第41話騎士の進軍と魔女
ガウェインは馬に乗りながら周囲の森を観察していた。
ホーバルウルト領において最大の規模を持つこの森は、隣国との境界にあってさえ、林業が盛んで開発の進んだ場所だ。
故に森の浅い部分は木の数も馬が乗り入れられる程度に止まっている。
今のところ厳しい旅路とは言い難い。
しかし、古来より旅は道連れ世は情けというように、旅路の難度は旅の心地よさに必ずしも比例しないのだ。
つまりなにが言いたいか。
俺はこの女が嫌いだ。
「聖女殿、このような所にいてもよろしいので?」
貴方を心配しています、と心にもないことを顔に浮かべたガウェインは聖女殿などど呼ばれる淫売に声をかけた。
「なにか問題がありましたかぁ」
どことなく鼻につく安物の香木のような甘ったるい声に、ガウェインは注意して紳士的な表情をたもつ。
可憐と言って差し支えないその美貌だが、今彼女が乗っている猪と盛っていると聞くと興醒めだ。
人の性癖をとやかく言いたくはないが、これも自分の性癖である。
もっともガウェイン自身はこの手のお花畑のような女は苦手とする所だ。どちらにせよ手出ししないだろうが。
なぜ花畑を作るのか、美しい花を作って高値で売るためだ。花畑の下には地道な努力と計算があると悟ってからは敬遠するようになってしまった。
「いえ、聖騎士の方々も聖女殿が共に居られれば心強いのではと考えまして」
そんな考えをおくびにも出さずガウェインはしれっとのたまう。
「大丈夫ですよぉ、彼らは強いので」
能天気な優しさに秘められた毒にガウェインは思わず鼻に皺をよせる。
しまったと思ってから自分がクローズドヘルムを被っていて表情を隠せていることを思い出した。
彼ら
はっきりと叩きつけたやるわけにもいかず、ガウェインは曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
業腹だが、ここで怒りに任せて怒鳴りつければ、好ましくない未来が待っているだろう。
クシュナーだけは残して、聖女の話し相手にしてしまえばよかった。
ガウェインは後悔と共に小さく舌打ちしたが覆水盆に返らず、送った聖騎士は戻ってこない。
部下と仕事のやりとりをしている副官を巻き込むことも出来ず、それから聖女と苦痛に満ちた数時間を過ごすこととなった。
「ゴブリンか」
救いが現れたのはその時だ。
大半の獣も魔物も、2000の軍勢に喧嘩をふっかける勇気を持ち合わせていない。
その上で、聖女の言葉を聞くまでもないが、クシュナーはそれなりに名の知れた聖騎士。
森での戦いに慣れていないとはいえ、蛮勇を振り絞った魔物を片付けるくらい造作もない。
今まで回ってこなかった
「ノルベルト、お前はこのまま指揮を取れ。私の直率だけで十分だ」
副官に指揮権を預けたガウェインの背に聖女が声をかける。
「あのぉ、できれば一匹生捕りにして欲しいですぅ」
「どれがよろしいですか」
嫌いな女の頼みも、逃げられると思えば喜んで聞こう。
「どれでもいいですけどぉ、一番大きい奴だと嬉しいなぁって」
「……わかりました」
ゴブリンも守備範囲なのか、それとも区別しない主義なのか、そんな下世話な想像を隠し、にこやかに返したガウェインは幕下の騎士が体勢を整える前に一人駆け出した。
このままあの耳障りな声を聞いているとゴブリンの前にこの女を片付けてしまいそうだったからだ。
馬の鞍に下げた短槍を引き抜く。
慌てたゴブリンたちがギャアギャアと何事か話し合ってから逃げ出した。
が、
「遅い」
逃げるゴブリンの集団の背にに馬ごと突っ込み、短槍を振るう。
馬がゴブリンの集団を追い抜いた時、8匹いたゴブリンは4匹になっていた。
馬を返してそうとしたところで、一番大きなゴブリンの顔が邪悪に歪み、左右の茂みからガウェインへ矢が放たれる。
待ち伏せと言ったところか。悪くない手だ。しかし……時と場合と、ついでに相手が悪かった。
放たれた矢を短槍で無造作に弾く。
唖然としたゴブリンは背後から迫ってきたガウェインの部下にあっさりと叩き潰された。
残った一匹に武器を向ける。
一番騒いでいた一番大きな個体だ。しかし流石に騒ぐ気力をなくしたのか、周りを確認して逃げ場がないと知ると、うな垂れて肩を落としていた。
ここからどうしようか。ガウェインは密かに頭を抱えた。
相手はゴブリン。武器を捨て投降せよと告げたところでそもそも言葉が通じない。
困惑していたガウェインは近づいてくる聖女を視界の端に捉え、これ幸いと押し付けることにした。
「聖女殿。ご要望の通り一匹だけ残しておきました」
手を振って部下に包囲網を広げさせ、猪から降りた聖女を中に入れた。
「どうしますか」とガウェインが問いかける前に聖女はゴブリンに歩み寄っていた。
「危険です!」
