18-5
「どういう、意味かな?」
「お前から好意を感じないわけじゃない。ただ、それだけじゃないと俺は思う」
言葉にするのは難しいが、"そうしけなければならない理由"があるように感じられたのだ。
「その理由をどうしても言いたくないって言うなら、別に聞かねぇよ。けど、俺だって何も聞かされないまま何かに利用されるっていうのは……ちょっとだけ気分が悪い」
「……うん、そうだよね。それについては……ごめん」
ミアはそうして素直に謝罪の言葉を告げる。
俺はそれを受け入れ、続く言葉を待った。
「この前、ボクの夢は海外で活動することって言ったでしょ?」
「ああ」
「つい最近になって、その夢への足掛かりができそうなんだ」
自分の分の水を一口飲み込んだミアは、言葉を続ける。
「海外にコネクションのある有名な映画監督が、新作のためにオーディションを開くんだ。もし合格できれば————」
「海外進出への足掛かりができる、と。そいつは結構な話じゃないか」
「そうなんだけどさ……問題なのは、ボクが受けるその映画が恋愛モノっていう部分なんだよ」
あー……ん?
「それの何が問題なんだよ。どんな作品だって同じくらい難しいもんなんじゃねぇのか?」
「うん、それはそうなんだけどさ。ボク……生まれてこの方、恋って呼ぶべき感情を抱いた覚えがなかったんだ」
彼女はどこか切なそうに目を細めた。
「何て言ったらいいかな……ずっとお母さんのような人になりたいって思いながら生きてきたせいか、あんまり周りにいる人たちを見てこれなかったんだ。すごく恥ずかしい話、まだクラスメイトの名前すら覚えきれてないくらいにね」
「それは……仕事があるわけだし、仕方ねぇんじゃねぇのか?」
「ボクはそれをあんまり言い訳に使いたくないんだ。人によっては、これを不快に思う人がいるかもしれないからね。まあ、ともかく。ボクは恋愛というものをよく知らない。だからオーディション用の台本をもらった時、どう演技というものをしたらいいのか、頭が真っ白になってしまってね」
何だか、聞いているこっちが照れてしまいそうになる話だな。
恋愛か、言われてみれば確かに難しい————のかもしれない。
冷静に聞いているつもりだったが、俺自身だって恋愛感情に詳しいかと聞かれればノーと答えることになる。
「だから、ね。分からないのなら、実際に恋人を作ってみればいいと思ったんだよ」
「……じゃあ、別に俺じゃなくてもよかっただろ」
「ううん、そこだけはちゃんと言わせて。ボクは君だから告白したんだ。ボクが一番信頼を置いている、君にね」
ミアと目を合わせる。
その目を見る限り、嘘をついていたり誤魔化している雰囲気はどこにもない。
この部分に関しては、信じてもよさそうだ。
「りんたろー君。図々しいことは承知で言わせて欲しい」
「……何だよ」
「恋人のフリを、してもらえないかな」
その問いの意図が分からず、俺は思わず首を傾げた。
「レイが帰ってこない間だけでいいから、ボクと恋人らしいことをしてみてほしい。もちろん、君がしたくないことはしなくていい」
他の人には、頼めないんだ————。
真剣な顔のままそう告げるミアを前にして、俺は表情を険しくした。
決してこの頼みに不快感を抱いたわけじゃない。
ただ、どうしていいか分からなかった。
(だけど……)
ミアは、真剣に困っている。
それこそ、酷く思い詰めてしまっているくらいに。
「————条件がある」
「え?」
「一週間料理を作り続けるって約束。これをなかったことにしてくれるなら、お前に協力する」
「そ、そんなことでいいの?」
「意外と毎日料理を作るってのも大変なんだぞ? まあ、恋人らしいことの中に手料理を振舞うってのは当てはまるかもしれないし、絶対作らないって言っているわけじゃねぇけど」
二重三重と約束を積み重ねると、どうしても重荷として嫌な方向に感じてしまう。
ここでリセットを要求するのは、ある種自衛のためであった。
「……うん、分かった。それでいいよ。それで君が協力してくれるなら」
「交渉成立だな」
俺たちは、契約の証として握手を交わす。
とは言え、だ。
「恋人らしいことって……マジで何だ?」
「……何だろうね」
「つーかそもそも、お前玲に変なアドバイスしてたじゃん。恋愛に疎いってのも嘘なんじゃねぇか?」
「疑われる気持ちも分かるけれど、あれは全部創作物から仕入れたネタだよ。リアルとはまた別なことくらい分かってるさ」
————まあ、変な知識だなぁとは思っていたけれど。
「とりあえずなんだけど、明日二人で出かけてみない?」
「……ああ、デートってことか」
「そう言われると少し照れてしまうけど、その通りだよ。ちょうど話題の恋愛映画が公開されたみたいだし、勉強がてら映画館にでも行こうかなって」
「へぇ……恋愛映画ねぇ」
思い返せば、最後に映画館に行ったのはいつ頃だっただろうか。
確か数年前に雪緒が見たがっていたB級映画に付き合ったのが最後だった気がする。
うむ、デート以前に、少しだけワクワクするな。
「分かった。付き合うよ」
「ありがとう。じゃあ明日、駅前集合でいいかな?」
「待ち合わせからやるのかよ……」
「当たり前だよ。待ち合わせ現場に向かうドキドキ感。そういうものから理解して行かないと」
もう炎天下で待つのはこりごりなんだが。
————いや、むしろここはめちゃくちゃ早く駅前に向かうべきかもしれない。
一時間くらい前に向かって、喫茶店にでも入って涼みながら待つ。
それだけ時間があれば移動中の汗も引いてくれるだろうし、汗だくのまま隣を歩くなんてことは避けられるはずだ。
「明日、駅前に十時でどうだろう」
「いいんじゃねぇか? 映画が終わった頃には昼飯食えるだろうし」
「だね。それじゃあ……」
その時、盛大に腹の鳴る音が響き渡った。
俺の視線は、自然とミアの腹へと吸い込まれる。
彼女は一瞬にして顔を赤くすると、それを隠すように顔をそらした。
「ご、ごめん……今日は君の作った夕食を食べる予定だったから、他に食べる物を用意してなくて……」
自分でそう言った後に、ミアは突然慌てだす。
「あ、ああ! でも恋人のフリに付き合ってもらえるって話だし、約束通り食事に関しては大丈夫だよ。後で出前でも取るから」
「……ははっ、別にいいって」
俺は立ち上がり、持ってきた荷物の中からエプロンを取り出す。
せっかく道具を準備してきたのだ。このまま使わずに帰るのももったいない。
「言ったろ、絶対作らないって訳じゃねぇって。できるだけ早く作ってやるから、そこで待ってろよ」
「う、うん……」
唖然とした様子のミアを放置し、俺はキッチンへと向かった。
幸い、キッチンの形は同じだから普段と勝手は同じ。
サッと作れる料理って言ったら————うん、やっぱりパスタだな。
「……っていうかさ、最初から恋人役をやってくれって言われてたらこんな面倒くせぇことにはならなかったのに。俺だって結構真剣に考えたんだぞ?」
「いや、まあ……本当にごめんね。ボクもどうやらそこまで性格がいい人間じゃないみたいでさ。人が
一体何の話をしているのやら。
俺はそれを適当な冗談ということにして聞き流し、食事の用意に取り掛かった。
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