怪物たちの宴
第77話名もなき怪物
「では、私たちはこれで失礼します」
ウルズとの戦いから数日。簡単な片付けと戦利品の分配を済ませた僕たちはラダカーンとサウロに見送られ、コボルトの巣を立とうとしていた。
「行ってしまわれるのか」
いかにも残念そうな声を出すサウロ。彼の瞳は最高の実験用具をなくす悲しみをありありと伝えていた。
これほど清々しい別れもそうそうないと感じながら、口を開く。
「ええ、残念ですが」
「目的地ハアルノカ?」
ラダカーンの問いに首を横に振る。森で生まれ外の情報を持たない僕たちに目的地などない。人間から逃げたいというくらいだ。
「北にいこうと思うが、それ以上は」
「ココニイテモ構ワナイガ」
これほど同意したくない誘いも珍しいだろう。
「そうもいかないだろうよ」
追手を振り払うという目的は達したのだ。コボルトたちからの恐怖の目を見れば長居すべきでないのは明らかだ。
「これより北は……人間の集団が歩いている。奥は巨人が出ると噂だ。使徒殿、十分に注意されよ」
注意してどうにかなると思わないが感謝はしよう。軽く頭を下げてから僕は口を開いた。
「では、これで失礼します」
両者に軽く会釈してから僕はくるりと背を向け歩き出す。退屈そうに足を舐めていた子狼が立ち上がり、僕の横についた。
付き従う部下は四人。少なくなったものだ。しかし、それぞれが戦力となれる。
部下たちには戦利品の武具を与えてある。戦利品の分け前は数こそ少ないが、死体の山の中で状態がいいものを厳選した。
それぞれが優れた武器——ゴブリン基準では——を持ち、比較的損傷の少ない防具で身を守っている。ゴブリン基準では間違いなく一角の戦士に違いない。少なくとも壊れていない武器と盾を装備し鎧に身を包んだゴブリンはそういない。
四人の部下のうち斧、槍を装備したのが一人ずつと、弓を持ったゴブリン。最後に剣を持ったゴブリンに分かれた。好きにとれと言ったら綺麗に被らなかった形だ。
開けている洞窟周辺をあっという間に通り抜け、地面に光の届かない暗い森のなか5人と1匹は茂みをかき分け無言で歩を進める。
下生えはさらに生い茂り、木の根が蛇のように唸りながら大地を支配していた。森の深い部分に侵入していることを肌で感じる。
鳥の鳴き声や獣の咆哮は少なくなり、病んだような邪悪な息遣いが森を占めている。
「嫌な雰囲気だな」
「ですね」
思わず漏れた僕の呟き。返答したのは部下の一人だ。こういう時は大抵ゴブリンリーダーが返してくれたのだが、今となっては言うべきではないか。
それきり会話は途絶えた。僕はと言えば沈黙に任せて昨日のことを思い出していた。あの時どうすればよかったのか。
無意味だとはわかっていた。時は戻せないし、戻したとしても何度だって同じことを繰り返す。
「グルルルル」
仔狼の唸り声が僕の静謐な思考の海を裂いた。
仔狼と呼んだがもうそこまで小さいわけではない。母親の手から連れ出した時は大きなネズミくらいのサイズだったが、今では中型犬の域に達しようとしていた。
舌を噛んで余計な思考を追い払う。悪い癖だ。
「武器を」
言葉少なに部下に命じた。敵襲だ。僕の五感にはいまだ反応はないが、仔狼は木の上の一点を睨み歯を剥き出しにしていた。
鞘から剣を抜く音を聞きながら僕も杖を構えた。
「足音……か?」
「静かに」
部下の呟きを低い声で嗜める。綿棒を紙で擦ったようなかすかな音が聞こえてきた。
なんだ。あれは。
少し待っていると何か木の葉を揺らす音がはっきりと聞こえるようになった。
その何かが姿を見せる前に、
「
先制攻撃を叩き込む。木の葉の群れを割って進んだ魔法の矢は不躾な通行人に命中した。
「キイィィィ!」
甲高く不愉快な悲鳴を上げて、何かは木の上からドサリと音を立てて落下する。
茂みの隙間から足を痙攣されるものが見えた。蜘蛛だ。それも仔狼より巨大で見た目は仔狼とは程遠いところにあった。はっきり言えばデカくてキモい。
「なんだよこいつ!」
槍を持った部下が引き攣った声で罵声を飛ばす。見慣れない頃はゴブリンも醜いと思ったが、蜘蛛も相当だ。
「とどめを刺しますか」
「やれ」
剣を持った部下の質問に端的に答えた。冷静さを保っていた彼はゴブリンらしい表情を見せない。殺しの欲求などなかった。警戒だけを浮かべている。
ひっくり返っていた蜘蛛はなんとか姿勢を戻そうともがいている。だが、蜘蛛が立ち直るより部下が近づく方が早い。
部下が剣を振りかぶり躊躇いなく関節めがけて突き刺した。
「キイィィィィィィィ!」
頭胸部と腹部の間に致命的な損傷を負った蜘蛛が断末魔の悲鳴を上げる。まだ足りないとばかりに無表情で剣を捻る様子を見ながら、槍持ちの部下は青い顔をしていた。
「お前は……蜘蛛が苦手なのか?」
「え、いや、その……族長、俺は決して戦いを恐れているわけでは」
「責めているわけではない。ただの好奇心だ」
しどろもどろに答える部下に安心させるように出来る限り親しみやすい言葉で言った。
槍持ちの部下は迷いを見せたが、やがて口を開く。
「はい、蜘蛛は嫌いです」
「そうか……そうか」
他の部下が不思議そうな面持ちで僕を眺めている。不思議なのは僕も同じだった。今まで彼らと雑談したことなどなかった。
話していたのは命令であり、返ってきたのは報告のみだった。ゴブリンとはそういうものだ。個に対して注意を払わない。名前がないのはそれが原因だ。
名前を付けてみようか。ふとそんな考えが頭に浮かんだ。
「族長?」
「いや、なんでもない。行くぞ、日の出までに雨を凌げる場所を見つけたい」
その日、他に特筆すべきことはなかった。それ以降少し彼らと話すようになったことを除けば。
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