第十話:どうすればよいのだろうか

 二人はあの後また数時間一緒に勉強に励み、何とか休み中の宿題ノルマを終え。

 夕方、諒が家に帰る時間となった。


「お邪魔しました」


 玄関先で靴を履いた諒が、見送りに立つ萌奈美もなみと萌絵に頭を下げる。


「諒君。今日はわざわざありがとう」

「こっちこそ。誘ってくれてありがとう」

「また是非遊びにいらっしゃい」

「はい。では失礼します」


 どこか名残惜しそうな萌絵と、笑顔の萌奈美もなみを残し、彼はもう一度頭を下げると玄関を出ていった。


「……はぁ……」


 残念そうなため息を漏らす萌絵に、くすりと萌奈美もなみが笑う。


「そんな顔しないの。また連れてきたら良いじゃない」

「うん。そうだけど……」

「まったく……」


 諒と離れたくなかったのを色濃く見せる娘に、萌奈美もなみは呆れたため息をくと。


「ほーら。そんな顔しないで。それより夕食の準備手伝いなさい。諒君にもっと美味しい料理食べさせるんでしょ?」


 そう言って、彼女は萌絵の肩をぽんっと叩くと、キッチンに向け歩き出すのだった。


* * * * *


 マンションを出て道を歩きながら、諒はずっと考えていた。


  ──未来、か……。


 自分には、夢がない。

 諒はそれに気づいていた。


 勿論ただ惰性で生きてきた訳ではないし、彼にも好きなものはある。

 ボウリングも、散歩しながら写真を撮るのも。今は止めてしまっているけれど、歌うことだって本当は好きだ。

 だけど、どれも本気で何かを目指すためにやっていた訳ではなかった。


 ボウリングは父が喜ぶから。

 写真は自分が好きだから。

 歌っていたのも、香純かすみが喜んでくれたから。


 結局。

 どれも本気で取り組んだわけじゃなく。

 どれも本気で頑張っている人達には及ばないと思っていた。


  ──自分の将来すら考えられないのに、萌絵さんと付き合うとか、できるんだろうか?


 心にあるのはそんな悩みだった。


 まだ、萌絵を本気で好きだとまでは思えていない。

 だけれど、この一ヶ月で知った彼女に、本当に嫌になる所もない。

 優しさ。素直さ。時に見せる気丈さなど、惹かれる所も色々とある。


 だが、自分に自信が持てていなかった彼にとって、今日の萌奈美もなみの言葉が、彼女が思いもしない方向で重くのし掛かってきた。


  ──「だけれど、できれば付き合うかどうかは、今を見て、未来を考えて決めて欲しいの」


 思い出す萌奈美もなみの言葉。


 今を見て、未来を決める。

 確かに、萌絵を見るだけならそれで良かっただろう。


 だが。

 自分の未来すら見据えられない自分が、誰かを好きになり、誰かと共に歩んでもよいのだろうか。

 自分のそんな迷いで、何時までも萌絵に答えを待たせてしまって良いのだろうか。


 今日まで考えていなかったそんな悩みが、彼の心で大きくなってしまっていた。


  ──……情けないな、俺……。


 今考えると、椿に恋した時も、そんな未来のことを考えてなどいなかった。


 勿論中学一年でそこまで考える者などまずいない。

 それこそ己の幸せのため、ただ本能に任せ恋をし、付き合う者の方が絶対に多い年頃であり、それは別に問題ないのだが。


 今の彼は、それすらも自身の劣等感につなげてしまう。


  ──俺は、どうすべきなんだろう?


 諒は答えの出せない疑問に囚われながら、鮮やかな夕日に照らされ生まれた影と同じく、心に暗く影を落としていた。


* * * * *


 一方。

 場所は変わり、日も沈んだ頃。


 日向ひなたの部屋のテレビの前に座り、日向ひなた香純かすみあおいの三人は、『富士キッズ&ロック・フェスティバル』での椿の。そしてTwo Rougeの出演を無事見届けたのだが。

 そこにあったのは、正座しながら向かい合っている、喜びではなく真剣さばかりの日向ひなた香純かすみ。そしてそれを困ったように見守るあおいの姿だった。


「妹ちゃん。これは由々しき事態だよ……」

「確かに、由々しき事態ですよね……」


 二人が真剣に見つめ合いながら、まるでひとつひとつ何かを確認するように、言葉を繋ぐ。


「今、私には妹ちゃんっていう最高のパートナーがいるから、この機を逃したくないんだよね」

「私も海原先輩と同じ気持ちです。ですけど参加しようとしたら、衣装も、楽器も、動画を撮影する場所も必要ですよね」

「そうだよね~。衣装はまだしも、ショルダーキーボードは高いし、流石にレンタルかな~。後はスタジオも借りるってなったら、かなりお金掛かっちゃうしね~」

「え? 日向ひなたさんはそこまで本格的なの考えてるのかい?」


 驚いたあおいに対し、二人はじろっと彼に冷たい目線を向ける。


「あったりまえでしょ! 私達これでもクレインウォッチャーなんだよ!?」

あおい先輩。KATEさんとMARRYさんに直で逢えるかもしれないんですよ! ここだけは譲れないんです!」

「だ、だけど。本格的な事したらお金だって幾ら掛かるか分からないし。何より香純かすみちゃんは受験が──」

「受験勉強は後でもできます! でも、これは二度とチャンスがこないかもしれないんですよ!」

「あ、そ、そう、だよね。ごめん」


 強く力説する香純かすみの熱の入れように、冷や汗を掻きながら困った顔をするあおい


  ──多分こうなったら、諒でも止められないかな……。


 この先彼が困り果てる顔を想像し、思わず苦笑しながらあおいは二人に平謝りする。


 日向ひなた香純かすみがここまで熱を入れた話をしているのには、勿論理由があった。


 ライブで歌を披露した後、Two Rougeの二人から発表された、デビュー三周年のサプライズイベント。

 それが、『Two Rougeなりきりフェスタ』だった。


 俗に言う『歌ってみた』系の企画で、彼女達の歌を歌った動画を公式サイトよりアップロードして応募するという企画なのだが。

 これにそこまで食いついた理由はふたつあった。


 ひとつは応募作品すべてをTwo Rougeの二人が観て審査するというのもあったのだが。

 もうひとつは、彼女達に選ばれた作品の歌唱者は、彼女達の夏休みのライブに招待され、一緒に歌えるという賞品が付いていたのだ。


 応募期間は六月末まで。

 まだまだ日数はある、と言いたいところだが。本格的に準備しようとすれば、あっという間に過ぎてしまうだろう。


「う~ん、お金足りるかなぁ。妹ちゃんってお小遣いとか残してる?」

「……海原うなばら先輩。それは聞かないでください……」

「まあ、ファッションセンスいいもん。お金だって掛かるよね~」

「先輩はどうなんですか?」

「毎年のお年玉とか少しずつ残してはあるけど、あんまり」


 互いに現実に直面し、困った顔をする二人。


「ま、まあ。制服姿で部屋で歌ったりしても──」

「無理無理無理無理! だってKATEとMARRYに観てもらえるんだよ? 中途半端なんてできないって~」

「そうですよ! あおい先輩はもう少し空気読んでください!」


 あおいの助言もあっさり彼女達に否定され。


  ──諒。僕はどうすればいいと思う?


 彼はそんな思いと共に、ただ困った顔で笑うしかできなかった。

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