第44話

 戦闘から数時間。エンデル王国は驚くほどの静かさに包まれていた。


 今回の襲撃の主犯である須王達也は既に捕らえられ、抵抗すら見せずに、自らの足で牢屋へと入っていった。


 抜け殻とは形容し難く、別人になったとも少し違う。気合いという自己唯一性が抜け落ち、善と悪の境界線を入れ替えられた彼は既に須王とは呼べない別の誰かだった。


 須王を止めた人物については何一つ公表されていないが、民は自然とトートへ目を向けた。いつだって国の事を考えている献身的な人柄に、また守られたのだと。


 トートは自身の書斎で憂う。怪我人も、倒壊した建物も、全てが何も無かったかのように元通りになっている。襲撃すら無かったのではないかと疑いたくなる程、王国内は静寂に包まれていた。


「…………」


 一通りの指示を終え、トートは椅子に深く腰を下ろす。頭に浮かぶのは規格外の魔法使い、ザインのこと。


 『海神の涙落』、『地神の祝福』。彼が用いた二つの魔法は神話の時代に過ぎ去った筈の魔法である。古くから生き永らえた神格や魔法使いでも無ければ知り得ない。知っていたとしても、とてつもない魔力を使用してしまう。トートでさえ、数日間魔力を貯め込まなければ使用出来ない程だ。


 その二種類を涼しい顔で使いこなし、自身の特聖を以てして気合の魔法使いを完封してみせた。


 実力でいうなれば史上最強と謳われている『無限の魔法使い』にすら匹敵する。


 ザインという存在が知られぬまま、順当にトートの名声が上がる事となった。相応しい者に名声が届かない、結局は何も出来なかった自分自身という存在を憂い、沈み始める夕陽を見つめた。


「んがッ――――ああ……クッソ……ここは……」


「ダンチョーー!!」


「ぶえぼっ!?」


 王城の側に備え付けられた避難所の中でエイプリルが目を覚まし、レオナという可愛らしい部下の砲弾を腹部に受け止めた。


 起き上がった直後の衝撃にもう一度深い眠りに落ちそうになるが、そこは何とか気合いで耐える。


「ごほっ……レオナ……テメェ……」


「良かったよー、ダンチョーー!! 頭吹き飛んでたんだよー! 治って良かったー!」


「ぐえぇ……! やめろぉ、離せぇ……! 脇腹が圧し折れるだろうが……って、頭が……吹き飛んでた……だぁ?」


 ふと、エイプリルの脳内に降り注ぐ死の記憶。視界で追えなかった須王の黒い拳が目前にまで迫り、そこから先の記憶が何も無いのだ。ただ弾ける頭部を捉えた赤だけが鮮明に脳裏へと描き出されるばかり。


「……っ! ……須王は? 戦況はどうなった……?」


「敵軍は全滅しましたわ。こちらに死傷者は出ていません、建造物の被害すら……」


「ここだけの話だよ団長! 先生が全部片付けてくれたんだからっ!」


「お、おいおい、まてまて。どういう事だ? 話が全く見えん。オレはどうして生きてんだ? それに被害がゼロだと? んな事はねえだろ、降りて来た時には街中ボロボロだったじゃねえか」


「そ、れ、を、先生が解決したんだってば! すごいよねー、どれだけ頑張ればあんな魔法が使えるのかな!」


「……そう……ですわね……」


「ええと……その、先生ってのは誰だ? まさかとは思うが……」


「ふふんっ! ザイン大先生ですよ! ほら、うちでは新入りのあの!」


「やっぱ……そうなのか……」


 エイプリルは自身の体を見下ろす。健康状態は至って正常、寝起きのせいか若干の頭痛はあるものの、戦闘の疲労感など欠片も無い。


「……アイツが、一人でやったのか? 怪我の治療も、街の修復も?」


「そうみたいだよ? アタシはあんまり見てないけど、キャロルは見てたんだよね、街が直っていくとこ」


「……、え? あ、ああ……ええと……そうですわね……」


 レオナの言葉に数秒遅れてキャロルが反応する。何処か上の空で、未だに現実を受け止められていないキャロルはそっと目を伏せる。


「どうした、シルヴィアんとこの……キャロルだったか? 顔色が悪いぞ? 少し横になればいいじゃねえか、ベッドには空きがあるみてえだしよ……って、シルヴィアも居たのか」


 キャロルの奥、簡易ベッドの上には鎧を脱がされたシルヴィアの姿があった。エイプリル同様、戦闘の傷は一切無く、ただ眠っているだけに見える。眉根に皺は無く、穏やかに寝息を立てている中、ハラリと前髪が目元に垂れ、キャロルが優しい手つきで髪を梳く様に撫でる。


「私は……大丈夫ですわ。怪我もありませんから……他の所を手伝ってきますわね。レオナはエイプリルさんに付いてあげて下さい」


「えっ、う、うん……」


 誰からも気取られぬ様にしてキャロルは避難所を抜け出す。瞳の奥から涙を流そうにも、どうも上手く流れない。自分は何も出来なかったという無力感に苛まれながら、人気のない場所まで走る。

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