23-3
「————おっと、何だかんだいい時間になっちまったな」
堂本の言葉を受けてスマホを確認してみれば、もう夕飯時と呼んで差し支えない時間になってしまっていた。
今から学校に戻ったとしても、下校時間になってしまうだろう。
「悪いな、まだ体調も悪いはずなのに話し込んじまって」
「いいさ。俺も二人のおかげで気分が楽になったから、むしろ色々話せて助かったよ」
柿原はそう言ってくれるが、さすがに二時間くらいこの部屋で話し込んでしまったのは申し訳ないとしか言いようがない。
病は気からというくらいだしメンタル回復に一役買えたのならよかったと思うが、体力的にはそうも言っていられないだろう。
「念のため明日も休んだら、その次の日からはちゃんと出席するから」
「うん、待ってるよ」
「……ありがとう。それで……その」
何やら言いにくそうにしていた柿原だったが、意を決したように一つ頷くと、口を開く。
「俺が復帰したら、また一緒にスタジオ練習……してくれないか?」
その問いかけに、俺と堂本は顔を見合わせる。
元々そのつもりだった俺たちとしては、改めてかしこまった様子で言われたことが少しおかしくて。
笑いそうになる表情筋を無理やり真剣な顔に保ちながら、柿原に向き直る。
「また予約は取っといてやるけど、今度またあんな腑抜けた演奏しやがったらただじゃおかねぇぞ?」
「俺はまだまだ初心者だけど、その時ばかりは竜二君に便乗して怒るから。ただじゃおかねぇぞ、って」
俺たちがわざとからかうようにそう告げれば、柿原は申し訳なさそうに、それでいてどこか楽しそうに頭を掻いた。
「よし、こうしてひと段落したことだし! 後夜祭の本番ではどかーんとぶちかましてやろうぜ! 一番楽しんでるのは俺たちだ! って気持ちでよ!」
「一番楽しんでるのは俺たち……か。そうだな。楽しんだ者勝ちだもんな」
「おうよ! よぅし……やってやるぜ!」
堂本と柿原の二人は、燃える気持ちの勢いをそのままに両腕を天井に突き出した。
(……これが本当の青春ってやつか?)
――――そうだったらいいな。
彼らと行ったプールで経験したあの苦しさとは違う、晴れやかな空気。
こんな空気であれば、決して不快ではない。
そんなことを思いながら、俺も腕を突き上げる。
さすがに恥ずかしさが勝ったから、二人よりは控えめだけれど。
「そんじゃまあ、俺たちは帰る――――」
その時、堂本の言葉を遮るようにして、柿原の家のチャイムの音が響き渡った。
どうやら誰か来たらしい。
「お、客か?」
「うーん、知り合いが来る予定とかはなかったけど……別に通販で何か頼んだわけでもないし……」
ともあれ、一応誰が来たかは確認した方がいいだろう。
俺は二人の腕を引き剥がして立ち上がると、部屋の出口へと歩み寄った。
「どうせ帰るわけだし、俺と竜二君で確認してこようか? 訪問販売とかだったら追い返さないといけないし」
さすがに体調を崩した奴にそれをやらせるわけにはいかない。
「ああ、助かるよ。頼んでいいか?」
「おう、任せとけ」
ついでに帰る流れになるだろうと判断した俺たちは、帰り支度を整えて部屋を出る。
廊下を通り、インターホンにつけられたカメラの映像を確認しに行くと、そこには予想外の人物が映っていた。
「……マジか」
堂本が驚くと同時、俺も目を見開くほど驚いていた。
そこにいたのは、柿原の想い人、二階堂梓。
乱れた髪と肩で息をしている様子を見る限り、かなり急いでここまで来たらしい。
「追い返すわけにはいかなくなったね……」
「……だな」
二人で玄関に向かい、扉を開ける。
扉の向こうにいた二階堂は、俺と堂本を見て困惑した表情を浮かべた。
「あ……二人ともまだ残ってたんだ」
「お、おう。どうしたんだよ、梓。お前も祐介の見舞いか?」
