6-2

 さて、こうして俺は玲と出かけることになった訳だが――――。


「どうしたらいいんだろうか……」


 一人の部屋でそうつぶやいてしまうほどには、女性と二人で出かけた経験がない。

 待ち合わせまで、あと一時間。

 まだ着ていく服が決まっていない俺は、クローゼットの前で頭を抱えていた。


 二人で出かける以上は、玲にあまり恥をかかせたくない。

 つまりダサい恰好はナンセンスということになるが、まあそこは常識の範疇であると思う。

 逆に派手でも駄目だ。

 玲がわざわざ変装するのに俺が目立つ格好をすれば、いらない目線を集めることになる。

 どれだけ見た目を変えていても、目の数が増えれば正体がバレる確率も高くなるはずだ。

 

「……多少地味でも無難に行くべきだよな、ここは」


 結局、俺はジーパンに黒いTシャツを着て、ワンポイントで安物のネックレスをつけて家を出た。

 鏡で一応確認してみたが、ザ・無難といった形にはなっていると思う。

 向かう先は駅前の広場。

 同じマンションに住んでいるのだから、待ち合わせなどせずに一緒に向かえばいいと思うことだろう。

 しかし万が一にでもマンションから一緒に出るところを週刊誌にでも撮られれば、せっかくスキャンダル対策で同じフロアをすべて借りたのに、それも無駄になってしまう。

 警戒し過ぎだとしても、何かあってからでは遅い。


 外はすでに夏に片足を突っ込んでいるような気温になってきた。

 じわりと汗が滲むかどうかと言ったところで、俺は駅前に到着する。

 駅前には奇妙なオブジェクトがあり、よく待ち合わせに使われていた。

 俺たちもそこで待ち合わせをしているのだが――――。


「んー、あれか……?」


 オブジェクトの前に、大きめの帽子を被りサングラスをかけた女が立っている。

 玲だと分かった上で見ればかろうじてそうだと認識できる程度の、かなり入念な変装だ。


「よ、待たせたな」

「ううん。着いてからまだ五分も経ってないから」

「そっか。別に時間に限りがあるわけじゃねぇけど、さっさと行くか」

「うん。楽しみ」


 俺たちはそうして駅に入――――らず、客待ちをしていたタクシーへと乗り込んだ。

 電車を使わない理由は、もちろん不特定多数の人間から見られる可能性が高くなるからである。


 タクシーに揺られること一時間弱。

 俺たちは近場では有名な水族館へとたどり着いた。

 休日ということもあり、子連れの親子が多い印象を受ける。

 

「今更だけど、私はあんまり水族館に来たことがない」

「そうなのか? ……って言っても、俺も似たようなもんだけど」

「お父さんもお母さんも忙しい。だから一緒に来たことはない。小学生の頃の社会科見学が、最初で最後だった」


 ――――俺も、まったく同じだった。

 

 唯一違う点があるとすれば、一度だけ母親に連れて行ってもらったことがあるくらいか。

 今思えば、あれも俺を置いていくことへの罪悪感から来る行動だったのかもしれない。


「だから、一層今日が楽しみだったの。凛太郎、誘ってくれてありがとう」

「……どういたしまして」 


 そこまでいい思い出ではなかった水族館という場所も、玲と一緒なら楽しめるかもしれないな。


 やがて受付でチケットを見せた俺たちは、建物の中へと入っていく。

 建物内の通路は暗く、左右の水槽が強調されるような照明が設置されていた。

 水槽の中は何とも幻想的で、数多の魚が心地よさそうに泳いでいる。


「凛太郎、すごい可愛い魚がいる」

「クマノミって書いてあるな……確か前にクマノミが主人公の映画を見た気がする」

「じゃあこっちは?」

「タツノオトシゴだな」

 

 玲は見る物すべてに目を輝かせ、せわしなく視線を動かしている。

 ずいぶんと楽しんでくれているようだ。

 誘うきっかけとなった優月先生には、あとで改めて感謝しないとな。


「凛太郎っ、イルカのショーがあるって」


 いつも以上に弾んだ声を出しながら、玲は俺の手を引く。

 連れて行かれた先にあった看板には、イルカショーの時間割が記されていた。

 

