第33話終章
余人のいなくなった広間で僕の呼吸音と、族長の指が立てる音のみがその場に響いていた。
板張りの床の冷たい感触に僕の心が奪われる前に族長が話し始めた。
「どうすべきだと思う?」
頬杖をついた族長が目を上げずに問いかけてくる。
返り血のついたその言葉に似合わない弱気とも取れる言葉に僕の胸に波紋が拡がった。
きた。上司とさしで話すのは苦手ではないが、その上司が危険なゴブリンだとすれば話しは別だ。
ここは、
「失礼ながらご質問は抽象的すぎます」
ここは慎重に意図を確認する。僕はぺろりと舌で唇を舐めた。
なかなかどうして、頭を働かせるのを嫌いになれない。命懸けのゲームだ。賭ケグルイになったつもりはないけれど。
さて、どう出る?
「では問い直そう。俺の群れは今後どう動くべきだと思う?」
……僕にそれを相談するのか。いや、試しているだけか?土埃が立ち昇る広間で僕の思考も錆びていた。
血が足りないのだ。
ここは安全策を取ろう。安心安全毒にも薬にもならない手を打つ。
「先程も申し上げた通り、まずは守りを固めることが肝要かと」
「かもしれないが、貴様はサルバトの脅威を認識していない。奴は必要だと思えばさらに大軍を差し向けてくるぞ」
「そうおっしゃるならばお尋ねしましょう。サルバトの軍はどの程度なのですか?」
「数は俺があの群れを離れた時点で我々の四倍と言ったところか。今は少なく見積もって六倍は固いな」
「今回削った分を含めてですか?」
「俺の体感ではかなり削った気がするが、こちらの被害も大きいだろう。正確な報告はまだ受けていないが我々に倍する数がいるはずだ」
夜目が効くゴブリンの目を持ってしても目の前が暗くなったような胃に響く衝撃だ。
絶望的な人数さだ。どこぞの宇宙攻撃軍の司令官に指摘されるまでもなく、戦いは数なのだ。
古代から中世においてそれは特に顕著なのだ。
「兵員の質はどうでしょうか?」
「一人一人の力は我らの方が高いが……奴らニンゲンの鍛治師を捕虜にしていてな。そ奴らに武器を作らせている」
これも作ってもらったのだ。と族長の斧を見せられた。確かに均一な光沢を放つそれは鍛治など齧ったこともない僕からしても見事な出来栄えだ。
……寒いって?ごめん。
あと族長。僕の前で武器を出すのはやめてほしい。怖い。
「独立の際にその者たちを連れてくることはできなかったのですか?」
そうすれば日々の生活が随分と楽になったはずだ。そう考えた僕は無駄と知りつつもつい恨み言を溢してしまった。
「無理だな。サルバトの奴は職人たちをどんな宝より大事に守っていやがった。奴との仲が険悪になっていたあの時は近づくことも出来なかった」
「つまり完全に技術は持っていないと」
「いやそうでもない。何匹かのゴブリンがその真似事は出来た」
僕の心が一瞬で燃え上がるが、理性が炎に砂をかけた。
「待ってください。ならなぜ最初から防備を固めなかったのですか?」
「生産設備を整えるのに精一杯でな。そこまで手が回らなかった」
キョトンとした僕の顔に気付いたのか、族長が苦笑して言葉を付け足した。
「我が群れがここに
「そうだったのですか」
それならばアンバランスな技術の進み具合にも納得が行く。
今まで洞窟に住んでいたのなら確かに家の作り方などわからないだろう。
「ああ、そうだ。いずれお前にも兜でも贈ってやろう」
「ありがたき幸せ」
「うむ」と満足気に頷く族長の好感度がググッと上昇する。僕は現金な男だ。そんなプレゼントをくれるならやる気を出す気にもなる。
「……話しが大分逸れたな。要はサルバトの群れは我々より強大だということだ」
「どちらにせよ、サルバトの考え次第ではありませんか」
脅すような族長の言葉にも簡単に言を翻してはならない。蛮勇を尊ぶ人間には柔軟さとは時に軟弱さに写る。
「攻撃を選べば我々が先制できる」
「では、仮に先制攻撃を加えて勝ったとして、その後はどうするのです?恐れながら消耗した我々では人間の軍相手に勝利を得ることは困難極まります」