「……うん。私も柿原君の顔が見たくなっちゃって」
薄く頬を赤らめ、二階堂はそう告げた。
その態度はどう見ても――――。
「そっか。じゃあ、俺たちはこのまま出て行った方がよさそうだな」
「うん。そうだね」
堂本と顔を見合わせ、二階堂の横をすり抜ける。
彼女の気持ちに変化が訪れたのなら、それは俺たちにとっては好都合。
後夜祭での告白に希望が見えてきたと言っても過言じゃないだろう。
「……志藤君!」
「ん?」
去り際、二階堂に声をかけられた俺は振り返る。
「あの時断ってくれて、柿原君のことを任せてくれて、ありがとう!」
「……どういたしまして」
何がきっかけで心情が変化したのか気になっていたが、そういうことか。
その時俺がはっきり断ったことが、功を奏したらしい。
(最初からそうしてやればよかったな……)
後悔してももう遅い。
結局事を難しくしていたのは、俺たちそれぞれが持っていた恐怖心のせいだったということだ。
傷つく恐怖、傷つける恐怖。
どちらも恐ろしいものなんてことは、皆分かっている。
だけどそこから一歩踏み出せば、世界はこんなにもスムーズに動き出すんだ。
「凛太郎、ありがとうな。ここまで付き合ってくれて」
「急にどうしたの?」
「お前が俺たちとつるむようになってくれたおかげで、何もかもいい方向に向かいそうだから、な」
堂本は嬉しそうに笑みを浮かべながら、そう言った。
それが何だか俺にとっても嬉しくて。
俺は自分が思っている以上に、彼らのことを近い存在だと認識していたのかもしれない。
「んじゃ、また明日な。お前も練習サボるなよ?」
「分かってるよ。皆で楽しめるように頑張るさ」
「おう。頑張ろうぜ」
徒歩で帰ることのできる堂本とは、駅へと続く別れ道で解散することになった。
駅に着いた俺は電車に乗り、自宅マンションの最寄駅にて降りる。
一人で帰り道を歩きながら、俺は胸の底から湧いてくる満足感に浸っていた。
「————ご機嫌ですね、
そんな俺の側に、突然黒い高級車が並走してくる。
俺が足を止めると車は完全に停止し、助手席の窓が開いた。
顔を出したのは、二十代後半の銀髪の女性。
どこか玲と同じ雰囲気を感じるのは、彼女に外国の血が流れているからか。
「……ソフィアさん」
「覚えていただいてましたか、光栄でございます」
彼女は事務的に、淡々とそう告げる。
ソフィア・コルニロフ。とある会社に勤めているこの女性の名だ。
顔だけは何とか平静を装っている俺だが、実のところ、内心は酷く混乱している。
「大学を卒業するまで、あんたらとは接触しない約束だったはずだけど」
「存じ上げております。ただ、少々緊急事態でして」
ソフィアさんは懐から一枚の封筒を取り出すと、それを俺に対して差し出してきた。
「貴方の
「……いらないと言ったら?」
「その際は凛太郎様の家のポストに入れさせていただきます。確認してくださるまで、何度でも」
俺は深く深くため息を吐き、手紙を受け取る。
せっかくいい気分で帰ろうとしていたのに、すべてが台無しだ。
受け取った手紙を乱雑にズボンのポケットに突っ込み、横目で彼女に視線を送る。
「……親父に伝えておいてくれ。約束も守れねぇ奴が社長なんてやってんじゃねぇって」
「かしこまりました」
車の窓が閉じ、俺の横から去っていく。
晴れ渡っていた俺の心にはいつの間にか暗雲が差し込み、酷く肩が重くなった気がした。
(気をしっかり持たなくちゃな……)
ポケットに入れた手紙を力いっぱい握りしめながら、再び帰路を歩き出す。
せっかく柿原が回復したんだ。
ここで俺がおかしくなるわけには、いかない。
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