8-2

 そして、ライブ当日。


 今回ミルフィーユスターズが使う会場は、日本武道館よりは小さいものの、規模としては国内でも数えられるほどの大きさだ。

 観客席は上段、下段の二段構造。

 ステージから遠い観客は、上部に設置された巨大モニターに映し出される彼女らの姿を見てある程度の視界的ハンデを補う。


「マジで広いな……」


 俺は二段席よりもさらに高い位置から、会場全体を見下ろした。

 ここが玲の用意してくれた特別席。

 二段席よりも高く遮る物がない位置にあり、それでいてステージに限りなく近い場所がここである。


 席に腰を置きつつちらりと横へ視線を送れば、すでに数人の人間が特別席に腰かけていた。

 皆、あの三人の関係者だろう。

 そしてここで、頭からすっかりと抜けていた一つの問題が俺の前に立ちはだかった。


「あ……」

「む、君は確か……志藤君だったか」


 俺の隣に、仕立てのいいスーツを身にまとった男性が座る。

 そう、玲の父親だ。


「き、奇遇ですね! こんな場所で」

「取り繕わなくていい。玲から事情は聞いている。……ずいぶんと世話になっているようだね」

「あ、あははは、いえいえ、世話してもらっているのはむしろ俺の方でして。あははは……」


 玲、話を通してあるなら先に言ってくれ。「うちの娘とどういう関係なんだい?」とか聞かれたらどうしようってめちゃくちゃ頭を捻っちまったじゃねぇか。


「君には一つ聞いておきたいことがあったのだよ。万に一つもないと思うが、まさかうちの娘に手を出したりはしていないだろうね?」

「そんなまさか! 俺なんて世話役でしかないですし、男として見られてすらいませんから!」

「ふむ……ならいいんだが」


 ちくしょう、偉そうにしやがって。まあ少なくとも俺よりは偉いんだけども。

 憎まれ口を叩くわけにもいかず、俺はとにかくここをやり過ごすために愛想笑いを浮かべる。


「――――あら、あなた? そちらの方はどなたかしら?」


 その時、乙咲さんの向こう側に一人の女性が現れた。

 ウェーブのかかった美しい金髪。赤いドレスは胸元が開いており、はっきりとした谷間が強調されている。顔には皺ひとつなく、綺麗な青い目はどこまでも澄んでいた。


「ああ、玲の連絡にあった志藤君だ」

「まあ! そうだったのね。初めまして、私は乙咲莉々亞おとさきりりあと申します。玲の母です」


 あ、漢字にするとこう書くのよ? なんて言いながら教えてくれた彼女の名前は、分かりやすい当て字がなされていた。見るからに莉々亞さんは外国人。確か海外の人と夫婦になった際、通称名という名前を名乗ることが許されていたはず。故に名前で浮きすぎないよう、日本に寄せたものを名乗っているのだろう。


 というか、それにしても若すぎないだろうか?

 二十台と言われても納得してしまうほどに肌に張りがあるのだが、最低でも四十台手前でなければ玲の母を名乗ることは難しいはず。

 これが美魔女というやつだろうか? この人の周りだけ時が止まっているみたいだ。


「あ……こちらこそ初めまして、志藤凛太郎です」

「そうそう、凛太郎君だったわね。いつもうちの子のお世話をしてくれてありがとう。私も夫も普段は仕事で家にも帰ることができないから、あなたのような子がいてくれてすごく安心だわ」


 厳格そうな父親とは違い、どことなく不思議でふわふわした人だ。見た目もそうなのだが、玲と血が繋がっていると言われて一番納得できるのはこの人かもしれない。


「今日はね、ようやくあの子の晴れ姿を見に来れたの。これまでずーっと仕事続きで来てあげられなかったから、本当に初めてなのよ? 仕事を詰めて詰めて何とか一日空けられたの」

