第422話 母性は後ろ姿に出る

 ハハーンに労働をさせられている……というか、今回は自分からやると言って任されたのだが、あえて悪い言い方をしておくとしよう。

 唯斗ゆいとは労働自体とは無関係と言えど、自分の言葉がきっかけで名乗りを上げたこまるを放っておくわけにも行かず、その後ろ姿を見守っていた。

 彼女の足元には、急ぎで用意したダンボールの踏み台が置かれてあり、中には捨てる予定の新聞や本などが詰められている。

 おかげで安定性は抜群だが、乗るために作られた台と違って安全性までは保証されていない。

 そのため、こうして何かあった時のために傍にいるのだ。彼に出来る最高の気遣いがこれだから。


「唯斗、ハンガー、取って」

「これでいい?」

「いえす、ありがと」


 わざわざ台から降りるというのも手間なので、遠くにあるものや足りないものを取るくらいは唯斗も言われた通りに動く。

 ちなみに、ハンガーという言葉からも分かる通り、こまるが今しているのは洗濯物を干すという作業だ。

 簡単そうに見えて、シワを伸ばしたり、限られたスペースの中で服同士の隙間を等間隔に空けながら並べたりと、意外にも手際よくやるにはスキルが必要らしい。

 そんな仕事を慣れた手つきでサッサッと並べていくこまるに感心していた唯斗は、最後の一枚を丁寧に干す姿を見て心の中にモヤっとした何かを覚えた。


「こまる、その姿も様になってるね」

「いつでも、お嫁さん、なれる?」

「うん、きっとなれるよ」


 妹の天音あまねよりも小さな背中だと言うのに、不思議と母性のようなものを感じられるのだ。

 文句一つ言わずにこなす様、シワを伸ばす時の指の動き、そして真剣ながらもどこか楽しそうな目。

 一般的な男子高校生であれば、この光景だけで自分好みの目玉焼きを朝食に並べてくれる将来の光景を妄想してしまうほどだろう。

 唯斗の妄想に出てきたのは目玉焼きではなく、カリカリに焼き上げられたベーコンだったけれど。


「ん、終わった」

「お疲れ様。今下ろしてあげるからね」


 余ったハンガーや洗濯バサミを元の場所へ戻してから、彼はこまるを抱えて台から下ろしてあげた。

 これで労働は終了。となれば良かったのだが、ハハーンが任せた仕事はまだ残っている。

 それは、元々干されていた服やタオルを畳むというもの。よいしょと満帆の洗濯カゴを持って階段を降りる彼女を追いかけ、唯斗も先程空になった洗濯カゴ片手に一階へと向かった。


「僕も半分やるよ」

「いい。私が、やる。仕事、だから」

「そんなこと気にしなくていいよ。そもそも僕の服も混ざってるし」


 そう言いながら洗濯物の山から自分の服を引っ張り出すと、こまるはそれを強引に奪ってフリフリと首を横に振る。

 これは自分が畳むという意思表示らしい。それなら仕方ないので、今度は自分の下着を取ろうとするが、それも素早く奪われてしまった。

 これはつまり、本当に何も畳ませないということなのだろうか。そう首をひねっていると、何やらこちらに背中を向けた彼女が何かをしている。

 具合でも悪いのかと覗き込んでみると、先程取った唯斗の服を鼻に当てているではないか。


「えっと、何やってるの?」

「……バレた」

「うん。思いっきりバレたよ」

「匂い、嗅いでた。唯斗の、いい匂い」

「そう言われると照れるけど、わざわざ洗濯物から嗅がなくてもいいのに」

「バレる、スリル、ドキドキ、楽しい」

「僕の下着を握りながら、危険人物と同じ思考をするのは勘弁してよ」


 いつかこまるがとんでもない事件を起こしたとして、犯罪の芽が出た瞬間が自分の服の匂いを嗅ぐスリルを味わった時だなんて言われた日には、段々畑を転がり落ちたくなるだろう。

 そんなもしかしたらあるかもしれない未来を消すため、唯斗が「隠れて嗅がなくていいから、ね?」と言ったせいで、おもむろにパンツの匂いを嗅がれそうになったことは言うまでもない。


「それはやめようね?」

「……ダメ?」

「そんな目で見ないでよ」


 甘えの師匠も、さすがにこればかりは許して貰えなかったそうな。

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