「うむ……」
族長が悩ましげに呻いた。僕だって呻きたい気分なのだ。一人で悩まれても困る。
希望的観測で持って三勢力が対等だとしても、消耗してしまえばその均衡は崩れる。
我々が消耗して一対一を強いられる最悪の状況だけは避けなければ。
「一番いいのはどちらか一方と同盟を結ぶことなのですが」
「……奴らに媚びを売れと?」
低い声で問いかけてくる族長に僕は落ち着いて返した。
実際これが一番妥当な線だとは思うけど。
一方に出来るだけ媚びでもう一方を倒させる。そして疲れたところを叩く。
ま、そう上手く行くことの方が少ないのが現実だったりする。
「まさか。現下の大問題の解決方法は鉄と血の二つです」
それは弁えている、と答える僕に族長は首肯した。
「いずれにしろそれは無理だろうな。人間はゴブリンを良く思っていないし、サルバトは一度敵対した者を許さない」
ですよね。そんな所だと思っていましたが。まともな武器が足りない。訓練された兵士が足りない。情報も満足にない。
ただ、ここで一つ確実になった情報は、族長は感情ではなく損得で動く。ということだ。
他のゴブリンであれば僕が意に沿わない意見を出せば一考もせずに僕を殴り飛ばしていた。交渉が通じる相手は大好きだ。
「どちらにせよ、防御の拡充は必要というわけだ」
族長は機械的な感情を排した声音で淡々と重ねた。
自制的で理性的で利己的な経済人という怪物に似たもの。
実に好ましい。僕は感情的な子供をあやす趣味はない。
「付きましては、その作業。私に任せていただけませんか」
族長の値踏みするような温度のない視線が強くなる。意図を図り、裏を読むための視線だ。
「私に任せていただければ後悔させません」
「どれほどの人数がいる?」
「僕が自分で揃えられるだけで結構」
族長の無表情の奥でニヤリと怪物が笑った気がした。冷静な表情を崩していない僕の奥底まで見透かすような視線。
「素晴らしい。必要な資材は回しておく。期待しておこう」
手を振って退出する様に示した族長の瞳の最奥に少し、触れてしまった気がした。
—————
族長の館から辞した僕に森神官が近づいてきた。
「お疲れ様でした部隊長殿。ウルズ様に戦果の報告は済ませてあります。この後かの方の住居に来るようにとのことでした」
「ご苦労」
優秀な人材がなさ崩し的に秘書役を務めてくれていることに感謝しながら。脳内辞書でウルズという名前を検索していた。
……ヒットなし。よし、諦めよう。
「案内を頼む」
「はっ」
「知らないのかよ」
空気を読まないゴブリンリーダーに氷のような冷たい視線を浴びせると居心地悪そうに視線を逸らした。
「ああ、そうだ。お前たち、私は族長から任務を預かったのだが、ついては人員の選抜は私に任されている」
ゴブリンリーダーと森神官は目を見合わせた。その行為の意図を読む前に僕は話しを続ける。
「集落の防御力の向上という任務だ。その間の食糧は族長が保証するし、成功した暁には評価も上がるだろう」
どうする?と問いかけた僕の前で、ゴブリンリーダーと森神官が目を見合わせた。
夜目が効くゴブリンだ。こんな月夜には昼間と変わらない視界が確保できる。明るい世界の中で、二人は頷いた。
「構いませんよ」
「悪くないな乗った」
ほぼ同時に放たれた肯定の言葉に僕はゆっくりと頷いた。
「そうか、ありがとう。これからもよろしく頼む」
* * *
ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でした。これにて二章が終了となります。
最近では応援してくださる方も増えてきて、ほぼ全てのエピソードに応援の❤️を付けてくださる方すらいます。本当にありがとうございます。
そこで曲げてお願い申し上げます。どうか
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