第63話ゴブリンの進軍

「腹でも痛いのか?」


 緊張した顔で隣を歩くゴブリンリーダーを僕は敢えて軽い口調で揶揄った。


 僕たちは軍団の先頭を歩いている。今は出発したばかりだから一、二時間は歩かなければいけないだろう。


「別に。俺は体も強いことが自慢でね」


 同じように冗談めかして返すゴブリンリーダーとて戦士だ。『歴戦の』とつけるには年数が短いかもしれないが僕と共に修羅場ってやつを乗り越えてきた。


 しかし戦地へ、死地へと進むプレッシャーは抑えきれない。僕もプライドがなければ涙目だし追い込まれていなければ逃げ出した。


「それは良かった。ついでに表情も何とかしておけ」


「はいはい。でもよ……こういう時どんな顔をすればいいのかわからないんだ」


 笑えば良いと思うよ。そんなベタな返しが頭に浮かんだ。


 笑顔のない戦争ほど恐ろしいものはないと誰かが言った。確かにそれは正しいと僕も思う。それでも笑顔で戦争に行くようなゴブリンになってほしくはないのだ。これは僕のエゴだろうか。


「表情を抑えておけよ。部下が動揺しかねないぞ」


 喜怒哀楽の激しい上司ほど扱いづらいものはない。戦場にあって指揮官が不安そうにしていたら部下も逃げたくなるだろう。


「わかったよ。出来るだけ表情を抑えてみる」


「あいつを見習え」


 僕が呑気な顔で歩いている子狼に目をやると奴は不思議そうに小首を傾げた。


「あそこまでは俺にぁ難しいだろうよ」


「私もだ。拾った時も思ったが肝が座ってる」


 というか何でお前付いてきたの?暇なの?


 置いてこようとしたのだがどうしても聞かなかった。やっぱり置いてきた方が良かったかな。


 ゴブリンリーダーも連れて行くべきと言っていたから押し切られる形で頷いたのが失敗だった。


『全軍停止、休息に入れ』


 コボルトの指揮官が何事か指示するとコボルトたちは歩みを止めた。


 事前に連絡のあった通り最後の休息だろう。


 早足で近寄ってきたラダカーンは僕の前で止まった。


「友ヨ。コレヨリ休息ヲ取ル。ココカラ我輩モ共ニ行ク」


 これも手筈通り。敵ゴブリンの索敵圏内からは僕たちはコボルトの指揮下から独立し、本隊との伝令のまとめ役としてラダカーンが同行する。


 敵ゴブリンが一応見張りを立てているらしいので僕たちと体を隠したコボルト数名で静かに近づいて静かに排除する。


 同じゴブリンなら疑われないだろうし、顔を隠して声を出さなければコボルトとわかるまい。

 

 シンプルな作戦だ。このために僕たちは先頭に立っていた。


 頭の中で状況を整理しつつ僕は地面に腰を下ろして革の水筒から水を飲む。


 飲み過ぎない程度に気をつけてだ。近づいてきた子狼の物欲しげな視線に従い手に水を取って飲ませる。


 子狼のザラザラとしたこそばゆい舌の感触に晒されながら僕は震えそうになる手を抑えた。


 存外僕も緊張しているらしい。


 子狼が水を飲み終えたのを確認して干し肉を取り出した。子狼にも食べさせているとゴブリンリーダーが何やら生暖かい目で見つめてくる。


「どうかしたか?」


「……いや別に」


 変な間を取って言われるとイエスと答えられる以上に肯定していることが伝わる。


「なんだ。はっきり言えよ」


「じゃあ、言うけどよ。あんまり入れ込みすぎるなよ。ゴブリンは自分以外を守れるほど強くない」


 ゴブリンリーダーの真剣な瞳に一周かっとなりかけた自分を抑える。


 ゴブリンリーダーは自分を心配しているのはわかっているのだ。


「余計なお世話だ」


 わかっているが苛立ちは抑えきれない。僕も情は足を引っ張るだけだと理解はしてしている。頭では。


「ならいい」


 素っ気なく答えたゴブリンリーダーから目を逸らして僕は干し肉を咀嚼する。


 とっておきの人間製だというのに噛んでも噛んでもまともな味がしなかった。





☆ ☆ ☆




「やあ、ご苦労さま」



 大きな倒木で出来た広場で屯している10匹ほどのゴブリンたちに僕は親しげに手を挙げた。


「誰だ、お前」


 だらけていたゴブリンが身を起こして武器に手をかける。


 僕を警戒していた。やはり人相書きか何か出回っているのかもしれない。いやゴブ相書きか?どうでもいいか。


「誰だって忘れたのかい?」


 オレオレ詐欺でもやるような適当な口調ではぐらかしながら僕は指揮官らしきゴブリンに近づく。


「近づくな!」


 鋭い声を浴びせるゴブリンに僕は歩みを止める。


 知覚が過敏になって目の前のゴブリンの黄ばんだ歯が鮮明に見えた。心臓はうるさく鳴り響き、声が上擦りそうになる。


 それでも意志の力で内心の緊張を隠しながら平静な表情で地面を指さした。


「それより落ちてるぞ」 

 

 一瞬、ほんの一瞬ゴブリンが目を逸らした隙に近づいてゴブリンの剣に杖を叩きつける。


「なっ!」


 ゴブリンの叫びを無視してナイフを抜く。


 泳いだ剣の作った空白に体を滑り込ませ左手で握ったナイフを突き立てた。


 あんたの命がな。心の中だけで呟き終えた頃には部下と敵兵の斬り合いが始まっていた。


「卑怯者がっ!」


 罵声を浴びせながら僕に切り掛かってきたゴブリンを横からゴブリンリーダーが突き殺した。


「だとよ?」


「黙って戦え」


 ゴブリンリーダーの軽い口調にぴしゃりと言い返した。


 魔力は極力温存したい。そのためには卑怯な手でもなんでも躊躇なく使ってやる。


 部下と切り結んでいたゴブリンの後頭部に杖を叩き込んだ。


 敵兵が倒れる前に別の敵兵を殴り飛ばす。


 姿勢を崩した敵兵を部下が取り囲んでタコ殴りにした。


「被害は……ないな」


「ソノヨウダナ」


 ラダカーンと頷き合いながら僕は密かにため息を吐いた。


 こいつに少し絆されてきた気がするのは僕だけだろうか。


「まあいい。次だ」


 号令一下部下とコボルトたちは粛々と動き出す。


 その無駄のない動きに僕は安堵した。コボルトたちも部下たちもお互いの足を引っ張らないようで何より。


「お前は……」


 子狼はゴブリンの死体を興味深げに嗅いでいた。こんななりだが奇襲を受けそうになったら自慢の鼻で教えてくれるだろう。多分、きっと、メイビー。


「こい」


 ため息とともに呼べば尻尾を振りながら飛んできた。


「あいつを見てると気が抜けるか?」


「私をあまり舐めるな」


 ゴブリンリーダーに短く返して僕は再び歩き出す。


 気は抜けないが……ちょっと力が抜けていた。ついでに緊張も。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る