「いえいえ、私は大丈夫ですよぉ」
「しかし……」
言うまでもないことを大声で叫ぶ部下を目で押さえて、ガウェインは聖女に問いかけてた。
「なにか対策があるのですね」
「もちろんですぅ」
「わかりました。お前たち、構うな」
「閣下!」
信じられないという表情で目を見開く部下に軽く頷いて見せる。
この女は聖女などと持て囃されている淫売だ。まず関わりたくない人種であり、ガウェイン自身が苦手なタイプ。
たが、逆に信用が置ける。この油断も隙もない女が慢心に殺されることはないだろう。
それに自分が槍を投げれればゴブリンは一息で殺せるはずだ。泳がせておいて殺すのは弄ぶようで気が引けるが、必要なら躊躇しない。
武器を持たずに一人近づいてくる聖女にゴブリンは戸惑ったように辺りを見回す。
が、構わず更に近づく聖女に思考を放棄したのかナイフを向けてギャアギャアと騒いだ。
ゴブリン語など修めていないが大方近づくなとでも言っているのだろう。
それでも構わず近づく聖女。痺れを切らしたゴブリンがナイフを振り上げ、ガウェインが槍を投擲しようと構えた。
少し、ほんの少し遅れて聖女がなにがしか囁いた。
魔法かゴブリン語か、ガウェインには判別がつかないがなにか悍しい術であるのは間違いなかった。
瞳を濁らせ、ゴブリンが見せた一瞬の隙に迷わず聖女は近づく。
客にしなだれかかる娼婦のようにゴブリンに身を寄せ、なにごとか囁いた。
聖女に答えるようにゴブリンがなにごとか喚く。
ガウェインは握りしめいる槍に力を込めた。
この女はあまりにも危険だ。
洗脳、心の強制的な変質。それは死と同義だ。
そんな外法を扱い、かつ作った隙に着実につけ込む悪魔のような女。
これぞ教会の連中が血眼になって必殺を掲げる呪われた女。魔女なのではないだろうか。
ガウェインとて教会は好きではないが、人並みに信仰心はある。
邪悪な魔術を使う恐ろしい魔女。神に、そして近い将来王に仇なすであろう女。
今、今ならガウェインの一存で殺せる。
ただ、この女を殺せば教会勢力との関係は拗れる。最悪の場合……いや確実に、教会主導で侵攻軍が結成されるだろう。
なんとか、秘密裏にこの女を排除できないものか。
ガウェインが腹の中でそんな計画を立てていることも知らず——あるいは知っていて放置されているのか——聖女は花が開くような可憐な笑みを浮かべた。
「ガウェインさん。ゴブリンの集落の位置がわかりました!」
「それは……よかった」
「森を歩くのは大変ですものねぇ」
クローズドヘルムに隠されたガウェインの嫌悪の表情を知らず、ずれた反応をする聖女。
ガウェインは能天気な表面に文句を言ってやりたくなったが、かと言って心の奥の昏い感情を直視したいわけではないので、話しを戻すだけに留めた。
「それで……奴らはどこにいるのです」
「北西の方向にしばらく進むとサルバト?に率いられた群れがあるそうですぅ」
「サルバトとは?」
ガウェインの事務的な質問に聖女はわざとらしく小首を傾げて答えた。
「人名?ゴブ名かな?とにかくぅ、ゴブリンの名前らしいですぅ」
ゴブリンが首領なのか。それはよかった。
気の抜けた語尾に高まる苛立ちを努めて抑えながら、ガウェインは口を開いた。
「それで、そのゴブリンはどうしますか?」
短槍を握りしめ、言外に処分するなら私で殺るがと伝えるガウェインに、聖女は甘ったるい微笑みを浮かべる。
「お友達にはしませんがぁ、集落までは案内してもらおうと思いますぅ」
「それが最善でしょう。ポドリック、ゴブリンを縄で縛れ」
従者が縄で縛っている間もゴブリンは不気味なほど大人しかった。
ポドリックは抜け殻のようなゴブリンに心の片隅で同情しつつも容赦なく縛る。
縛り終えたポドリックは縄の先を主人に渡そうとするが、
「それはぁ、私が持ったほうがいいと思うんですよぉ」
待ったが掛かった。
賓客である聖女の提言を無視することもできずオロオロしている従者に聖女の言葉通りにするように指示。
お陰で指揮官であるガウェインは聖女の隣でストレスに耐える他なくなったのだが、それもまあ些細なことだ。
重いため息をついたガウェインは本隊に戻るように指示。息抜きのために列を離れたはずが、なぜかものすごく疲れていた。
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祝10万字突破!ドンドンパフパフ〜
……みたいな感じで10万字突破のお知らせを出させていただきます。
物語は序盤の佳境ですけど。これまでありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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