第292話 子爵の訪問ですが何か?

 ある日の昼頃。


 ひとりの痩せた長身に額が少し後退した銀髪の男性が、マイスタの街長邸を訪れていた。


 身なりからして、貴族の様だ。


 だが、その服は皺だらけであまり、身なりに気を使っているとは言い難い。


 青い目に片眼鏡モノクルをしているのが特徴的で、同じく銀色の髭を無造作に伸ばしている。


「先触れも無しに訪れた非礼はお詫びする。私は、マッドサイン子爵という者。ミナトミュラー準男爵にお会いしたいのだが、居られるかな?」


 マッドサイン子爵は、街長邸の玄関先で対応した使用人にそう告げた。


「マッドサイン子爵ですね?少々お待ち下さい」


 使用人は知らない名に、執事のマーセナルを呼びに行った。


 執事のマーセナルは報告を受けると、記憶を辿ってみた。


「……聞いた事がある様な、無い様な……。もしかすると宮廷貴族かもしれない。──応接室に通して、待って貰って下さい。その間に身元を確認してみましょう」


 執事のマーセナルは、使用人にそう答えると、他の使用人にマッドサイン子爵について調べる様に告げるのであった。


 十五分後──


 使用人から、執事のマーセナルに報告が上がって来た。


 それは、軍の関係者らしくその身元については、秘匿されている様だとの事であった。


「……軍関係者……か。──そう言えば、イバル殿が、商会の仕事の報告に若様と面会していたな、軍関連ならば何か知っているかもしれない、聞いてみるか」


 執事のマーセナルは、そう判断すると、執務室に向かった。


 執務室の扉をノックした。


「マーセナルです。よろしいでしょうか?」


「いいよ、入って」


 リューの声が聞こえてきた。


 執事のマーセナルは、「失礼します」と、返答すると執務室に入った。


 そこには、主であるリューが大きな机を挟んで椅子に座り、その傍の椅子にリーンが腰かけているのがわかる。


 出入り口の傍にはスードが、静かに立っている。


 そして、リューの向かい側の椅子にイバル・コートナインが座ってリューと談笑していた。


「若様、少しイバル殿にお聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」


 執事のマーセナルが、仕事の邪魔にならない様に気を使いながら、確認した。


「──イバル君に?」


 リューは、意外な言葉に「?」となってイバルに視線を送った。


「俺なら、別にいいですよ?マーセナルさん、どんな事でしょうか?」


「はい、実は、今、若様に面会を求めてマッドサイン子爵を名乗る者が訪れています。ですが、軍関係者ということ以外素性が掴めないので、イバル殿が何か知らないかと、確認に上がりました」


「マッドサイン子爵!?──知らないも何も、マッドサイン子爵は、俺の元父、エラインダー公爵のお気に入りで軍研究所の所長ですよ!」


 イバルが驚いて指摘した。


「ああ!そうでした!どこかで聞いた事があると思っていましたが、その方と同一人物でしたか!……これは失念していました……。若様、そのマッドサイン子爵が面会を求めていますがどういたしましょうか?」


「……もしかして、以前に渡した魔法花火の件かな?派手に研究所でさく裂したみたいだから、そのクレームか、また、技術を寄越せと言ってきたのか……。あんまり会いたくないけど、子爵だからなぁ……」


 リューは少し考え込んだ。


 するとイバルが、首を傾げている。


 リューはイバルの反応に気づくと、聞いた。


「イバル君、何か気になる事があるの?」


「うん?──ああ、マッドサイン子爵は、研究畑の人間でその才能から子爵の地位を得たんだけど、研究以外の事には興味を持っていない人物で、自分から相手にクレームを言う為や、交渉する為に赴く様なタイプじゃないんだよね。だから、面会を求めていること自体が不思議なんだ」


 イバルは、多少マッドサイン子爵の事を知っている様だ。


「俺が、リューの前に会って目的を聞いてみるよ」


「それじゃあ、お願い。──マーセナルもよろしく」


 リューは、二人に頼むと仕事に戻るのであった。



 イバルが、マッドサイン子爵を待たせている応接室に入ると、


「イバル坊ちゃん!?……まさか、こんなところまで……。私は、戻る気はありませんよ?」


 マッドサイン子爵は、イバルの姿を見るなり、何か勘違いしたのかそう口にした。


「?」


 イバルも何の話だかわからず、マッドサイン子爵の反応に戸惑った。


「御父君であるエラインダー公爵には、ちゃんと辞めると言って出てきています。いまさら坊ちゃんが説得に来ても応じる気はありません」


 マッドサイン子爵は、イバルに対して完全に誤解している様だ。


「……辞めた?──マッドサイン子爵、貴殿は何か勘違いしている様だ。俺は、すでにエラインダー公爵からは勘当され、男爵家に養子に出されているから全く関係ないぞ?今はこうして、ミナトミュラー家の下で働かさせて貰っている」


「坊ちゃんが、勘当?」


「呆れたな。本当に何も知らないんだな。エラインダー公爵から縁を切られてもう結構経つのに、知らなかったのか?本当に研究以外に興味がないのだな、マッドサイン子爵は」


 イバルは、そう答えると笑って見せた。


「……それでは、引き止める為ではない、……のですね?」


 警戒しながらマッドサイン子爵は答える。


「よくわからないが、多分そうだ。ところで、子爵はさっき辞めたと言ったが、もしかして……?」


「はい、軍研究所所長を辞めてきました」


 マッドサイン子爵の言葉にイバルは、「……これは……」と、絶句した。


 軍研究所はマッドサイン子爵にとってとても良い環境であったはずだから、その地位を降りるとは子爵を知るイバルとしては想像もできなかったのだ。


「イバル坊ちゃん、出来れば、ここの主であるミナトミュラー準男爵にお執り成しして頂けないでしょうか?」


 マッドサイン子爵のまさかの懇願にイバルは驚き、思わず執事のマーセナルに助けを求める様に視線を送るのであった。

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