するとリズさんは、バックパックの紋章から手鏡を取り出して、ワタシの顔を映してくれた。




 ワタシの左半分の顔面は、骸骨が露出しており、目の紋章が埋め込まれた義眼がじっとこちらを見ている。

 そして右半分は……白髪の少女の顔が、耳に半分だけのデニムマスクをぶら下げて、同じようにこちらを見ていた。


 半分の骸骨は、バフォメットお父さまを……


 半分の人間の顔は、白髪の少女を……


 それぞれ思い出す顔になっていた。


 だけど、




 これは、ワタシだ。




 ワタシなんだ。




 胸の中に出てきた言葉、そこに否定という文字は現われなかった。




「ねえ……ウアは見つかった?」




 リズさんの言葉に、ワタシは首を振った。


 それとともに、マウが前に出る。




「ウアは、いなかったよ。あったのは……ウアの記憶を引き継いだ、作品だけ」




「そっか……でも、終わらせてくれたんでしょ?」




 その言葉に、ワタシたちはうなずいた。


 リズさんは満足そうに「ふふ」と笑うと、ワタシたちに一歩近づく。




「教えて。ウアの作品のことを」












 マウは、先ほどの裏側の世界のことを、話してくれた。


「章紋のトバサ……なんだか、ウアらしい。そういえば紋章も、サバトの紋章と逆だもんね。あの紋章も、章紋のトバサ……なんて名前だったり?」


 リズさんは笑みを浮かべていたけど……その息づかいに、力はなかった。


 やっぱり……悲しいんだ。


「リズさん……これで、よかったんだよね?」

「うん……マウの言葉で吹っ切れたよ。ウアはもう既に死んでいたって意識したら……ね」


 リズさんは、ガラスのない窓へと歩いて行く。




「ウアは……小学校のころから言っていたんだ。あの事件があったから、わたしは作品を作ることを知ったって。悲しいことも、それを利用して作品を作れば……報われるって」


 沈み行く太陽を眺めつつ、唇を震わせながら懐かしそうにつぶやいているリズさん。


「その時、ちょうどあたしがサバトの元締めに選ばれて……知らない人の記憶を紋章としてたくさん埋め込められて……なにもわからない状態で混乱していたから……あの言葉には救われたって思ってるから、サバトから抜け出してここにいるのかな」




 その言葉を聞いたワタシは、自分の左胸に手を当てて、記憶を再生する。




 10年前の事件から、ワタシが生まれた。




 10年前の事件から、ウアは作品を伝えることに目覚めた。




 ウアの作品によって、母親のハナさんは生きる希望を見つけた。




 ウアの作品によって、悲劇を再び呼び起こした現代の事件が生まれた。




 現代の事件によって、ワタシは……バフォメットお父さまと巡り会えた。




 過去に起きた悲劇によって、会えてよかった出来事が作られた。


 その一方で、再び悲劇を迎え、苦しんだ者たちもいた。


 まるで、作品を見た人々の賛否に別れる反応のように……




 自分で作ったものではない、他人によって作られたものなのに……




 そこに、自分だけの……存在理由を与えられる……




「イザホは、つなぎ合わせた死体にいろんな紋章を埋め込まれて作られた。でも紋章は、イザホが考えてできたわけではなく、作ったりしたわけでもない……」




 マウが、かつてリズさんから聞いた言葉を、声の紋章から出した。




 ワタシたちを助け、ワタシたちに襲いかかった……




 紋章……




 その二面性は……作品と似ている……




 この死体に埋め込まれた紋章人格を……どう使うのか……どう思うのかを……決めるのは……




 ワタシたち……




「イザホ、マウ」




 振り返ったリズさんに、ワタシは顔を上げる。




「紋章は、他の誰かから埋め込まれて、初めて自分で使うことができる。紋章は、自分では作れない……」




 リズさんは、笑ってた。


 ウアが悲劇を起こしたという事実を……紋章を……




 いい方向に、使おうとして。




「いろんな人に紋章を埋め込んでもらって、あたしたちは作られるの。本当の紋章じゃなくて……“心としての紋章”。その人がスゴイって思えたり、逆によくないって反面教師にしたり……時には勝手につけられたり……でも紋章をどう使うかは、自分で決めることができる」




 リズさんが見せた精一杯の笑みウアのオマージュに、目元からあふれる涙オリジナリティが、輝いていた。




「この言葉の意味、気づけた?」




「うん。この事件は……ずっと忘れられないよ。鳥羽差市が忘れたって……ボクたちからこの紋章は消えないよ」




 マウは自信をもって答えると、ワタシに顔を向けてくれた。



 ワタシは、骸骨と人間の顔で笑みを作って、うなずいた。










 それに答えるように、奥の非常階段が開かれた。








「……!!」









 それは、全身が黒焦げになった、床をはいずる骸骨。




 だけどよく見てみると、胸には人格と動作の紋章が、


 喉には声の紋章が、輝いている。




 わずかに残った肉は炭となり、今にも崩れそうなのか、


 紋章の形が崩れそうになり、赤と青の点滅を繰り返していた。




「……ウア?」




 それでも、骸骨は進み続けた。




 床をはいずり……




 リズさんの元へと。




「リ……ず……」

「……ウア!!」




 リズに抱きしめられた骸骨……ウアは、


 こぼれ続けるリズの涙に打たれながら、


 最後の力を振り絞って、声の紋章を輝かせた。




「タの……シ……ン……で…………く………………レ……………………タ……?」




「楽しむよ……!! あたしが幸福になったわけじゃないけど……!! みんな……悲しんでいるけど……!! それでも……忘れるわけのない……!! ずっとこれからも見えない紋章として……残り続ける未来を……楽しむんだよ!!!」




 リズさんはウアを抱きしめて、




 天井の先にある空へと向かって、











 叫んだ。











 泣いた。










 ワタシが作られてから、1番大きな悲しみを、表現して。








 泣いた。








 泣いた。









 声が枯れていくまで、泣いていた。









 そのリズさんの胸で、骸骨になったウアは眠るように頭を落とす。








 それとともに、胸から紋章が崩れ落ちて、




 本の形をした記憶の紋章は、バラバラになった。







 窓から差し込んでいた光は、徐々に消えていき、









 完全な暗闇となる。











 暗闇の中、赤く輝いた記憶の紋章ウアの記憶は、




















 きえて、なくなった。



















――ACT11 END――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る