第310話 想像で腹は満たせない

 あれから30分ほどして、目を覚ました唯斗ゆいとは心做しか膨れた気のするお腹を撫でながら満足げにあくびをした。


「夢の中で大福を沢山食べたから、お腹いっぱいの気分になっちゃったよ」

「ふんっ、それはようござんしたね」

夕奈ゆうな、どうして不機嫌なの?」

「別に不機嫌じゃないですけどっ!」

「……瑞希みずき、何かあった?」

「虫の居所が悪いだけじゃないか?」

「なるほどね」


 それなら気にしなくていいかと、ごちそうさまをして立ち上がる。周りを見てみれば、他のみんなは寝ている間にほとんど帰ったらしい。

 こまるたちも先生たちからの指示通りにお皿を一箇所にまとめてから席を立つと、彼の横に並んで出口へと向かった。


「あ、ちょ、待ってよ!」


 少し遅れて立ち上がった夕奈は、ショートパンツの裾をやけに気にしている。

 唯斗は無意識だったから知らないのだ。あそこに自分の歯型がついてしまっていることを。


「夕奈ちゃんは大福じゃないってのに……」

「何か文句言った?」

「なんでもありませんよーだ!」

「私は大福ですって聞こえた気がしたんだけど」

「逆や!」

「あなたは大不幸ではありませんって言ったの?」

「全部逆にしちゃだめでしょ。ていうか、大福の反対が大不幸っていう人初めて見たよ」

「まあ、間違いじゃないかもね。大福を完食したと思ったら目の前に夕奈がいたんだから」

「誰が疫病神やねん」

「夕奈の隣の席になった日から、僕は疫病神に取り憑かれてたんだ。なるほど」

「納得すな」


 ペシッと後頭部を叩いてきた彼女に、唯斗はやれやれと言わんばかりの視線を向けると、「まあ……」とその顔を見ながら小さく頷いた。


「まあ、何も無かった頃に比べれば、取り憑かれてるくらいがちょうどいいのかもね」

「……え?」

「夕奈がいなかったら他のみんなとも出会えなかったわけだし、邪魔と思うこともあるけど何だかんだ必要だったのかなってね」

「唯斗君ったら、急にデレちゃってー♪」

「ハルちゃんの件も、夕奈たちがいなかったら一人で抱えなきゃいけなかったし。あのまま向き合わずに、過去の出来事から逃げてたかもしれない」

「いや、本当にどうしたの? いつもの唯斗君じゃないように見えるんだけど」

「修学旅行なんだから、少しくらい違ってもいいでしょ。僕だって人間なんだから、無性に感謝したくなる時だってあるんだよ」

「……そっかそっか。まあ、ありがとうは一番安くて高いお返しって言うかんね」


 今の言葉が余程嬉しかったのか、照れ隠しをするように早口で話し始める夕奈。

 唯斗はそんな彼女の「無償の報酬、無性だけに?」なんてつまらないギャグを聞き流すと、左手に握っていた8つ折りの紙を手渡した。


「ラブレターか?!」

「もしそうなら直接伝える」

「恥ずかしがっちゃってぇ! 開けちゃうよ、本当に開けて読み上げちゃうよ?」

「いいから早く開けてよ」

「んふふ♪ えっと、なになに?」


 夕奈はニヤニヤしながら紙を広げると、そこに書かれた文字の上に視線を走らせる。

 そして、読み進めれば読み進めるほど、顔からそのニヤつきを失っていった。


「……なにこれ」

「瑞希にこれを言えばシュークリーム奢ってやるって言われた」

「報酬につられて心にもないことを言ったと?」

「人聞き悪いね。瑞希に頼まれたから、報酬ついでに心にもないことを言ったんだよ」

「どっちにしろ悪いわ!」

「でも喜んでたじゃん」

「真実を知るまではね。知らなければ幸せでいられたのにさ。まったく、酷い奴だよ!」

「瑞希も嘘を言わせるなんて酷だよね」

「お前のことじゃおら」


 彼女が「こんなもの、こうしてやる!」と紙をクシャクシャに丸めてしまう。

 それをゴミ箱に投げ入れようとする様子に、唯斗が「まあ、お礼を伝えるにはいい機会だったかな」と呟くと、夕奈は振りかぶった腕を止めてそのままポケットに突っ込んだ。


「まあ、ホテルのゴミを増やすのも悪いし、家に帰ってから捨てようかなー」

「一枚くらい変わらないと思うけど」

「この紙には怨念が籠っておる。ちゃんとお祓いの儀式をしなければならないのじゃ」

「まずは夕奈自身からお祓いしてもらったら?」

「私は正常や!」

「いつも通り頭悪いと」

「ぐぬぬ……寝坊助のくせに!」

「寝る子は育つ。夕奈は寝ないから育たないんじゃない?」

「誰の胸が未発育やと?!」

「いや、脳みそのことだけど」

「…………ふんっ!」


 盛大に勘違いをした夕奈は、理不尽にも「ばーかあーほあんぽんたんなすび!」と言って走っていくと、角を曲がって姿を消してしまう。

 唯斗はその背中を見送った後、「一生分のお礼は伝えたから、しばらく伝えなくていいね」なんて呟いて止めていた足を動かした。

 その後、角を曲がった先で恥ずかしさのあまり顔を覆いながら、廊下の端で蹲っていた夕奈を見つけたことは言うまでもない。


「……お腹空いたの?」

「ちゃうわ!」

「僕はお腹空いたけどね」

「唯斗君、ほぼ食べてないもんね」

「夢大福じゃ満たされなかったよ。夕奈、何かおやつ持ってない?」

「部屋に来たらいくらでもあげるけどなー♪」

「分かった、今から行こう」

「ちょ、ダメだかんね?!」


 その後、一度部屋に戻った彼女が、仕方なく共用エリアまでお菓子を持って行ってあげたというのはまた別のお話。

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