「ちょうどいいな、今から十分後だって」

「絶対に見たいっ」

「はいはい。ちょっと順路から外れるっぽいけど、行ってみるか」


 順路から逸れ、俺たちは屋外へと出た。

 イルカショーはずいぶんと盛況なようで、俺たちは入場待ちの列に並ぶ。


「イルカ好きなのか?」

「可愛いから、好き。というより、可愛い動物は全部好き」

「へぇ……」


 玲はいつ見ても何を考えているのか分かりにくいタイプだが、根っこの部分が女子であることに変わりはないようだ。

 こうして彼女の人間らしい部分を知れると、少し安心する。


「あ、会場開いたみたい」

「ん、じゃあ行くか」


 列の進みに従って、俺たちはイルカショーの会場へと入っていく。

 満員――――とまではいかないが、客席にはかなりの人数が入っていた。 

 俺たちは前から二段目の列に案内され、そこに座る。

 イルカのいるプールからだいぶ近く、かなりいい席に座れたんじゃないだろうか。

 

「皆さん! イルカショーにようこそ! このショーではイルカが飛び跳ねた際に水が飛ぶ可能性がありますので、多少衣服が濡れてしまう可能性があります! 苦手な方がいらっしゃいましたら、後ろの席に移動することをお勧めいたします!」


 係りの人が俺たちに注意事項を伝える。

 すると最前列の数人が後ろへと下がっていった。

 内二組がカップルで、女性の方がバッチリとメイクを決めている。万が一にもそのメイクが崩れてしまうなんて事態は避けたいのだろう。男目線だが、賢明な判断だと思う。


「凛太郎、前が空いた」

「おい……詰める気かよ」

「もっと近くで見たい」

「だから最前列は水が――――って、聞いてねぇし」


 玲はワクワクした様子で、空いた一番前の席に移動する。

 俺はしばし思考して、結局連れを一人にするというのもおかしいと思い至り、隣の席へと座った。

 濡れたらマジでどうしよう。


「では! イルカのミーちゃんとカーくんの華麗なショーをご覧ください!」


 ウェットスーツに身を包んだ係りの女性が、二匹のイルカと共に泳ぎ始める。

 彼女とイルカはまるで完璧に意思疎通ができているかのようにズレ一つなく動いていた。

 やがて助走をつけ、二匹のイルカが水面から跳び上がる。

 思わず歓声を上げそうになるほどに、その動きは美しかった。

 

 しかし、ここで悲劇が起こる。


 客席際にかなり近い位置にイルカが着水したせいで、大量の水が舞い上がった。

 自分の方へと迫ってくるその水飛沫をボーっと眺めながら、俺は頭の中で嘆く。

 "それ見たことか"、と。


 ぱしゃりと、胸に軽い衝撃を受け、じわりと服が湿っていく。

 隣を見てみれば、玲の服にも少量とは言えない量の水がかかっていた。

 問題が起きたのは、さらにここから。

 元々玲が薄着だったこともあり、胸の部分の布がぺったりと張り付いてしまっている。

 そのせいで薄っすらと胸部を支えるための下着が透けてしまっていた。言い換えるならば、そう、ブラジャーである。

 幸いなことにここは最前線。正面から彼女のことを見る人間はいない。

 今この場で恥をかくようなことは起きないと思うが――――。


(っていうか、こいつ気づいてない……?)


 玲は目をキラキラさせたまま、飛び回るイルカを見ている。

 そんな表情を見て、力が抜けた。

 まあ今は問題がないし、ひとまずショーが終わるまではそっとしておこう。ここで無理に連れ出すのは、さすがに気が引ける。

 

 ――そうしている間に、ショーはフィナーレに向けて盛り上がり始めた。


 ショーの中盤で増えた二匹のイルカと、最初からいたミーちゃんとカーくんと呼ばれていたイルカ。

 計4匹のイルカはそれぞれプールの隅に移動すると、一気に中心へ向けて泳ぎ出す。

 そうして交わる一瞬、絶妙な間隔で順番に水面から跳び上がり、空中に四つの弧を描いた。

  

 この大技を最後に、イルカショーはフィナーレを迎える。

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