第52話

 レオナから言われた通りの場所へやってくる。


 アストナークの中央にある噴水広場近くのレストラン。いつにも増して服装を正し、今か今かと待ち続ける。


 胃がキリキリと痛むが、これが最後の仕事だともう一度気合を入れ直す。


「……こんにちは……ザインさん」


「キャロル……」


 一週間ぶりに見るキャロルの姿は至って平常で、元通りにやれている様だと察する事が出来た。俺はどんな顔をしているだろう、今している笑顔は引き攣っていないだろうか。


「今日は――――」


「本当に――――申し訳御座いませんでしたっ!」


 こちらが立ち上がったと同時にキャロルが勢いよく頭を下げる。店内に響き渡る謝罪の声に従業員と客がこちらを覗き込む。


「キャ、キャロル、声が大きいって! 落ち着いて……!」


「いえ、本当に……本当に申し訳御座いませんでしたっ! あんな別れ方をするなんて……どうかしていましたわ!」


 今にも泣き出しそうな女性の声、別れ方という不穏なワード。周囲の関心を担うには十分な理由だった。


「だ、大丈夫……! 大丈夫だから……! 取り敢えず落ち着こう……なっ!?」


「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 何とか席に着いてくれたものの、顔を伏せたまま機械の様に謝り続けている。涙は流れていないが、声には湿気が混じり始めた。いつ泣いたとしてもおかしくないだろう。


 周囲の目を気にしながら何度もキャロルを宥め続ける。次第に彼女は落ち着きを取り戻し、一先ず料理を注文し事無きを得た。


「うぅ……うぅ……」


「どうしたんだよキャロル。そこまで取り乱すなんて……」


「うぅ……お恥ずかしいです……」


 料理を持ってきた店員に怪訝そうな視線を向けられながら、気まずい雰囲気が流れるまま食事会が始まる。以前にも口にした事がある料理を食べながら大した会話も弾まぬまま、視線すら合わせずに時が進む。


「相変わらず……美味しいね……」


「はい……とても……」


「今日は来てくれてありがとう」


「いえ……私もお話をしたかったですから……」


 気が付けば食事を終え、テーブルに座り続ける為に適当なスイーツを頼む。それでも中々切り出せず、どうしても手を拱いてしまう。


 いいや、駄目だろう。せっかくキャロルを呼び出して貰った癖に、彼女の時間をこんな事に使わせてしまっては申し訳が立たない。


「今日はキャロルに聞いて欲しかったんだ……俺の事。これからも宜しくとか、そういう訳じゃ無いんだ」


 席に着いてから三十分、何度か大きく深呼吸をしようやく本題を切り出した。


「けど……せっかく出来た絆なら……せめて綺麗に終わりにしたい。だから今日はレオナに頼んで、ここまで来て貰ったんだ」


「…………はい」


 キャロルは何かを語ろうと口をもごつかせるが、今は俺に主導権を渡してくれるらしい。今日初めて視線を交差させ、今まで何度も話してきた自分自身という存在について打ち明ける。


 救えるだけの命を救おうとしたならば、全て救えてしまうのだと。蔓延る邪悪の尽くを瞬き一つで捻じ伏せられるのだと。その先に、俺という人間性が残っているのかと。人間を超越していながら、せめて人ではいたいのだと。


「…………」


 いつしかキャロルは目を伏せ、手を組み指を弄ぶ。聞くに堪えない情けない話だろう。何をグチグチ悩んでいるのだと鼻で笑われても仕方が無い程情けない。


「私も……ザインさんと同じですわ。そもそもの出会いが私の我儘だというのに……さよならも私からだなんてと。一方的に突き放してしまって……ザインさんを傷付けておきながら……二度と会わないなんてと……酷く後悔していました……」


「うん……」


「強くない私にとってザインさんの悩みを理解する事は出来ません。全力を振り絞ったとしても、救える人数など数人程度なのでしょうから……」


 キャロルから紡がれるべき決別の言葉を死刑囚の如く待ち侘びる。これは俺が受け止めるべき罰なのだ。世の中を舐め腐っているとしか言い様がない俺には丁度いいのかもしれない。


 ――――そういうケジメが無いと、楽になれないだけだろう。


「それでも貴方は間違っていませんよ。想像をしてみれば、私がザインさんだったなら、きっと怖いと感じてしまうと思います。想像しただけで怖いのに、これが日常的に立ちはだかる課題ともなれば、心中お察し致しますわ」


 不確かな人間の感情とルールが混じった俺の言葉に対し、彼女は紛れも無く真摯に、正面から受け止めてくれた。


「いつしか心の内に溜まった泥が、溶けて流れ出すそんな日を、こんな私にも祈らせて下さい」


 人を受け入れて向き合うのに必要な労力は尋常ではない。あんな程度の、別れ際に放った数言に負い目を感じ、悩み抜きながら俺と対話をしてくれたキャロルに精一杯の感謝を込める。


「貴方に頼っても恥ずかしくないぐらい強くなって……いつしか共に道を歩いて行きたいと思っています。今の私では……弱すぎて、すぐに頼ってしまうでしょうから」


 少しだけ恥ずかしそうにはにかむキャロルに心臓の奥が少しだけ跳ね上がった。恋、愛情、この衝撃に名前を付けるのならば、そのあたりが適当だろう。


 今更だなとこちらも小さく笑い、彼女の魅力を垣間見たこの瞬間に後悔の念が顔を出す。


 ――――だからこそ、これは。


「――――必ず追いつきます、ザインさんの御側まで。決して待たないで下さい、振り返ってもダメです。隣に並んだその日には、この想いをお伝えしますから」


 ――――とても優しい決別だ。

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