第4話 血のクリスマス事件

 ジャックは助手席側のサイドミラーを掴みながら、走行中のバンに飛びついている。

 運転していたさっきの男が悲鳴をあげる。拳でドアのガラスを叩き割ろうと1発殴りつけ、ヒビを入れた。そうしている間にもバンは1階に到達、地上の屋外駐車場を半狂乱した男の運転で走り回る。

 ジャックが2発目のパンチでドアのガラスを叩き割る。その直後だった。急ブレーキをかけられる。──反動で掴んでいたサイドミラーが折れ、そのまま前へ吹っ飛ばされた。

 そのまま地面を転がり、デパート従業員用の倉庫の壁にジャックは叩きつけられた。

 受け身を取っていたものの、衝撃による痛みはもろに身体へ響く。


「ああ、クソ!」


 バンは、そのまま出口へ向かっていく。

 ジャックはすぐに立ち上がり、駆け出したが、すでに駐車場を出たバンは遥か彼方へと去っていった。

 ──逃げられた。

 すぐに連絡するため、尻ポケットからスマホを取り出す。……が、画面が表示されない。──ヒビが入ったそのスマホは、先ほど吹っ飛ばされた衝撃で壊れていた。


「本当にクソッタレだな」




【翌日】


「はぁ? アタシがいない間にストーカーと会った!?」


「まぁ、そんなとこだ」


 12月23日。

 部室でジャックに再会した汐音は、ストーカーと接触したことを問い詰めていた。

 ジャックも、ふっ飛ばされたときの傷を負っており、額に絆創膏を貼っていた。


「それで?」


 続け様に汐音が訊くと、ジャックは、


「液晶4インチのスマホがイカれた。まさか昨今のクソデカスマホを買わなきゃならんとは」


 苛立った顔つきで、その壊れたであろう──小ぶりのスマホをテーブルに置いた。

 時夫が渋い顔で言った。


「この愚痴を昨日から聞かされてるんだ」


「そのサイズ、もう売ってないわけ?」


「無いからキレてるね」


 時夫が代弁した。


「まぁ、その様子なら身体の方は大丈夫そうね。警察には?」


「言うかよ。また去年みたいに疑われちゃ、状況が悪化する」


「クリスマスの殺人容疑……。そういやもう1年ね」


「……そうだな」


 ジャックは当時を思い出しつつ、苦々しい顔で答えた。


「……ところで千咲ちゃん、昨日の収穫はどう? ──って言うか何してるのよ?」


「別に」


 千咲は相変わらずノートPCを開いており、今日はゲームをしているようだった。

 ガタガタと貧乏ゆすりをしながら キーボードを叩いている。

 汐音が近づいてPCの画面を確認する。


「またFPS? チャンピオンとれそう?」


「TPSだよ。チームデスマッチ」


 ノートPCやスマホでできる手軽さが売りの、対人シューティングゲームの画面だった。

 どうも負けが込んでいるのか、そのストレスで貧乏ゆすりとなって表に出ていた。


「もう、また貧乏ゆすりなんてしてみっともないわね、ましてや女の子なのに」


 そう言いながらまた、座っている千咲の後ろからハグをする。


負ける、離して、と抵抗を見せる千咲を尻目に、


「でも汐音もよく貧乏ゆすりしてなかったっけ?」


 軽く時夫が訊ねたが、


「何よ。あんなのもう直したわ。このカリスマ感溢れる私が貧乏ゆすりなんてみっともないでしょ──……ちょっと? 何その反応、苦笑いやめなさいよ」


 ジャックと時夫は苦笑いから呆れた顔に変わった。




 3限の講義を入れてなかった文一と知枝は、大学の休憩スペースで時間を潰していた。

 会話の中、──知枝の言葉に文一は驚いた。


「えぇ? 24日イヴにバイト入れた?」


「他のアルバイトも、朝や昼からみんなデートで……ごめんね。夜には絶対間に合うから」


「せめて俺に相談してからしてくれよ……」


 文一はマジか、と眉間にしわを寄せ、腕を組みながら少しのけぞった。

 知枝は軽く俯き、親指に施したネイルでゆっくりと、自分の唇を撫でた。


「ごめん……駄目……かな」


 上目づかいで話す、その仕草を見て文一は、


「……分かったよ」


 やむなしに同意した。


「ありがとう! 文一!」



 そういった会話もテーブル下の盗聴器により、10メートルは離れた先のジャックにも声は届いていた。

 一階の休憩スペースは、ガラスの壁ゆえに外から中は筒抜けだった。彼のあんぱんを食べながら観察する不審者スタイルも、以前に小林と会話した2階のテラスで行っていたためか、咎められる様子はなかった。


