#40 話してみて?
連れられた星夏の家は、どこにでもある普通のアパートの一室だった。
それでも俺が済んでいるアパートよりはセキュリティが整っている。
案内されたリビングのソファに並んで腰を掛け、星夏は救急箱を取り出して傷の手当を始めた。
「うわぁ。口切って時間経ってるから腫れてるね。見るからに痛そうだし、アタシだったら涙止まんないかも」
「いっ!」
星夏が眉を顰めながら、消毒液を染み込ませたガーゼを傷口に当てる。
ピリッと電気が走った様な痛みに、堪らず声を漏らしてしまう。
身動ぎする俺に構わず彼女はテキパキと消毒を済ませ、傷口に絆創膏を被せていく。
続いて打撲して腫れ上がっている箇所を冷やすために、タオルと保冷剤を使った簡易的な
腫れて熱と痛みを帯びた頬が、冷やされた事で和らいだ気がした。
「よし。久しぶりだったけど、案外覚えてて良かった」
一通り手当を終えた俺の顔を見て、星夏は誇らしげな笑みを浮かべる。
距離を置く前は、ケンカの度に怪我をする俺をこうして星夏が手当してくれていた。
そんな昔の事でも無いのに過った懐かしさに、どうにも気恥ずかしさが拭えない。
「手間を掛けさせて悪い。礼はするからもう帰──」
「ちょっと待って。まだ心の方の手当が済んでないよ」
「え……」
もう終わりだと思って帰ろうとした矢先に告げられた言葉に、心臓が凍り付いたかと錯覚する程に動揺してしまう。
だが決して当てずっぽうで言った訳では無いのは、神妙な面持ちの星夏の表情から察せられる。
そして彼女の空色の瞳は、俺の心の奥底を見透かす様に細められ……。
「──なんで、死のうとしてたの?」
「──っ!!」
驚きのあまり聞き返す事も出来ずに呆然としてしまう。
俺の表情を見た星夏は一瞬悲痛な面持ちを浮かべ、でも目は逸らさないでいた。
「図星、か。一番最悪な予想が真っ先に当たるとか、なんかイヤな感じ」
だが先の問いはカマ掛けだった様だ。
そうと分からず反応を見せてしまった事で、疑念が事実だと確信されてしまった。
俺が本当に自殺しようとしてたと知った星夏は、少しだけ悲しそうな表情を浮かべて続ける。
「ついさっき別れた元カレと放課後に喫茶店で過ごしてたらさ、外に顔中血だらけのこーたが立っててビックリしたんだよ?」
「っ! あの店にいたのか……」
何の気なしに顔を向けた喫茶店にまさか星夏がいたなんて、なんと作為的な偶然なんだろうか。
「あの時見たこーたの目がさ。何もかも諦めたみたいに真っ黒で、どっか遠くに行っちゃいそうだなって胸騒ぎがしたの。それで慌てて追い掛けたってワケ」
「……」
「流石に死ぬつもりだったなんて、わかんなかったけどね」
力なく笑うその表情を見て、どう返せば良いのか分からない。
優しい彼女からすれば、俺が自殺願望を懐いた事そのものを悔やんでいそうだった。
そんな気持ちを持たせないくらい、支えになれていなかったという後悔が窺える。
でも俺はあの時止めたのが星夏じゃなかったら、突き飛ばすなりして拒絶していたかもしれない。
そうしなかっただけ、彼女の行動は決して無駄では無いと思える。
「あの、さ。どうして死にたくなったのか、アタシに話してみない?」
「え?」
続けて投げ掛けられた提案に、素っ頓狂な反応を露わにしてしまう。
型に嵌めた様な『死ぬな』とか『生きろ』なんて言われると思っていた分、その驚愕は大きかった。
「アタシは死にたいなんて思った事がないから、こーたの気持ちを全部理解してあげられない。知りもしないくせに死んじゃダメとか綺麗事を並べて、自己満足に浸る様な事もしたくない」
星夏の物言いは、安易な励ましがより相手を傷付けるだけだと知っている様な口振りだった。
死を望む俺の心境を、決して型に嵌めた正論で無視したくないと言う。
「でもね、話を聴く事ならいくらでも出来る。聴いて何か言える訳じゃないけどさ、それでもこーたの話を全部聴いて受け止めて、どうしたら良いのか一緒に考える事は出来るよ。……だから、話してみて?」
その最後の後押しもあって、俺はずっと心の奥にしまっていた感情を発露させた。
突然両親が亡くなった事による拭えない孤独を。
どうして生きているのか分からなくなっていった虚無感も。
恥曝しと言われても仕方の無い様な、淀んで黒ずんだ感情をありのままに。
誰にも話さなかった事を、何もかも全部を星夏に打ち明けた。
話している間、星夏は相槌も打たずに黙ったまま何も言ってこない。
だからこそ、彼女が一言一句をしっかり耳に入れて受け止めているのだと分かる。
そうして全てを話し終えて、しばらく沈黙が続いた。
星夏は閉口したまま逡巡している。
まるで、どんな言葉を返すべきか探っている様だ。
正直、ここでも俺は星夏の行動に驚かされていた。
何せ『辛かったね』とか『もうそんな思いはさせない』とか、その場凌ぎの気休めな言葉ですら、星夏は口に出そうとしなかったからだ。
だからこそ疑念が尽きない。
どうしてただの腐れ縁でしかない俺の事を、彼女はここまで真剣に考えてくれているのか。
その理由を知りたい欲求が湧き上がっていた。
このまま黙っているよりはマシかと思い、星夏に問い掛けようとした時だ。
「ちょっと。何勝手に人の家に上がり込んでるの?」
「え?」
突然、口調だけでも不機嫌だと分かる声に静寂を破られる。
咄嗟に声のした方に顔を向ければ、そこにはいつの間にか一人の女性がいた。
一目見て染めていると分かる金メッキ紛いな金髪を左肩に流し、真っ青なドレスには水面に反射する太陽の光の様なラメ入りの装飾が施されていて、それは飾り気しかないホステスと言っても良い装いだ。
女性の顔は化粧を抜きにしても端正に見えるが、だからこそ眉を顰めてこちらを訝しんでいるのが分かりやすい。
もしかして星夏の姉だろうか?
一瞬そう考えるが……。
「あ、お、お帰りなさい……お母さん」
「えっ!?」
他でもない星夏本人によって否定された。
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