26-2

 いつの間にか、校庭に設置されたステージの前には多くの生徒が集まっていた。

 全校生徒――――はさすがに大袈裟かもしれないが、最低でも学校にいる人間の八割ほどが集まっているように見える。

 

「うおぉぉぉぉぉおおお! 生カノンだぁぁあああ!」

「ミア様ぁぁあああ! ミア様こっち向いてくれぇ!」


 ステージ上にいる二人は歓声に応えるように手を振って見せる。

 それだけの行動で、校庭全体がさらに大きな歓声に包まれた。

 さすがのアイドルっぷりである。


『みんなー! うちのレイの我儘に付き合ってくれてありがとねー!』

「「「とんでもないですー!」」」

『優しい人ばかりで嬉しい! でもここにこうして来たからには、全力で盛り上がってもらえるよう頑張るからね!』

「「「うおぉぉぉぉおお!」」」


 アイドルとしての格好をしている時のカノンは、やはり普段とはまったく違う印象になる。

 世間のイメージでは、彼女はお転婆な元気っ子。確かにそういう部分を全面に出していることは納得できるのだが、俺にとってはそれ以上に、しっかり者という印象が強い。

 アイドルという仕事を完璧にこなすというプライド。それが全面に出ているように思えるのだ。

 多分これは普段のカノンを知っているからこその感想なのだろう。

 どこか特別感があって、悪い気持ちはしない。


『今日はボクらの定番の曲と、新しい曲を一つ披露させてもらおうと思っているよ。ぜひ最後まで楽しんでいってね』

「「「きゃぁぁぁあああ! ミア様ぁぁ!」」」


 ミアがしゃべると、女子からの歓声の割合が大きくなる。

 さすがは王子様キャラ。――――だけど、俺は彼女が誰よりも"女の子"でありたいと願っていることを知っている。

 そのこともまた、俺というちっぽけな器を優越感という蜜で満たしてくれていた。


『あ、ちょっと! 遅いわよ!』


 カノンが観客である俺たちの後ろを見ながら言う。

 揃ってその方向へと視線を向ければ、そこには悠然と歩いてくる玲の姿があった。

 すでにその格好はステージ衣装に変わっており、服の端々についた宝石を模した装飾が、日の光に当たってキラキラと輝いている。


「ごめん、今行くから」


 俺たちは玲を通すために、ステージまでの道を開ける。

 彼女は外側をぐるっと回ってステージまで行こうと思っていたようで、通り道を開けた生徒に対して驚いた様子のまま頭を下げた。


『えっと……改めまして、文化祭二日間、お疲れさまでした』


 胸につけるタイプのマイクをつけた玲は、俺たちを見渡した後にそう告げた。

 俺たちは彼女の声を黙って聞いている。


『もう一度、私のせいで迷惑をかけてしまった人たちに謝罪をさせてください。そして、二年A組の皆も。文化祭の準備も当日も、ちゃんと手伝えなくて……ごめんなさい』


 玲が頭を下げる。

 カノンも、ミアも。そして、俺たちも。誰もが彼女のその姿を黙って見届けていた。


 こういう話はあまりしたくなかったが、実のところ、玲に対してよくない感情を抱いている連中は少なからず存在する。

 お高くとまっているだとか、調子に乗っているだとか、学校にいるだけでいい迷惑だとか。心ない会話はこの学校にいる限り聞こえてきてしまう。

 玲にだって聞こえていないわけではないだろう。

 ミルフィーユスターズのレイに対しては、もっと適した学校があったはずだ。

 それでもこの学校を選んだということは、理由自体は教えてくれなかったけれど、それなりの覚悟は持ってきたということだろう。

 そんな中で、玲は少しでも自分を受け入れてもらおうと、こうして体を張っているのかもしれない。

 このことがきっかけで、また一人玲をよく思わない人間が増えてしまう可能性もあるが—―――まあ、嫌なことばかり考えていても仕方がない。

 俺にできることは、ただ、この場を見守ることだけだ。


『それじゃあ……聞いてください。"サマーオーバー"』


 家で口ずさんでいたのを聞いた程度の、あまり聞き覚えのない音源が流れ始める。

 これがミルフィーユスターズの新曲。

 夏が終わってほしくないと願う一人の少女が主人公の歌詞は、どこもかしこも共感できるところばかりで。暑くなくなって嬉しいような、むしろ涼しくなっていくことが寂しいような、そんなジレンマ。

 毎年毎年違う夏が来て、毎年毎年二度と来ることのない夏に切なさを覚える。

 そんな曲を、俺たちはただただ聞き入っていた。


 そして曲が終わると同時、ステージを包み込むような、今までにない大きさの歓声が湧き上がる。

 中にはミルスタの新曲を間近で聞けたことから、涙を流して喜んでいる生徒もいた。

 こんな空気の中でこれからパフォーマンスをすると思ったら、少しだけ憂鬱な気持ちなってしまっても仕方ないだろう。


『次の曲が最後だね』

『最後の曲はあたしたちの代表曲! 知っている人は合いの手入れてね!』

 

 カノンとミアの言葉を聞いて察しがついた人間は、大きく盛り上がる。

 彼女たちの代表曲と言えば、もう一つしかない。


『――――"ミルフィーユスター"、聞いてください』


 ミルスタのデビュー曲、"ミルフィーユスター"。CMなどで使われている曲以上の知名度を誇る、言わずもがなの代表曲だ。

 テンションが上がりに上がっているファンたちは、ノリノリで合いの手を入れる。

 合いの手が挟まれば曲はさらに盛り上がり、三人のボルテージも徐々に上がっていった。

 俺がただのファンであったのなら、今日のこの時間は一生モノの思い出になっていたことだろう。

 自分が普段どれだけ贅沢な時間を過ごしているか、また改めて嫌というほど実感させられていた。


「……あ」


 その時、ふと視線を感じて視線を向けた。

 ステージの中心。多くの生徒に埋もれている中、玲は俺を見つけ、目を合わせている。


 ――――『頑張れ』。


 玲の視線からは、そんな言葉が聞こえてくるようだった。


(いつかのお返しだな)


 あの日、ミルスタのライブで歌を詰まらせた玲。

 俺はそんな彼女に対して声を張り上げたものの、あれだけ広い会場では一切届いてはいなかっただろう。

 届いたのは、きっと視線だけ。

 それも定かではなかったが、こうして視線を返してもらえたことで、あれが確かに伝わっていたのだと教えられた気がした。

 笑ってしまうくらい、このやり取りが嬉しくてたまらない。


「……頑張りますか」


 俺も単純な男のようで、女子からの応援一つでとことんやる気を引き出されてしまった。

 あいつには、後で礼を言わなければならない。

 

 ――――何も伝えられなくなってしまう前に。


「っ……」


 俺は奥歯を噛み締め、ステージ前をあとにする。

 そろそろ、俺たちも準備をしなければならない。

 嫌なことは一旦忘れ、今日のことだけを考えよう。


 一度過ぎた夏と同じように、一度過ぎた今日ももう戻ってこないのだから。

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