「堂垣さん?」


 彼に声をかけたのは、数日前、ここで依頼をしてきた小林だった。


「進捗どうですか?」


「何とも言えん、とりあえず例のストーカーに会ってきた」


「……っ! 会ったんですか?」


 その話に小林は食い入るようにジャックに訊いた。


「あいにく逃げられた。また現れるかもな。──お前、あいつについて何か知らねぇか?」


「すみません、僕は何も……。──実はあのSNSアカウント、消えたんですよ。きっと堂垣さんと会ったからなんですよね」


「さぁな……何も分からねぇ」


「それで、その人の顔は憶えてるんですか?」


「ああ。うろ覚えだが、次に会ったら思い出す。……そんときに地獄を見せてやる」


 ジャックの目はスマホの仇討ちに燃えていたが、彼はすぐに話を変えた。


「あぁそれと……宇田文一は9日から海外へ留学する」


「本当ですか!」


 その一報に小林が途端にぱぁ、と輝く。だがジャックは冷ややかな口調で言った。


「遠距離恋愛で自然消滅するとは限らねぇぞ」


「それは……そうですね」


「なぁ、もしあの二人が遠距離のまま別れなかったらどうする?」


「もしデートDVが本当なら、あの男が帰ってきた後なんて想像したくない。でも、あなたは言わば伝説だ。あなたなら──」


 だが変わらず、ジャックは冷めた顔で言い返した。


「んなもん、好きで伝わったことじゃねぇ。人から人に渡って、そして脚色され続けた噂話ゴシップだよ。お前らが好きなあの話もな」


「あの話……血のクリスマス事件のことですよね?」


 小林も自身が知っていた事件の話がどこまで本当か、流石に疑問もあった。


「訊いてもいいですか? ──あの事件で、本当は何があったんです?」


 その問いに対してジャックは遠い目をし、それから軽く唇を噛んでから答えた。


「──『血のクリスマス事件』。去年の12月25日の深夜2時頃、ここ昼晴の隣、埼玉県灰須ばいす市。2組のカップルが狙われ、4人が死亡。これくらいは知ってるな?」


「ええ、主犯は佐藤って男と、彼を慕っていた女3人が共犯でしたね」


「そうだ。だが犯人が特定されるまで、マスメディアはこれを“カップルを狙った虐殺事件”として大きく騒ぎ立てた。90年代初頭に起きた『恋愛ラバーズ運動』以降、恋愛至上主義に傾倒していた世論は当然の如く、あの報道に同調。更に加熱していった。そんな中だ。事件に巻き込まれ、目撃者でもあった男──その男の友人が“カップルを狙っている奴”だと埼玉県警は特定、捜査線上にその人物の名前が挙がった」


「『堂垣若』……」


「無論その確証もなく、あくまでも疑惑の段階だった。だが何を思ったのか──、それを含めた事件の情報を、灰須市警察署の副署長である近藤正歳こんどうまさとしが週刊誌の記者に漏らした」


「そんなことが……それで、その人は?」


「お咎めなし……だったはずだ。その証拠が世に出なかったからな……だが近藤は今年3月に自主退職していた。そして今に至るまで奴についての公表もなく、結局のところ『誰がかが記者に漏らした』という事実しか表に出なかった」


 理不尽な話を前に、小林は再度爪を噛み始める。

 ジャックは話を続けた。


「記者によるゴシップには“容疑者”として俺の存在が明るみに出た。そこからの本名の特定は間もなかった。──あの時、俺は世間が向けてきた銃から逃れていた。……事件の目撃者で犯人の女に背中から刺された挙句、階段から落とされた友人は入院中『きっと上手くいく』と俺を信じてくれたが、疑惑は濃くなる一方で何もかもがギリギリだった。犯人逮捕が1日遅かったらどうなっていたか……とりあえず、それで事件は終結した。──俺への疑惑は残ったままな」


 ジャックは皮肉交じりに言った。


「あっ……僕、すみません。ずっと誤解を……」


 小林が謝罪する。

 ちょうど講義の時間が近づいてきたのか、文一と知枝も席を後にしようとしていた。


「まぁ、そんなトコだ。少し長くなったな」


「あ、いえ。依頼の方、よろしくお願いします」


 ジャックは椅子から立ち上がり、小林の前から去っていった。


 

【12月24日:クリスマス・イヴ】


 この日も晴天であり、世のカップルは『今年はデートできた』という名誉を胸に各地で踊り狂っていた。


 地上を照らした陽も沈みかける夕方、昼晴市の静かなオフィス街に、ジャックは自前のバイクに乗ってやってきた。

 コインパーキングにバイクを駐車をすると、彼は雑居ビルの地下にあるバーに入って行った。

 バーの店内は静まり返っており、中年の男がカウンターに座っていた。他に客の姿はない。

 ──まだ開店前のバーを特別に使わせてもらっているのだ。

 ジャックは黙って、男の隣の椅子に座った。


「……ヨォ」


 先に口を開いたのはその男だった。


「何の用だ。誇り高き警察の仕事はどうした」


「ちょっとした休憩だよ。──率直に訊くが、『坂東丈ばんどうじょう』って奴を知っているか」


「知らねぇ」


「これがそいつの顔だ」


 男はそう言うと、バーボンが入ったグラスの横に置いていた写真をジャックに見せた。

 その写真の男を見てジャックは、


「知らん顔だ」


 短く嘘をついた。──写真の男は紛れもなく、あの時のストーカーだった。


「……まぁいい。昨日の深夜、昼晴市の路上でこいつが車を横転させる事故を起こした。そんな事があって意識不明の重体。だが、ここからが妙でな」


 そう、しゃがれた声でその男はつらつらと話し始める。


「第一発見者の会社員曰く、意識を失う直前に彼は、か細い声で何か言っていたそうだ。唯一聞き取れた言葉は──『ジャック』だと」


「ジャック……」

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