第92話

 ――――世界は理不尽が連続している。


 産まれた瞬間から身体機能が欠損している赤子。金銭に囚われ自身を他者に委ねる事でしか生きていけない人。頑張ろうとすればするほど凶事が重なり次第に折れていく人。努力の意味を教えられずに育てられ、他者に擦り付け不幸を撒く人。


 世の中に振り撒く不幸の連続がどうか止まって欲しいと思っていたし、今でもそう思っている。他人の幸福が自分の幸せなどと、言葉にすれば胡散臭いが本気で思っているし、分け隔てなく与えねばと願っていた。


 私は実に幸福だったと言えるだろう。魔法の名家に長男として生まれ、美しい許嫁と仲を育んでいた。両親、友人、全ての環境が私を祝福し、肯定してくれた。なまじ不幸という言葉に縁の無い私は考えたのだ、この幸福を誰かに分けなければと。


 婚約を控えた時期に最後の一人身を満喫すると旅に出た。世界を良くする為に、誰の目にも留まらない不幸を摘み取り笑顔の花を咲かせようと、この身を捧げに外界を駆けたのだ。


 人が単位としてしか認識されない戦場を駆ければ英雄を見た。一騎当千を行く彼の背に倣い、人間としての限界を超えてみせた。今まで修めた魔法の髄が誰かの為になったのだと、心に熱が灯ったのを今でも強く覚えている。


 英雄は不愛想に戦場を踏み躙り、いち早く不幸を断ち切ってみせた。そんな彼と手を取り合い、より多くの誰かを救う為に世界を渡った。


 病巣蔓延る村には医者が奮闘し、死に行く者達の手を取りながら決して諦めずに闘っていた。我々も手を貸し、英雄は薬に必要な素材を、私は集めた魔法の知識を以て病巣に立ち向かい打ち勝ってみせた。


 医者も我々と共に行くと決意を固め、幾度の理不尽と立ち向かったのだ。あの憧憬を思い出す度に、私の心には誇りとなって表れる。


「昔、妻と息子を山賊に殺された。だから俺は戦場を駆け、少しでも誰かを救いたいと思ったのだ。誰かを摘み取る悪の尽くを殺す為に」


 英雄は語った。理不尽に奪われた身内の無念と共に行くと。その先で蔓延る悪をこそ殺すのだと、人を救うと。


「僕は……両親が病に倒れてね。今の僕なら助けられたのにと……今でも夢に見るよ。学んだ知識で、医療の道で誰かを助けたいと思ったんだ」


 医者は語った。自分の様な境遇で涙を流す誰かを少しでも少なくする為にと。今まで積み重ねた知識で人を救うと。


 聖騎士は、冒険者は、牧師は、村人は、商人は、旅人は、猟師は、義賊は、娼婦は、道化師は、己の不幸の対価を語り、それでも人を救うのだと言った。


 それに比べて私は何だ? 何故、私は彼等と共に旅をしている? 世界を歩き、旅団にまで上り詰めたというのに、私はどうしてここに居る?


 素晴らしいと言わざるを得ない、彼等の人生は。どれだけの不幸にも、理不尽にも敗けず、己の道を行くと決めた。その先に他者の幸福を願いながら前を向く、そんな彼等に憧れた。


「私は――――何だと言うのだ」


 ただ幸福を分け与えたいと、大した理由を募らせていない自分が矮小な存在に思えてくる。皆が悲しき過去を持ち、立ち向かったのに対して、自分に何があるのかと問うた。


 彼等への憧れは尽きない――――彼等の様になりたいと心の底から願えたのだ。


「そうか……そうだったのか……必要なのだな――――過去ふこうが」


 悲しい過去が――――素晴らしき人格の獲得条件なのだ。


 愛した人を、掲げた理想を、踏み躙られてこそ人は更に輝きを増すのだと。今まで旅をしてきた者達の前に立ちはだかり、最強の敵となろう。自分に思い悩み友を手に掛けるなど、何と悲しき過去なのか。


 どうしてと見上げる友の声に心を抉られる。泣きながら逃げ惑う母子に脳を焼かれる。何よりも嫌っていた理不尽を振り撒く化身として立った私は何と不幸な存在か。


「何故だ――――ユリウス……何故……」


「私は――――誰一人として見捨てない。消えてしまった過去さえ誇りに変えて、輝く明日を目指すのだッ!!」


 黒い頭髪はいつしか白く、死神の様に染まっていた。最期に手を掛けるのは、始まりとなった英雄。彼を殺した先で私は本当に素晴らしき人格を手に入れたのだ。


 ――――誰もが夢を、明日を目指せる様に、まずは悲しき過去を背負わせよう。研鑽された人格に宿る本物の魂のみが人を人たらしめんとするのだから。


 故に神格よ、君達は邪魔だ。人への試練は私が課そう。君達という助けを失くした人類を私が預かり、昇華させてみせよう。


「だから私は願っているよ――――人類の躍進を」


「御託はいい、家族を返してもらおうか」


 だからザイン、君にも背負って欲しいのだ。私では遠く及ばない地平線に、君ならば届くと知っているのだから。


 どうか心に雪を積もらせ、混沌の化身と成り果ててくれ。理不尽に不幸を撒き散らす君さえ出来上がれば、最早残す未練も無い。

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