第73話

 それからは驚く程のトントン拍子。水柱から出てきた俺を漁師達が歓迎し、事情を話せば礼をさせてくれと懇願された。


 何故かヘレルが息巻いて礼をさせてやると凄んだが、俺としては特に言う事も無い。一番高い宿に高級料理を出されると言われてしまえば、襲撃でさえ幸運だったと言えるだろう。


 グレモリーに関しては騎士団に引き渡し、身柄を拘束してもらう。意識は数時間奪い、権能自体を一週間程度封じ込めた。


 今にして思えば悪魔が犯罪者の場合はどうなるんだと疑問が生じてしまったが、結果的に後でダンタリオンに丸投げしようという結論に落ち着いた。ここが未だエンデル領で助かったと一息吐いてしまったのは内緒という事で……。


 そして――――現在。


「ぐがあぁぁぁ……ごがあぁぁぁ……」


「……うるせえ」


 エルジートライの住民に問いたい。何故、若い男女に一室しか貸してくれないのか。流石に街の問題を解決したとはいえ、高級旅館を二部屋というのは気が引けてしまったのか。なんにせよ、少しだけでいいから貴方達の善意を怨ませて欲しい。


「ムニャムニャ……もう食べられないよぉ……」


「俺の分まで食べておいて……まったく……」


 やれやれと肩をすくめ部屋を抜け出す。こうなれば徹夜を覚悟するしかない。何処か人気の少ない所で魔法の研究でもしておこう。


「月が綺麗だな……」


 中々の眺めを誇る旅館の屋根へ腰掛ける。空と湖面に映る三日月が合わさり、空洞の月が出来上がっているのも幻想的で素晴らしい。今はヘレルの事を忘れて、景色と共に研究を楽しむとしよう。


「むぅ……ザイン……なにしてんのぉ……」


 それから何時間も経った頃、眠気眼を擦りながらヘレルが屋根へと上がってくる。


「なんだ、起きたのか?」


「ふぁ……トイレに起きたらザインが居なかったから……」


 浴衣が着崩れ、ヘレルの胸が零れ落ちそうになっているが、彼女はまるで気にしていないとでも言うようにのっそのっそと歩み寄ってくる。


「ほら、着崩れてる」


「むぅ……」


 ダンタリオンに比べれば僅かに慎ましい胸だが、ヘレルの体型は非常に女性らしい。だが、全く欲情しないところを見るに、やはり彼女の性格がそうさせるのだろう。


「はは、眠そうだぞ? 眠いなら寝てて良いんだからな? それとも、一人じゃ寂しくて寝れないか?」


「……うん」


 茶化す為に放った言葉は意外にもストレートな甘え声で返される。少しだけ息を呑み、庇護欲が湧き出てしまったのは気のせいだと思いたい。


「一緒に戻るか? それとも、ちょっと風に当たるか?」


「んん……! ちょっとだけ当たろうかしらねぇ……」


 ようやくいつもの調子に戻りかけたヘレルを見て少しだけ安心する。あんな子供らしく、守ってあげたくなる様な属性はヘレルに似合わないだろう。


「星が綺麗だな……月も……」


「あそこ……あれがデネブ、アルタイル、ベガ……」


「どうした急に……何かの歌か?」


「人が折角神様らしい事してるんだから……ほら、見てみなさい」


 ヘレルに従い視線を上に向ければ、時期不相応だと言うのに夏の大三角が描かれていた。いつも肉眼で見るよりも鮮明に、くっきりと映し出されたソレは星空の中でさえより一層美しく映えていた。


「これが……ヘレルの権能……?」


「どんな空にも星はある。ウチはそれを見れるだけ……見せてあげられる……だけだから……」


 気が付けばヘレルの黒髪にはいくつもの星々が明滅し、星の神の名の通りに姿を現している。人々を魅了するそんな髪に、そんなヘレルに、俺は次第に惹かれていく。


「星とは……変わらないものでしょう? 内側から爆ぜるその日まで……決して欠けない、傷付かない。だからウチも……無滅の神として在り続けられたんだと思う」


 眠気に誘われた故か、心を開いてくれたのかは分からないが、ヘレルからの厚い信頼感を感じるのに変わりない。神らしい態度と、憎み切れない人間性が彼女をヘレルとして、親しみやすい人物像として作り上げているのだろう。


 神は神なのだと認識をさせられたとしても――――やはり。


「ふっ……らしくないな」


「むぅ……うるさいわね……」


 乱暴に頭を撫でると不貞腐れた様に頬を膨らませる。先程言葉に出した通り、らしくないと小さく笑う。


「そろそろ寝よう。明日も早いしな」


「ん……そうね」


 あまり長居していても仕方が無いと部屋へと戻る。またヘレルの所為で眠れないのかと思いながらも、彼女が寝付くまでは横になっていようと覚悟を決める。

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