「そ、そうですか」


 うーん、本当にこの人の喋るペースは独特だ。悪い人ではないことは第一声で分かるが、こちらの距離感に対してお構いなしに喋るため、かなり体力を持っていかれる予感がする。


「あ、そう言えば! 乙咲さ――――ああ、これじゃややこしいですね。玲さんもご両親が見に来るってことでかなり張り切っていましたよ。多分来てくれるのがすごく嬉しかったんでしょうね」

「……志藤君、私たちの機嫌を取る必要はないよ。玲がそんな風に思わないことは、私たちが一番よく分かっているからね」


 俺は思わず言葉に詰まる。

 被っていた猫の皮を一瞬で剥がされたことももちろんだが、どちらかと言えばそう語る乙咲さんの厳しい表情に驚いてしまった。


「あの子は相当緊張しているはずだ。感じているものは喜びではなく、プレッシャー。もしこのライブで失敗でもしようものなら、私は本日中にでもアイドルを引退させたいと思っている。自分の娘が恥をかくところなど、誰にも見せたくはないからね」


 乙咲さんは会場を見下ろしつつ、そうはっきりと告げる。

 言葉尻は強いが、娘を心配する父親の確かな想いが込められているように思えた。

 

「だったら……なぜ玲さんがアイドルになることを止めなかったんですか?」

「私は様々な業界と関係を持っている。芸能界の厳しさも、もちろん理解しているつもりだ。だからすぐに現実と直面し、諦めると思っていたのだが……」


 思いのほか成功してしまった、と。


「私は成功すると思っていたわ。だってあの子とっても可愛いんだもの! 志藤くんもそう思わない?」

「そ、そうですね。学校でも人気者ですし」

「でもね、夫の気持ちも分かるのよ? 可愛すぎて悪い人たちにひどいことされてしまわないかすごく心配。できれば普通の女の子のままでいてほしかったのは確かだけれど……」


 俺はこの二人と会話しながら、少しだけ安堵していた。

 二人共、玲のことを心の底から心配している。下手したら自分の道具とすら思っている可能性も視野に入れていたため、これでひとつの懸念が晴れた。

 しかし、だからこそ手強い。

 どれだけアイドルとしての知名度が上がろうとも、それを喜ぶどころかむしろ心配の要因として見てしまう。

 例えここで玲が一度も失敗せずにライブを成功させたとしても、このままではいずれ――――。


(っ、だから……俺が弱気になってどうすんだって)


 拳を握り、余計なことを考えないように努める。

 

「志藤君、君はどう思っているんだ?」

「え?」

「君は玲の世話をする代わりに、家賃や生活費を負担してもらっていると聞いている。あの子がアイドル活動を辞めれば、君もかなりの損をするんじゃないか?」


 乙咲さんは冷たい目で俺を見ながら、そう問いかけてきた。

 

 ――――そうだ、こういう目だ。


 あのクソ親父と同じ、試すような、見透かそうとしているような目。

 そしてこの男は俺にこう問いかけている。


『玲がアイドルを辞めると自分が困るから、辞めてほしくないと思っているんじゃないか?』、と。


「そうですね。確かに引っ越しもしたばかりで、玲が今アイドルを辞めたら苦労することになると思います」

「……ならば、当面の生活費は私の方で面倒を見よう。だからあの子へ芸能活動を引退するよう説得してくれないだろうか」


 魅力的な提案だ。

 確かに玲のアイドルとしての収入は極めて多いが、その父親の収入はさらに多いだろうし、加えて安定している。

 どちらの方が頼れるかなんて、誰がどう見ても明らかだ。


 だけど――――。


「あ、あなた! もう始まるわ!」

「む……」


 興奮した様子で莉々亞さんが乙咲さんの袖を引けば、会場を照らしていた照明がステージの上だけを残して消えていく。

 残ったそのライトは、それぞれ彼女たちのイメージカラー。


 そして照らされたステージの上に、"ミルフィーユスターズ"は立っていた。

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